第6話 制裁

 あのお出掛けから3日経った。

 あれからというもの、ソーウェル様とはお互い1人の時に会った時に少しだけお話をするようになった。そう聞くとなかなか機会はなさそうだが、意外に毎日どこかしらで会うのだ。私としてはあれで終わりだと思っていたから最初は驚いた。

 ちなみにソーウェル様呼びは継続中である。あのお出掛けした次の日にマビウッド公爵子息様とお呼びしたら見事に訂正された。


「では、失礼いたします」


 今日も今日とてリーシラ様への演奏とティータイムを終え、部屋を出る。

 早く作曲の続きをしたいなぁ。


 そう思いながら帰っている途中だった。


「そこのあなた」


 不意に後ろから声がかけられる。後ろを振り向くと、ツリ目と化粧と服装のせいかきつめに見える令嬢方3人と侍女6人がいた。恐らくこの令嬢方の侍女だろう。

 はて、何の用だろうか。この時間にお城にいるということは、きっと王妃様主催のお茶会が終わった後だろうから、この令嬢方は相当身分の高い貴族のはずだ。


「なんでしょうか」


「今日はあなたに制裁を加えに来たわ」


 あぁ…そういうことか。すっかり忘れていたけど、私はあのマビウッド公爵子息のソーウェル様と仲良くさせていただいているんだった。本当に仲良いかは別として。

 制裁、つまりは嫌がらせ。嫌がらせの中でも上位の嫌がらせ。恐らくは暴力だろうなぁ。


「そうですか」


「覚悟なさい。あなたのような薄汚い女がマビウッド公爵子息様に近付いた罪、重いわよ」


 いや、近づいただけじゃ罪にはならないと思うんだけど。それに私が自分から近づいたわけでもないし。まぁ、いいか。

 いつの間にか侍女たちに囲まれていた私は逃げれることもなく、どこかへ連れていかれる。まぁ、逃げるつもりもないけど。こういうのは1回相手が満足いくと収まるのを知っているからね。


 連れてこられたのは人気のない庭の端。近くには低木や小さな噴水があり向こうからは見えないようになっている。

 ひとりの令嬢に手に持っていた冊子が取られる。ばいばい冊子。また作らなきゃなぁ…。


「やっておしまい」


 主犯と思われる令嬢がそのように言うと、侍女のひとりが私の胸倉を掴んで思いっきり地面に倒した。…痛い。そして倒した侍女に他の侍女も加わり、蹴り始める。…痛い。顔と腕と指に傷がつくとまずいとわかっているのか、狙われるのは専ら胴体と足だ。よかった、腕と指狙われなくて。

 私は避けたり手で庇ったりせず暴力を受け入れる。こういうのは抵抗しない方がいい。というか、庇って手を怪我したら大変だ。


「あなたのような汚らわしい女が近づいていい相手じゃないのよ」


 おっしゃる通り。


「この薄汚い女狐、恥を知りなさい」


 そうですね。


「ああ、汚らわしい。目にも入れたくないわ」


 じゃあどこかに行ってください。


 令嬢方3人は何もせず暴力を受ける私を蔑んだ目で見ている。侍女のひとりはその斜め前で冊子をびりびりに破っていた。役割分担か…。それが数分続いた。


「ねえ、泥水かけましょうよ」


 不意に令嬢のひとりが呟く。泥水か、制服の洗濯が大変になるなぁ。


「いいわね。そこのあなた、泥水を持ってきてちょうだい」


 そんなにすぐ泥水なんて持ってこれるのか。

 令嬢に命令された侍女は泥水を用意しにはける。そしてしばらくすると泥水の入った桶を2つ持ってきた。あるんだ泥水…。


「かけてしまいなさい」


 主犯の令嬢の声に、ひとつめの桶に入った泥水がかけられる。ばしゃぁん、といい音がなる。ぬるい…。そして制服が肌に張り付いて気持ち悪い。それにざらざらする。


「あはは!なんて惨めなの!」


「もうひとつもやっておしまい」


 次の桶に入った泥水も勢いよくかけられる。


「あーせいせいしたわ。帰りましょう」


 満足したのか、令嬢方と侍女たちは去っていった。ふぅ、終わった。


「片づけよう…」


 あたり一面破かれた楽譜が散らばっている。これは片づけないとなぁ。ちょうど令嬢方が忘れていった桶があるのであれに入れて持って帰ろう。桶は後で返しに行かないとね。


「…はぁ」


 楽譜だった紙切れを拾い上げる。気にしない精神とはいえ、ちょっとは堪える。明日になったら何ともないだろうけど。

 今日は冊子づくりだな。作曲の続きをしたかったのに。冊子がないとリーシラ様が訝しんでしまうからなぁ。ご心配はおかけしたくない。


「誰かいるのか?」


 不意に廊下から声がする。この声は王太子殿下…?

