第5話 ワン・ナイト・ゴール

「明日の一面を飾りたくはないのか?」

「僕は新聞は見ないようにしています」

「不都合なことが書かれているからか?」

「僕が見るのは日曜の夜にあるテレビです」

「やべっちか? それなら私も見ている」

「そうです。僕もやべっちを見ています。そのために起きているし、部屋にテレビを置いているのです」

「活躍して出たいとは思わないのか? 自分のゴールシーンが映ったら最高じゃないか」

「勿論、自分が出ることを望んでいます。選手なら、みんなそうじゃないでしょうか」

「だったら、ゴールを決めることだ」

「疑問なのは、扱われるのがゴールシーンばかりだということです」

「当然だろう」

「どうして、何もないシーンは扱われないのです? 頭の中で考えているというシーンがどうしてないんです?」

「退屈じゃないか。そんな場面は」

「退屈? 頭の中は退屈なんですか? ゴールさえ入れば、退屈じゃなくなるんですか?」

「そうは言ってない。しかし、サッカーはゴールを決めるゲームだ。そこにスポットを当てるのは当然だと言っているんだ」

「ゴール、ゴール、ゴール……。みんなゴールが好きです。十秒あったら、ゴールを決めることは簡単です」

「そうだろう。今すぐ決めてほしいもんだな」

「でも、奇跡的にゴールの生まれない時間があります。ポスト、クロスバー、神。様々なものが奇跡の手助けをします。そんな時間が何分も何十分も続くんです」

「今がその時間だと言うのか?」

「そうとも言えます。結果的に、ゴールは生まれず、試合が終わることもあります。でも、僕たちは何もしなかったわけじゃないんです」

「残念な試合だ。私の立場としては、壮絶な打ち合いの末に負けてしまうよりその方がいい。勝ち点が入るからな。数字上のゼロはゴールが生まれないことでなく、負けてしまうことなのだ」

「それは選手と監督の立場の違いでしょう。ストライカーと監督の……」

「そうだ。私は勝ち点を積み上げること。君は得点を積み上げてくれ!」

「勿論、僕もそれをいつだって望んでいます。そうしてやべっちの中で使われることも」

「みんな爽快感のあるシーンを見たいんだよ。それが生きる支えになるという場合もあることなんだ」

「勿論、僕もそれは理解しています」

「明日のやべっちも勿論見るんだろう?」

「勿論。そうしないと一週間が終わりませんから」

「それははじまりとも呼べるわけだが」

「でも、時折やべっちが消えてしまう夜があるんです」

「十二月以外にかね?」

「政治的な行事や、他のスポーツにその座を奪われることがあるんです」

「選挙やゴルフのことを言っているのか?」

「まるで呪われたような夜です」

「君は選挙に行かないのかね? 我々はまず社会人として……」

「期待を裏切られたような夜です」

「大人にならないと。もう十分に大人じゃないか」

「いけないことだと思いつつ、選挙やゴルフのことを恨めしく思ってしまうんです。投票箱の中にやべっちが呑み込まれたような気がして、投票箱のことが嫌いになりそうなんです」

「やべっちだって選挙に行くさ」

「いつもあると思っているから。あって当たり前だと思ってしまうから、突然の空白に自分を上手くコントロールできないんです。それで投票箱にまで当たってしまう」

「つまらないことだ。人に当たるよりはまだましだがね」

「でも、それが世界の終わりだったらどうなるでしょう?」

「何だって? 君は得点王争いに立候補するつもりはあるのかね?」

「僕は最初から数字を口にするのは嫌です」

「目標を定めないのかね」

「山と盛られた料理は見るだけでお腹がいっぱいになります。もう食べた気になってしまいます」

「贅沢な話だな」

「小さなお椀に入った蕎麦なら一杯一杯、食べていける。そのようにしてすべて積み重ねたいのです」

「子供に宿題を出すやり口だな」

「ボールを蹴っている間、僕らはみんな子供です」

「元々は子供だったということだ。誰もがな」

「気が遠くなる風景を思い描きたくはない。一つ一つ魔物を倒している内についにはラスボスまで倒せていた。そういう風になれたらいいと思います」

「ゲーム感覚だな」

「夢の中で恐ろしい敵と格闘して朝になると町は白い雪の中にあった。そういう景色を描きたいのです」

「恐ろしい夢をよく見るのか?」

「毎日のように見るでしょうね。ほとんど覚えてはいないけれど」

「私が最近見た最も恐ろしい夢は、リーグ最下位に沈む夢だ」

「随分具体的ですね。現実への強い影響が見られます」

「夢はいつでも現実の延長だからな」

「不安、恐れ、願望、そうしたものがまとめて、ごちゃ混ぜになって現れるのが夢なのかもしれませんね」

「ちゃんこ、あるいは闇鍋だ」

「夢の中では、誰が誰だかわからない。ずっと母だと思っていたら突然売店のおばさんに、監督だったはずが大統領に、更には宇宙人になってしまう。その場その場でつき合っていくしかないんですね」

「まあ一夜限りの夢なんだからな」

「それでも何一つ疎かにできない。夢の中でも必死に生きている」

「夢が夢であるという自覚を持てないせいだろう」

「どんな悪夢であってもハッピーエンドなのかもしれません。最後に帰れる場所がある」

「朝だね」

「僕が言いたいのは……」

「ああ」

「やべっちを遮るものが選挙やゴルフなどではなく、もっと大きな、例えば世界の終わりだったら」

「世界は簡単に終わったりしないよ。目の前にあるゲーム一つだって、簡単には終わりはしない」

「果たして世界の終わりを恨んだりするのだろうか……」

「終わりのことばかり考えても始まらないと思うね」

「僕はその時、やべっちのことなんて忘れてしまうと思うんです」

「それどころではないからな」

「そうです。世界の終わりとなると、みんなそれどころではなくなってしまうんです」

「それで君は恨みを捨てることができたのかね?」

「ピッチの中は戦場です。でも僕たちは銃やミサイルなんて使わない」

「そんな野蛮なものは必要ない」

「はい。ボール一つあれば十分です」

「そう。ここはボール一つを巡る戦場なのだ」

「僕がちゃんとゴールを決めるためには、まず世界が安定して存在していなければならないんです」

「勿論そうだろう。幸いなことに、我々のディフェンスラインは今のところ安定して機能しているようだな」

「そのようです。そして、投票箱やグリーンを見渡せるような世界でなければ、それらを維持することもできないんです」

「我々も、世界の一部だからな」

「そして夢の一部です」

「いいや。すべて現実だよ」

「敵だと思えば味方、味方と思えば敵、それぞれが狭い空間で入り乱れ、審判かと思えば石ころ、ゴールだと浮かれれば旗が上がり、何もなかったことになる。どこからともなく駆けてくる犬。実に夢らしい」

「では君は誰なのだ?」

「僕はピッチに立つ戦士。あなたはベンチの前の軍師です」

「君を使い続けている自分が信じられないよ。まるでゴールの匂いがしてこない」

「大丈夫。ほんの一眠りの間に、僕らは多くの夢を見ることができる。記憶は夢を引き伸ばすことができるんです。だから、一つのトラップの中に無限の物語だって詰め込める」

「だから心配なんだよ」

「そろそろ約束のクロスが入ってくる頃です。頭一つで僕は合わせることもできるんです」

「本当だろうか。大丈夫だろうか……」

「自分を信じなきゃ」

「いつまで君の覚醒を待ち続けることができるだろうか」

「大丈夫。夢を見ていれば、いいんですよ」


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