第8話 優しい嘘

 女子高生活も二年目に入ると、環境に慣れてきたこともあって、つかの間のひと時を楽しみたくなるものらしい。来年は受験や就職で余裕が無くなることが分かっているだけに、高校二年生になった途端、まわりの友だちが、やけに合コンだ! コンパだ! と騒ぎ出した。合コンとコンパがどう違うのか、私にはさっぱり分からないけれど、そんな行きずりの出会いで知り合った人と付き合って、幸せになれると本気で考えているのだろうか?

「ねぇ、真子(まこ)と灯(あかり)は合コンに参加しないの?」

 クラスでも目立っている望愛(のあ)が声をかけてきた。今日もマスカラ盛り盛り。目力がスゴイ。今日の宿題のことを話していた真子とあたしは、お互いに顔を見合わせ首を振る。

「あたしたちはいいわ。ね? 真子?」

「……うん」

 恥ずかしそうに頷く真子を見て、相変わらず可愛いな。と密かに私は思う。

「そう? 女子高だと出会いってないんだからさ。あんたたちも努力しないと彼氏なんて出来ないよ?」

 望愛は、マスカラを盛った目をバチバチ瞬かせながら、捨て台詞のようにそう言って去って行った。

 女子高。ここは女の子だけが通う高校だ。当然のことながら、女の子しかいない。女子高と聞くと、清楚でおしとやかで、いい匂いがして。みたいなイメージを持っている人が多いと思うけれど、女の子だけとなると、遠慮する必要性がなくなるとも言える。スカートなんて気にすることもなく膝を大きく広げて座っている子や、授業中だろうとメイクの練習に励んでいる子、お菓子を持ちこんで休み時間に食べ続ける子など様々だ。大口を開けて周りを気にせず笑う子なんて、授業中の先生が気の毒になるほどだ。おそらく共学の高校ではありえない光景だと思う。

 ただ、中には本当に『女の子』という子もいる。あたしの隣りにいる真子は、まさにそう。

 小学校のときは私立の共学の学校に通っていたらしいのだけれど、真子は中学からこの高校へエレベーターで進学してきた生粋のお嬢様。腰まで伸ばした髪の毛を三つ編みにして、色素の薄い瞳は儚げだ。内気な真子は笑うときだってはにかんだように微笑む程度。ちょっと小さくて、華奢で、守ってあげたくなるというか。真子は理想の女の子像だと私はいつも思っている。 

一般的な女の子より背が高く、受験でギリギリこのお嬢様高へ入学したあたしとは雲泥の差だ。そんな凸凹コンビなあたしたちが、何故いつも一緒にいるのか自分でも不思議なくらい。

 合コンの話しなんて聞かなかったかのように、真子が教科書を揃えているのを見ながら、あたしはその睫の長さにうっとりと見惚れていた。

 今日の放課後は真子と何をして過ごそうかな? あたしは、二人で帰る帰り道を密かに楽しみにしていた。誰にも邪魔されず、真子が私にだけ笑いかけてくれる貴重な時間。

 だが、その日の放課後のことだった。

 いつものようにあたしと真子が連れ立って校門を出たとき、校門に寄りかかっていた他校の男の子が、「真子!」と馴れ馴れしく真子の名前を呼んで近づいてきた。あたしは防御本能を剥きだしにして、真子の前に立ちふさがろうとしたけれど、真子は「大丈夫よ」とほほ笑んで、その男の子に向かって手を振ると、なんの警戒心もなく近づいて行った。

「空(そら)くん、どうしたの?」

 真子とその男の子は知り合いらしい。空という名前の男の子は、照れくさそうな顔をしながら真子と話している。その顔を見れば一目瞭然。空って子は、真子のことが好きなのだ。二人が話しているのを少し離れたところから見ていたあたしは、いたたまれなくなり、真子に声をかけた。

「真子、あたし、先に帰るね!」

 そう言えば、真子はあたしと一緒に帰ってくれる。そう思ったからだった。でも……

「うん。じゃあ、また明日ね!」

 予想だにしなかった返事。そして、愕然とするあたしの前で、真子は空って子と二人で、あたしとは反対方向へと去って行った。それから……。放課後になると、決まって空って子が真子を迎えに来て、真子はあたしとではなく、空って子と一緒に帰って行く。

「あの子と付き合ってるの?」

 真子に聞いてみたかったけれど、返事を聞くのが怖くて聞けなかった。「そうよ」って言われたら、あたしはどうすればいいの?

