第3話

 凜理が満夜に弱みを握られて長いこと経つ。小学校以来だろうか……。凜理はそれまで体が弱い少女だった。そばにはいつも黒猫。二十五歳になる黒猫だ。相当な長生きの黒猫は、それはそれは凜理になついていた。


「猫又になっても不思議はないよな」


 小学生の頃から満夜はオカルト好き少年だった。片手に五芒星を書いた厚紙と妖怪大百科を持っているような。


「クロちゃんは、そんな変なものになんかならへんもん」


 幼い凜理は反論した。

 朝早く、小学校に向かっている時だ。


 クロはそんなこと気にもとめてないのか、凜理の後をついて回っている。いつも小学校の校門まで送って行ってくれるのだ。


「犬だってこんなことしないぞ」


 満夜は言い返した。


「クロちゃんは特別なんや」


 特別……。凜理にとってクロを表現するのは、そんな一言で十分だった。


 そんなある日、いつものように妖怪の解説をとうとうと述べ立てる満夜にうんざりした凜理は信号が変わる寸前の横断歩道に行きがかった。

 いつもなら黄色点滅している横断歩道を渡るようなことなんかしない凜理だったが、この日はなぜか、ふらりと横断歩道に足を向けて歩き出した。

 それを見た満夜が凜理を追っていく。

 ふらふらと歩くその行き先に、昨日まではなかった花束が、ガードレールに立てかけられていた。

 激しいクラクションが右側から鳴らされ、左折してきた車が、凜理めがけて突っ込んでくる。


 トン!


 軽い頭突きを食らわせて、凜理の足元に絡まったクロがいた。凜理は思わず二、三歩前へ出ていた。背後を風を切って車が行き過ぎていった。

 凜理の耳に再び音が戻った時、凜理はハッとしてクロを探した。車が行き交う横断歩道の真ん中に、車に跳ね飛ばされたクロが横たわっていた。


「クロちゃん!」


 ちなみに、満夜は中央分離帯で固まっていた。

 満夜の近くまで跳ね飛ばされたクロの黒い毛が血に濡れていた。弱々しくお腹が動いているところを見ると、まだ生きているのだろう。

 青信号になり、満夜はクロを抱いて、中央分離帯に寝かせた。すぐに凜理もやってくる。走ってきたせいで、息が上がって、ゼイゼイ喉を鳴らしていた。持病の喘息の発作が出たのだ。


「ク、クロちゃん! ゴホ、ゴホッ」

「しゃべるな、喘息がひどくなるぞ」

「嫌や、クロちゃん! 死なんといて」


 クロを抱きしめた凜理が涙をこぼしながら、叫んだ。クロはしばらく弱々しく息をしながら、凜理を見上げて、フーっと息を吐くと、そのまま目を閉じた。

 二人は急いで、近くの動物病院に駆け込んだ。けれど、時はすでに遅かった。クロはもう死んでしまっていたのだ。

 大泣きする凜理を満夜は慰めた。


「クロは昔からお前のそばにいただろ? 今だってそばにいるさ。ただ姿が見えなくなっただけだ。魂は存在する。だから、クロの魂だってあるんだ。いつだって、凜理と一緒にいるさ」


 今になって考えると、満夜のこの時の言葉は、完璧な答えだったことがわかる。

 確かに、クロは凜理のそばにいたのだ。




 翌日、凜理が登校途中で、満夜にこんなことをつぶやいた。


「昨日、クロちゃんが夢に出たんよ。クロちゃんは、あたしに病気は全部持って行ってあげるって言った。そんで、いつもあたしのそばにいるよって」

「ほらな、オレの言ったとおりだっただろ?」

「ほんまやね」


 いつも、満夜のオカルトめいた言葉を馬鹿にしていた凜理だったが、この時ばかりは否定しなかった。

 それからだった。凜理の喘息が良くなったのは……。

 その代わり、凜理は家の中でもたまに帽子をかぶるようになった。母親に注意されると頭にバンダナを巻くようになった。掃除の時に髪を隠すようにバンダナで頭を隠すのだ。


「ただのファッションや」


 凜理はそう言い訳をした。段々とその言い訳は定着していった。

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