あなたはルピナスのように
ワト
第1話
それは俺がまだ高校生となって、初めての夏を迎えようとしていた時。 慣れないブレザーの制服にもようやく馴染み始め、梅雨の季節も乗り越えた頃。
ジリジリと身を蝕む程の暑さ。身体中から伝う汗が制服のワイシャツをぐじゃぐじゃに濡らしていて、不快な感覚を感じる。教室には幸いエアコンが付いているけど、移動教室の時はいつだって暑さとの戦いだった。
「高校入学してから3ヶ月か〜、前まで中学生だったつーのに」
「まあ、もう8月だしね。部活もあるからこのペースじゃあっという間に卒業だな」
「卒業出来ればいいな。中間考査、お前ら赤点ギリギリだったろ?」
「「うぐっ」」
級友たちにそう言って、級友らと屋内の渡り廊下を歩いていく。
俺の通う高校は少し変わっていて、学生棟と教職員棟に別れている。教職員棟に渡るためには、一旦外に出て専用玄関から行くか、陽射しに晒される屋根のない渡り廊下を歩くか、3年生の教室から通じる屋内の廊下の3つだ。
今回、前回の中間考査で不味い点数を取った2人は先生達から呼び出しを食らっていた。
俺は2人とは違って普通に平均点以上は取っていたから問題は無かった。寧ろ、付き添いとかいう面倒臭い事など今の時期ではなおさら来たくはなかった。だけどそれをするだけの目的があった。
「でさー、聞いてよ〜……」
「どーしたん?」
「この前、アタシの彼氏がさー」
その目的のモノは、直ぐにやってくる。向かい側からやってくる3人組の女子学生。その右端にほかの2人の話を楽しそうに聞いてる彼女を、俺は自然と目で追いかける。
知り合い、というわけでもない。あの人と会えるのはこの時間の、ごくわずかな時間だけだ。そんな名前も知らないあの人だけど、何故か俺の中で惹かれるモノがあった。
彼女の姿を見れるのは、俺の知ってる中ではこの一瞬だけだ。だからその一瞬だけでもと、向かい側からやってくる彼女を怪しまれない程度に姿を目に焼きつける。
そして、彼女と俺はすれ違う。
「────」
「────」
彼女から放たれる甘く、安らぎを与えるような匂いが、俺の鼻をツンと刺激する。彼女の髪からか、服からか、彼女自身からは分からないけど。
そんな彼女はというと、不意に歩みを止めて、コチラを見つめてきた気がする。一瞬だけ目と目が合った気がして、思わず立ち止まる。だけどその頃にはもう、彼女は一緒にいた女子生徒達との会話に戻っていてしまった。
「どうかしたか?」
急に足を止めた俺に声を掛けてくる級友に、なんでもないと言って足早に追い掛ける。
次こそは、話しかけられたら良いなという淡い期待を少しだけ持って。
結局、話し掛けることも、名前も知ることが出来ないまま彼女は卒業をしてしまった。後の卒業式で2個上の先輩だった、ということを卒業生退場の際に知った時にはもう、時すでに遅かったけど。
進級して月日は流れても、俺は彼女のことが頭から離れ無かった。
ほかの女の子よりちょっとだけ高く、 くせっ毛のハーフアップに揃えた髪を靡かせて、笑顔絶やさず飄々としている、あの彼女が。
そんな燻りの様なモヤモヤした気持ちを抱えたまま、高校を卒業した。
それが、思い出らしい思い出のない俺が唯一持ってる、たった1つの青春。
◆◆◆
「んーと……手塚翔太君? であってる?」
「はい、合ってます」
西日が差しかかるとある日の事、俺はこの街にあるドラッグストアの事務所で、この店の店長と対面している。理由は単に、バイトの面接だ。
3年の月日が経ち、俺は今年の春から大学生として大学へと通っている。
高校と大学生ではかなり環境も変わって、最初の1ヶ月間はドタバタで着いていくのでやっとだった。それでも時間が経てば慣れるもんで、大学の教授らによる講義を聴きながら、自分探しをする毎日。
そんな中で、母さんに人生経験の一環として面接だけでも良いから受けてこい、と求人情報を叩きつけた申込用紙に書かれていた場所がドラッグストアであったというだけだ。
この店を選んだ理由、週に何回出れるか、自己紹介、どんなことをやりたいかといった簡単な質疑に出来るだけハキハキと答えていく。 接客業をしてみたいという8割のホンネと、バイトなど、働けるならどこでも良いという2割のウソを混ぜて。
質疑を終え、固唾を飲んで様子を伺っていると、店長は暫く考えるような素振りを見せると、にこやかに俺に言う。
「うん。採用するかどうかだけど──君をアルバイトとして雇いたいと思っている」
「っ! ありがとうございます!」
どんな場面であれ、採用や受かった時とかは些細な事でも嬉しいものだ。
雇用契約書等や制服を受け取り、明後日の火曜日の夜から入る事を確認して、今日はお開きとなった。
事務所を出て、ドラッグストアのドアを出る。西陽は地平線の彼方へと今にも消えようとしていて、代わりに都会の喧騒と空に小さな星々が増していく。そんな空を一瞥して、歩き出した時。
「やっば! 遅刻遅刻〜〜!」
慌てて一人の女性が、入れ替わるように俺の真横を通り過ぎる。その時、感じたモノ。
甘くて、優しい、安らぎを感じるこの匂い。
「あ、あの!」
俺は慌てて、女性を引き止める。女性は俺の声に応えるように、振り返り──
「……どうかしました?」
「……あ」
その姿を、知っている。
不思議そうな顔でコチラを見ている女性の姿は、俺の知っているあの頃のカノジョが、美しく成長した姿だった。
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