第6話 ストライカー・イズ・ボーン
「惜しいシュートだったぞ」
「意味ないですよ。ポストなんて」
「でも、可能性を感じるシュートだった」
「ポストをいくら叩いても、意味ないですよ」
「打たないと入らない。ポストに当たるのなら、その次は入ることもあるだろう」
「楽観的ですね」
「外に出るか、中に転がるか、それは本当に紙一重だな」
「僕たちはいつも紙一重のとこで戦っています。ポストを叩いたことも、限りなくあります」
「幾度となく見てきたよ。何度手を叩いたことか。時にはベンチを蹴飛ばしたこともある」
「僕もポストを蹴ったことがあります。その時は、生身の人間の弱さと愚かさを知ったものです。恨む相手はポストではない」
「むしろ自分の技術を反省すべきだな」
「恨みは何の役にも立ちません。それにポストは、何より重要な役目を担っていることにも気づいたのです」
「ポストは時に十二人目のディフェンダーとして立っているからな」
「それはゴールを構築するための、重要な枠組だったのです」
「確かにその通りだ」
「枠がなければゴールを作ることはできません。その辺の空間があるだけです」
「それではゲームをすることはできないな」
「その通りです。僕たちは共通の境界とルールを持った中で戦っているんです」
「それがスポーツというものだ」
「ポストが自分の方に微笑まなかったとしても、感謝の心を失うべきではありません」
「次には微笑まないとも限らないしな」
「ポストを恨んだところで何も始まりません」
「気持ちを早く切り替えることが重要だからな」
「僕たちには時間がないんです。恨んでいる時間なんてもったいない」
「試合に勝つためには時間を有効に使わなければならない」
「時間は恨むためではなく、練習するためにあるべきです」
「その通りだ。本当のプロは練習から本気を出せる人間のことだ。だが、それは決して簡単なことではない」
「色んなものが違います。練習では観客も審判もいません。いたとしても、やはり本気度が違いすぎます」
「自分をコントロールすることが重要なのだ。練習でできないことが、試合で成功するということはないのだから」
「だけど練習でできたことが、試合ではまるでできないということがあります。それも練習が足りないのでしょうか」
「練習の本気が足りないせいと、試合の本気が更に足りないせいだろう」
「いつだって本気のはずです。だって試合なんですよ。本気でないはずがない」
「足りないのでないとすれば、失っているということだ。練習でできると言うのなら、練習のようにやることだ」
「本気を捨てるんですか?」
「何を言っている? 練習も本気のはずだ」
「よくわかりませんね。何か難しく感じられます」
「最初に簡単ではないと言ったはずだ。練習のように本気で思うということだよ。もしも練習が本気でできているなら、それで力が落ちるということはない。普段の力が出せるはずだ」
「試合には独特な空気がありますし」
「それも味方につけなければならない」
「練習は時間を忘れさせます。けれども、試合となると時間はもっと早くなります」
「それは好きな世界が前に現れているからだ」
「確かに僕はボールを追っているのも、触れていることも好きです」
「だから時間が消えるのだ。だが、それはなくなったわけではない」
「消えているのに、なくなってはいないんですか?」
「消えている間に、むしろ濃くなっているのだ」
「監督、難しい話は疲れます。シュートを打つ体力がなくなってしまいそうです」
「しっかりするんだ! プロは疲れを言い訳にしてはならない。審判も、観客も、ここには誰一人疲れていない者などいないぞ」
「生きるということは、いつも疲れますね」
「疲れている中でやり切るのがプロだ。だから、疲れている中でも練習を怠けてはならない。疲れた試合の中で力を発揮するためには、練習の中でも同じように疲れていなければならない」
「練習は疲れます。でも怠けたくはないです。自分が下手になることがとても恐ろしいです。触れていないことは、不安で仕方がありません」
「それでいい。学びは日々にあるのだ。愛が日々の中にあるのと同じように、どんな猛特訓でも追いつくことはできない。日々の積み重ね以上に身につくものなどないのだ」
「調子の悪い日には、自分が嫌になることがあります」
「それでいい。駄目な日には、駄目な日なりの練習をすることだ。一日にできることなど知れている。一日を疎かにしてはならない理由もそこにある」
「駄目すぎて、自分の才能を疑いたくなってしまうことさえあります」
「本当に必要な才能は、それを続けられるということだけだ。疑いに打ち勝つだけの継続性だ」
「続けていけば良い結果を生むのでしょうか?」
「継続は裏切らないものだ」
「それが良い行いであれば、そうでしょう。でも、もしも間違っていたらどうなるんです?」
「先の我々のプレーは悪くなかった。戦術に忠実にイメージ通りだった。結果が伴わなかっただけだ」
