第2話
あーもう、遅刻だ遅刻! なんで私はこんな忙しくて時間を取られる日にバイト入れてるの!
そんな風に内心で愚痴を垂らしながら、電車を降りて、定期を改札にタッチしてまた走りだした。
幸い、駅からお店まではほんの数分、走れば頑張れる……ってところなんだけど、如何せん理系女子の私の身体にたったその距離でも走るなんて無体、させられなくて、結局ぜーはーぜーはー言いながら、お店に辿りついた。
「やっば遅刻遅刻~!」
その時、一人の男の子とすれ違った。はて、今日は面接の日だったっけ、と一瞬考えていると、男の子はこの急いでいる私を呼び止めた。
ちょっとだけムっとしたけど、いけない、スマイルスマイル。
「……どうかしました?」
「……あ」
急いでいる私を呼び止め、驚いている彼の顔に、わずかながら見覚えがあった。ううん、どこで見たんだっけ。
──って、そうじゃなくて! 私は遅刻なんだよ!
「おはよう、喜多見」
「おはよーございます!」
せっせと事務所へと入るや、店長が不思議そうな顔をしている。なんで来たの、みたいな顔。ひどいなぁ遅刻したからって、と思ったら、更に後ろから声がなんでいるんだよなんて聞こえた。
「宮坂さん」
幹人さん。お姉ちゃんの元カレで私にとっては元義兄のおにーさまの登場。店長はどうやら面接だけしに来てくれたみたいで、そのままもう一つの店舗に行ってしまった。大変だよね、店長は。
「で、喜多見、お前今日シフト入ってないけど」
「うそっ!」
嘘ついてどうすんだよと言われた。確かに、今思えば表にまだ三人、美咲ちゃんもいたし、私がいるのは正直、おかしいよね。はいはい、勘違いでしたか、道理でこんなギリギリの時間だと思ったよ。
「はぁ……ん?」
そんな中、一部始終を見ていた男の子が何か言いたそうにしていた。なんだろうと思っていたら、私と幹人さんに向かって、頭を下げた。しかも90度直角。
「て、手塚翔太といいます! ここで働かせてもらえることになりました! よろしくお願いします!」
「そうか、俺は宮坂幹人だ、店長代理だから、よろしく」
「あ、私もか。私は
手塚くんは私の名前をゆっくりと反芻した。
いやいや、覚えるべきは幹人さんでしょ、と思ったけど、どうやら彼は私のことを知っているし、私も彼のことをどうやら知っている、っぽかった。どこで会ったっけ~? 大学かな~?
「そんじゃ、みゆ……んん、喜多見、また明日な」
「む、はーい」
美幸でいいのに、強情なおにーさまだことで。ちょっとむっとしていると手塚くんは何かを考え込んでいるような……というよりは何か頑張って覚悟を決めてる? 何か私に言いたい? 覚えがあるけど記憶に引っかかって抜けないトゲが私を待たせていた。
「あ、あの……今から、帰る、ん……ですよね?」
「あー……うん、そだねぇ」
自らの頭を掻きながら、もじもじとしてる彼。ううん、なんだかコミュニケーションがギクシャクしてる。何か言いたいならはっきり言えばいいんじゃなかろうか。私はキミのことが気になってしょうがないんだよ? 恋愛的な意味じゃなくて、こう、思い出したいけど思い出せないものがあるから! もどかしい!
──と思ってたらぐう、とお腹が鳴った。くそう、今日は美咲ちゃんのご飯はナシかぁ。私がここで働いてる、幹人さんのところで働いている以上、私とお姉ちゃんの仲は正直お世辞にもいいとは言えない。たぶん、私が幹人さんと仲がいいのにヤキモチを妬いてるんだもん、じゃあ別れないでよと思うけど、私はもう美咲ちゃんの味方になるって決めたんだもーん。
そんなことを考えていたらまたぐうってお腹が鳴った。ってやば、手塚くんにバッチリ聞かれてるよね、恥ずかし。
「あの、よかったらなんですけど……何か食っていきませんか?」
「え……あー」
でも彼は笑うこともなく口をきゅっと横一文字、緊張気味に私を誘ってくれた。ん、かわいい感じ、私って実は年下好きなんだよね、その辺はお姉ちゃんと好みが似てるのだ。
──じゃなくて、さて、私としてはおねーさんの顔にならなくては。美咲ちゃんにしてるから余裕ですよガハハ!