 真子が離れていく。ずっと一緒だったのに。ずっと二人でいたのに。

 学校では平静を保っていたあたしだったけれど、真子が空って子と帰宅するようになって一週間。あたしの我慢の限界が近づいていた。だって、これから夏が来て、秋が来て、冬が来て、そのたびに恋人たちのイベントが増えてくる。カレカノとなれば、二人で海に行くことだって考えられるし、デートだと称して出かけることも増えるだろう。おまけにクリスマスになれば、二人で過ごし、その日に真子は……

 いらない想像、妄想が膨らんで、あたしは気が狂いそうになっていた。

 あたしはとうとう我慢のタガが振切れて、その日、二人の後をこっそりとつけた。二人が付きあっているのかどうかをどうしても知りたかったし、確かめたかったのだ。

 真子にとって空って子が、どういう存在なのか?

 真子は、空って子のことが好きなのか?

 どうしても知りたい。突き止めなければならない。

 あたしの前を歩いていく二人は、手をつなぐでもなく、駅に着くと電車に乗り込み、二駅隣りの街で下りた。真子の家の最寄駅だ。時折顔を見合わせ何か話しているけど、特別なことが起きる様子はない。電車から降りた後も二人は変わらず歩いていく。ただ、真子の表情が優しいこと。にこにこと笑っている真子を見ていると、真子もあの空って子のことを……そう思えてならない。

 ほどなくして、あたしも二度ほど来たことがある真子の家に着いた。真子は手を振り、家の中に入って行く。はあああ……何もなくて良かった。そう胸をなでおろすあたしの前で、信じられないことが起った。真子が自宅に入った後、空って子は、あろうことか、真子の自宅の隣りの家に入って行ったのだ。

 どういうこと? 真子と空は、隣同士? 幼馴染とかいうヤツ?

 空って子、なんて言ってられない。空。もう、空で十分! 自分の中で、もうすでに空はライバルだ。名前が呼び捨てに変換された。

 あたしはこの時どうかしていた。自分の中の何かがキレてしまっていたように思う。

 あたしは、空の家のチャイムを連打した。これでもかというほどの連打。チャイムの音が途切れることなく、何度も何度も聞こえてくる。すぐに、カバンをおろしただけの、制服のままの空が出てきた。そして、あたしを見ると怪訝な顔をしたけれど、あたしのことを思い出したらしい。

「あぁ、真子の……」

 何が真子の、だ。

 あたしは、隣の家の真子に聞こえないように、空の家の玄関に入って、後ろ手にドアを閉めた。ここ数週間我慢していたコトバが、口から飛び出していく。

「あんた、真子の何ナノ! 真子に変なことしたら承知しないから! 真子はきれいな子なの!

あんたみたいな男が近づけるような子じゃないの!」

 一気にまくしたてたあたしを見て、空は茫然としていたけど、何かに気が付いたようだった。

「あんた、真子のことが好きなんだ?」

 そのコトバに、あたしは動揺を隠せない。好きとか、そんなんじゃない。真子のことは大事で、

真子はきれいなままでいなくちゃダメだから、だから、あたしが守らなきゃって。そう思ってるだけで……そう、それだけ。あたしはそう思ってるだけ。自分に言い聞かせてみる。でも……

「好き……じゃ悪い?」

 心の中では認めつつも、これまで誰にも言えなかったあたしの本音が飛び出していた。気持ち悪いと言われるかもしれない。女の子が女の子を好きだなんて、普通じゃない。あたしだって、それくらいのこと分かってる。

「あんたと真子はどういう関係なの? 付き合ってるの?」

 もう自分を晒してしまったのだ。隠す必要なんてない。言いたいことを言ってしまえ! あたしは、自暴自棄になって叫んでいた。

「俺たちのことは、真子に聞けばいいじゃん」

 空は意地悪だ。あたしが真子に聞けないことを分かってるくせにそう言う。悔しい。あたしが女だってことが悔しい。

「真子に聞けないから、あんたに聞いてるんでしょ!」

 涙が浮かんできた。女であるあたしが、女である真子を好き。初めての「好き」を、こんな形で知ることになるなんて最悪だ。

 そのとき不意に、あたしの背後にあるドアが開いた。振り返ると、真子が立っている。制服を脱ぎ、フレアースカートに花模様のカーディガンを着ていた。三つ編みにされていた髪の毛がほどかれ、ゆるいウェーブが揺れている。

「……灯? どうしたの? どうして空くんの家に? ……泣いてるの?」

 真子が、あたしの顔を覗き込んでくる。

 どうしよう? こんな、こんな醜態をさらすなんて。真子に、真子に、あたしの気持ちを知られたら……動揺しているあたしの代わりに、空が平然と言う。

「こいつ、真子の家と間違って俺んちに入ってきたんだよ。今、隣りだって説明してたとこ」

 空の言うことを疑いもせず聞いていた真子だけれど、私が泣いていることに気づいたらしい。

「泣いてるの?」

 真子の心配そうな声。あたしは顔を上げられず、真子を見ることもできなかった。

「迷子になったんだってさ。それくらいで泣くなっつーの! 子供じゃねぇんだから!」

 冗談めかした空の口調。あたしは泣き顔を見られないよう、必死に俯いた。そんなあたしに構わず、空は真子にてきぱきと指示を出す。

「真子、とりあえずタオル持ってきてやれよ。こいつ、すげーブスになってっから」

「うん。分かった!」

 真子は玄関を出ると、扉を閉めるのも忘れ、急いで自分の家の方へと走って行く。空は裸足のまま玄関へ降りてくると、玄関の扉をそっと閉めた。あたしとの会話を真子に聞かせないように配慮してくれたらしい。あたしは涙のたまった目で、玄関に立つ空の顔を見上げた。