「継続を正しく美しく捉えるのは危険すぎませんか?」
「そんなことはない。鋭い攻撃は相手に脅威とダメージを与え続ける」
「一途な愛を守り抜くのは美しく見えます」
「違うと言うのか?」
「愛は執着です。それは怠惰に似ています」
「さっきのゴールを防いだのは執拗なセンターバックの活動だ。彼は少しも怠けなかっただろう」
「一面的に見ればそう言えます。でも彼はちゃんと育児をするのでしょうか? 風呂の底を洗っているのでしょうか?」
「そんなことは私は知らない! 今はサッカーの試合中なんだ!」
「ですが僕らは、ゴール裏の風景も、その向こうの風景も想像すべきなんです」
「今はピッチの上だけに集中する時だ!」
「一人の人を思い続けるのは、愛の深さではなく単に面倒くさいのかもしれません。居心地のいい場所から、怖くて動けないだけかもしれません。それなら強くも美しくもない」
「人の心の中まではわからない。疑ってばかりではきりがないぞ」
「新しい道を切り開くよりも、既知のものにしがみつく方がずっと楽です」
「信じることも大切だ。信じ続けることも決して容易ではない」
「今までの経験や財産を利用したいなら、ゼロからやり直すことなんてできません」
「最初はいつだってゼロだ。今だってそうじゃないか。そろそろ得点が生まれてもいい頃だが」
「もしも僕たちのやり方が合っているなら続けていけばいいでしょう」
「合っているとも。信じて続けていこう。足を止めずに行けるところまで行ってみよう」
「どこまでも行けそうな気がします。それがゴールへの道につながっていると信じられる限りは」
「間違いなくつながっているはずだ。道はどこでもつながっているのだから」
「話している内に監督の戦術がだんだんわかりかけてきた気がします」
「私の戦術の基本は互いの特徴をよく理解することから始まる」
「進んでいる内に道になるのかもしれません。寄り添っている内に愛が生まれるように」
「理解が深まれば良い結果が生まれることだろう。あとはシュートの精度をもっと上げねばならない」
「僕はまだゴールの位置をつかみ切れていないんです。だいたいどこにあるかはわかっているつもりですが」
「ポストとクロスバーに囲まれた内。君が知っている通りだ」
「それはおおよその位置です。正確ではない。シュートを決めるには正確に位置を突き止めなければ」
「勿論だ。勝つためには守護神を凌ぐほどに知らねばならない」
「僕はそのためにシュートを打ちます」
「そうだ、シュートだ! 打たないシュートは決して入らない」
「外れても外れても、僕は打ち続けなければならない」
「そうだ。気にするな。誰も君のことを責めたりはしない。向こうの奴らは褒めさえするだろう」
「無数の弾道が僕にゴールの本当の場所を教えてくれる」
「ゴールはすぐそこに見えているぞ」
「そしていつかどうして僕がここに立っているかを教えてくれるはずです」
「私が送り出したからだ。チームの勝利のためにな」
「ここまできたらもう逃げられない。僕はここで勝負しなければ」
「責任は私が持つ。君は私が選んだストライカーだ」
「ただの人間です」
「みんな一緒さ。みんなそれを忘れてしまうだけだ」
「どうしてそんな普通のことを忘れられるんです?」
「大事なことほど忘れやすいものだ」
「大事だとわかっていながらですか?」
「キックの基本は?」
「勿論、インサイドキックです」
「勿論そうだとも。インサイドキックを忘れて何ができると言うのだ?」
「僕はそれをずっと忘れないつもりです」
「そうだ、忘れるな! インサイドキックを忘れない選手であり続けろ」
「そうすれば僕は良いストライカーになれるでしょうか?」
「それだけでは駄目だ。だが、それさえもできなければもっと駄目になっていくだろう」
「どっちにしても駄目なんだ。基本駄目か……」
「そう悪い方にばかり考えるな」
「どうなったら駄目じゃなくなるんです?」
「ゴールだよ」
「ゴール……」
「打ち込むんだ。打ち込み続けるんだ」
「それだけですか」
「君の気持ちがいつか本当に届いた時、頑なだったものが扉を開けるだろう」
「気持ちですか」
「君は君になる」
「えっ」
「ストライカーは、ゴールの中で何度でも生まれるのだ」
「僕はまだ……」
「みんな固唾を呑んで見守っているよ」
「何だか少し恐ろしくなってきました」
「震えることはない。まだ生まれてさえいない」
「僕は誰? ゴールはどこ?」
「君が見つけつつあるものだ」
「生まれる前に見つけつつあるのですか?」
「見失いながら生まれつつあるのだ」
「とても混乱してきました」
「そうだ。それがゴール前というものだ」
「僕が一番好きな場所です」
「そこだ。最も危険な場所へ入って行け!」
「もう行くしかないな。考えすぎは捨てて」
「急げ! もたもたしているとつぶされてしまうぞ!」
「大丈夫です。好きなところでは負けられません」
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