「ふふ、奢ってくれるの?」
「あ、いえ……っ、はい!」
「冗談冗談♪ 駅のところに美味しい四川のお店があるんだ、知ってる?」
「し、知りませんでした……」
「じゃあ是非、美味しいよ」
そう言って、私は大学生なり立ての年下男子を連れて、お気に入りの四川のお店に行った。辛い物が好きなんて、あんまり友達にも教えないのに、なんでか、教えたくなっちゃったんだよね。
──にしても、どこで彼を見たことあったんだろ。その答えは、半分だけすぐに明かされることになった。
彼女……喜多見さんがお腹を鳴らしたのを引き合いに、ダメもとで食事に誘ってはみたものの、こうもあっさりOKしてくれたのは、少し以外で、なんだか変な感じだ。
もう二度と会えないと思っていた彼女が喜多見さんで、そんな喜多見さんはバイト先の先輩で、挙句には一緒の席についてご飯を食べると来ている。今もこうして抑えてるだけで、嬉しさと驚きで心臓の音はずっと鳴りっぱなしだ。
「そんなに緊張しなくてもいいのに」
「え? あ、すみません。あの、この店のオススメのメニューとかってあります?」
「んー、麻婆豆腐とかかな。でもここの店のは辛いよ?」
「大丈夫です。辛いものは大好物なんで」
ホント? この店で良かったー、と喜多見先輩はそう言って、店員さんを呼ぶ。店員さんはすぐにやってきて注文を伺ってきたため、麻婆豆腐を二つと頼むと、ライスは付けるかと店員さんに聞かれて、俺と先輩は口を揃えて、いると答えた。俺と喜多見先輩はお互いの顔を見るや、自然と笑みがこぼれる。
「不思議。君といると、なんだか楽しいかも」
「そうですか?」
「むぅ。そういう君は、楽しくないの?」
「い、いえ! ただ、喜多見先輩見てると、なんというか落ち着くなぁって」
素直に思った事を口にする。らしくない事を言うのは柄じゃないけど、喜多見先輩はふーん、とちょっと嬉しそうに納得してくれたから良しとするか。
「ね、そう言えばなんで君はあの時私を引き止めたの?」
「え?」
「ほら、さっき、君が私を引き止めてたでしょ? 何でなのかなーっておねーさん気になっちゃって」
と、喜多見先輩はごもっともな質問を俺にぶつけてくる。
「なんて言うんですかね。高校の時に、気になってた人に似てるんですよ」
「えー? なになに、恋バナでもしてくれるの?」
「恋バナというか……まあ、似たようなもんですけどね」
喜多見先輩は自分が思っていたよりも、この話に食いついてくる。恋バナが好きな所があるあたり、喜多見先輩もまた1人の女の子なんだなと再確認しながら、そんな彼女との昔話を語る。あの時から今も抱いてる想いが恋なのかはまだ自分でもよく分からないんだけどさ。
「その人と出会ったのは、高校入りたての頃ぐらいですかね」
「うんうん、それで?」
「その人は2個上の先輩で、話し掛けることも出来なくて。いつも昼休みや放課後の廊下で擦れ違うだけでしたけど」
そう、ただの1度たりとも。 その気になれば喜多見先輩が1人きりの時なりに、俺から行動すれば、現在よりも早く先輩と知り合えていた話だ。けど、話すことは無くても、先輩と毎日廊下で擦れ違うその一瞬が、何だが俺には心地よかった。 代わり映えのしない俺の高校生活だったけど、その中でもコレだけは唯一俺が1番の思い出だと胸を張って言える。
すみません、1人だけ長ったらしく話してしまって、と言おうと口を開きかけた所で、ようやく喜多見先輩の頬が少しだけ赤くなってることに気づく。
「……まさか、ね」
「……先輩?」
1人フリーズしながら納得している喜多見先輩に声をかけようとした時に、コレまた絶妙なタイミングで店員さんが、両手にお盆に麻婆豆腐とご飯をそれぞれ2つずつ乗せながら提供し、ごゆっくり〜とスタスタとカウンターへと戻っていってしまった。 迅速にサービスを届けるお店だけど、この時だけは少しだけ不満に思ってしまった。
喜多見先輩の顔はなんてこと無かったようにケロッとしてて、俺はそれ以上聞くことをやめて、頂きますとだけ言って蓮華を手に取り、麻婆豆腐を救って口の中へと頬張る。
喜多見先輩の言う通り、香辛料の辛味がこれほどかという程凝縮されていてむせ返りそうだったけど、今まで食べた辛いものの中で1番優しかった気がした。
「んっー、美味しかったね!」
「そうですね。美味しい店紹介してくれて、ありがとうございました」
「いえいえ、期待の新人くんだし。でも良いの、ホントに奢って貰っちゃったけど?」
「はい、懐もまだ温まってましたから」
会計を済ませて、店を出る。喜多見先輩は新人君へのささやかなお祝いだとギリギリまで奢るよとは言っていたけど、そこは気持ちだけ受け取り、喜多見先輩の分まで支払った。正直俺のサイフ事情は余り良いとは言えないけど、今日起きた出来事らに比べれば2000円なんて些事なモノだ。
「じゃあ、私はここで」
「近くまで送ってきます?」
「ううん、家近いから平気だよ」
「そうですか。じゃあ、俺もここで」
そんな会話を交わして、喜多見先輩は自分の帰る方向とは真逆の方へと向かって歩き出していく。多分駅の近くか、少し離れた所なんだろう。そんなことを考えながら喜多見先輩の背中を見送っていると、何を思ったのか喜多見先輩は振り返り、
「じゃあ、火曜日から宜しくね。手塚くん!」
という言葉を言い残して、喜多見先輩は軽く手を振って今度こそ遠くへと離れていく。女性に、ましてや喜多見先輩にそう呼ばれるとは思わなくて、俺は思わずぎこちなく手を振って見送る。ちゃんと笑えてたかな。 その背中が完全に見えなくなるのを見届けて、俺は空へと視線へ向ける。太陽は完全に沈み、代わりにキレイな星々と月が空を暗い夜空を優しく照らしていた。
「早く、明後日が来ないかな」
いつもは憂鬱に感じる休日の終わりも、喜多見先輩に会えるという喜びへと変わりつつあった。
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