 普通の女の子たちよりあたしは背が高い。だけど、空はあたしよりずっと背が高く、体付きもしっかりしている。やっぱり全然違う。女の子と男の子は違うものなのだ。そんな当然のことにショックを受けていると、空がくすっと笑った。

「あいつ、天然だろ? タオルくらい、うちにもあるっつの。すぐ騙されんだ」

 そうして急にまじめな顔になると、玄関の上り口に座り、あたしの方へと顔を上げた。

「お前があいつのことを好きだってことは分かった」

 唐突に言われ、あたしの頬が紅潮してくる。知られてしまった。誰にも言えなかったことを。

「気持ち悪いって言うんでしょ? 同性を好きなんて、最悪って思ったんでしょ?」

 あたしは自嘲気味に言った。が、空は笑うこともなく至って真面目な顔で言った。

「人を好きになるって、性別とか関係ないじゃん。好かれるってことは、真子にそれだけ魅力があるってことなんだと思うし、別に恥ずかしいなんて思う必要ないんじゃねえ?」

 コトバはぶっきらぼうだけど、空の言葉にはウソがないように思えた。笑わないの? おかしいって言わないの? 意外な空の言葉に言葉が繋げないでいると、空はニッと唇の端を上げた。

「ま、真子のことは渡さねえけどな」

 カチン!

 ちょっとだけ感動した自分に腹が立つ。

「何よ! 男ってだけで偉そうにしないでよ! あたしだって! あたしだって!」

 言いたいことが詰まってコトバにならない。また涙が溢れてくる。そんなあたしを見ながら、やっぱり空は大真面目にあたしに言った。

「お前が真子のことを好きだってことは分かったし、それを否定しようとも思わない。でも、俺だって、物心ついたときからアイツのこと好きなんだ。だからお前も、俺のこと否定すんな」

 沈黙が落ち、あたしたちはお互いに見つめあったまま動けずにいた。目をそらしたら負けのような気がして。そこへ、タオルを手に抱えた真子が戻ってきた。バスタオルやフェイスタオルを四、五枚抱えている。

「灯、大丈夫だからね。駅までちゃんと送ってあげる。次にうちに来るときのために、地図も書くから。ね? だから、泣かないで?」

 真子は、あたしが迷子になって泣いていると信じ切っている。あたしのことを心配して、こんなに大量のタオルまで持ってきてくれた。もう、真子は……。真子だなあ。やっぱり。あたし、やっぱり真子が好きだよ。

「空くんと付き合ってるの?」

 聞けなかったコトバがするりと出た。真子は、あたしの顔をタオルで優しく拭きながら、「うん」と答えた。それは、迷いのない「うん」で、真子が空くんのことを好きなのだとはっきり分かる「うん」だった。

「そっか……」

 あたしは胸の痛みを抱えつつ、真子に向かってどうにか微笑んだ。空の顔を見る勇気は出なかった。けれど、あたしが負けなのは事実だ。

「空、真子のことお願いね!」

 真子にとっては意味不明だったと思うけど、そこは空がうまくウソをついてくれると思ったから。あたしは自分の気持ちを真子に伝えることに決めた。

「真子は、あたしの大事な人なんだから。大切にしないと怒るよ!」

 真子は、きょとんとしたけれど、すぐに微笑んだ。

「あたしも灯のこと大事だよ。大事な友だちだよ。大好きだもん」

 真子はにっこりと言う。その笑顔を見て、あぁ、玉砕……と、あたしは切なくなった。あたしの『大事』と、真子の『大事』は意味が違う。でも、これでいいと思えた。隠し続けるよりずっと。

「気を付けて帰れよ」

 空が冷静な声で言う。その声の中に、「真子のことは心配すんな」って意味が含まれているのを感じる。

「うん。ありがとう。いろいろ」

 あたしは真子の手をぎゅっと一度握って、その手を離した。そして、空の顔は見ないままぺこりと頭を下げると、そのまま玄関を飛び出した。

 あたしの目から涙がこぼれる。溢れるくらいの涙って、本当に出るんだ。そんなことを感じながら、今日だけ。 今日一日だけ泣いて、明日からは、真子の「友だち」に戻るんだ。あたしはそう決めて、夕焼けの空に向かってただひたすら走り続けた。

 


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