 私は動きを止める。見られてはまずい。


「無視か、いいだろう」


 そう言って、こちらに足音が近づいてくる。え、来ないでください。切実に。

 というか、もし本当にいなかったらどうするんだろうか。だいぶ恥ずかしいよ…?


「なんだこれは」


 ついに見つかった。王太子殿下は私の格好と周囲に散らばっている楽譜だったものを見て顔を顰める。


「これは王太子殿下。ご機嫌麗しゅう…」


「麗しくないだろ。なんだこれは。答えろ」


 いつもの猫かぶり王太子殿下はどうしたんですか。なかなか威圧的になってるよ…。


「これは私の問題なのでお気になさらず」


 原因はあなたの1番の側近ですよ。

 私の答えが気に入らなかったのか顔をますます顰める。


「それは答えではない。このまま答えなければ第3王女付き宮廷音楽師を解任するぞ」


 それは困る。というか、私のこと知ってたんだ…。


「…嫌がらせを受けただけです。お気になさらないでください」


「そうか」


 そう言うと踵を返して戻っていった。何だったんだろうか。というか、私のせいで王太子殿下の貴重な時間を割いてしまった…申し訳ない。

 私は再び楽譜だったのものを拾い始める。しかしまぁ、結構強めに蹴ってくれたね…あちこち痛い。それに濡れて寒いし。春で暖かいとはいえ、風が吹くと冷えるなぁ。今日は早めに帰って温まろう。


「よし、帰ろう」


 楽譜だったものをすべて桶の中に入れ終わり立ち上がる。大変だった。最後にこういう嫌がらせ受けたの8カ月くらい前だったような。そりゃ楽譜も増えるなぁ。

 桶を持ち、廊下に向かって歩く。あまり人に見られないようにしないと。


 そう思った直後のことだった。


「シア!?」


 たまたま廊下を歩いてきたソーウェル様が私を見て驚く。なんでこんな日に限って2人に会うのだろうか。あれ、ここ人通りが少ないはずだよね?


「ソーウェル様。こんにちは」


「こんにちは…じゃないよ。どうしたの」


「何でもないです。気にしないでください」


 原因がソーウェル様だと知られたら悲しむよなぁ。


「もしかして私のせい?」


「私が悪いので、本当に気にしないでください」


「私のせいなのか」


「何でそうなるんですか…」


 本当のことを言うとそうなんだけどね。でも、逃げなかった私が悪い。


「すまない…せめて何か手伝わせてほしい」


「謝らないでください。お手伝いも結構です」


 そんなの恐れ多すぎる。無理無理。


「何かしたいんだ」


「えー…では、この桶をお願いします。中の紙は捨ててください」


 うん、断れない。知ってた。恐れ多いし申し訳ないけど、この桶を片づけてもらおうかな。というか、それくらいしかない。


「わかった。これは、楽譜…?」


 私が渡した桶の中を見て、そう呟く。


「楽譜です。コピーですけどね。本物は実家の方に置いてます」


 本当はちょっと前まで個室の練習室に置いてた。けど、何かあったらまずいってことで実家の方に移したのだ。


「そう。本当にすまない」


 そう言って悲しそうな顔をする。私にそんな顔しないでください。こっちが申し訳なくなります。もうすでに申し訳ないな恐れ多いなとは思っているけど。


「謝らないでください。私は大丈夫です。気にしてませんから」


 このお城では気にしない精神がないと生きていけないのだ。こういうことは日常茶飯事だから。私は8カ月なかったけど。それに本当に気にしていないし。またか…てくらいにしか思ってないし。


「では私はこれにて失礼します」


「ああ。気を付けてな」


 一礼してソーウェル様と別れる。ソーウェル様、落ち込んでないといいのだけど。


 あの後無事誰にも会わず練習室に戻ることができた。すぐに着替え、帰る準備をする。怪我の治療と風邪対策と冊子づくりをしなくては。


 家に帰り怪我の治療を終え、暖かい恰好をして冊子づくりに勤しんでいると、扉がノックされ、母が入ってきた。一枚の紙を握って。


「あなたにも招待状がきたわよ。1週間後のリーシラ王女殿下生誕パーティーのね」

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