第3話 運命? のハジマリ

 私は猛烈に急いでいた。何しろ明日、私は大学に入学して初めて合コンというものに誘われたのだから。誘ってくれたのは高校のときからの友人で「彼氏が欲しいなら、明日は完璧な女の子になって参加すること!」と、私は指令を受けていた。「完璧な女の子」になれるかどうかは分からないけれど、自分でできる範囲は頑張らないと!

 彼氏いない歴十八年の私の歴史を、新しい歴史に更新しなければ! 私はそう決意していた。

 だから、今朝までは気にもしていなかった服装も、改革だ! と思い立ち、私は講義が終わるが早いか大学を飛び出し、オシャレな服を買うために、今こうやって、横断歩道で信号が変わるのを、今か今かと待っている。

 大通りなので交通量も多く、横断歩道で信号待ちをしている人もけっこうな人数だ。人ごみはあまり好きじゃないけれど、この際我慢は必要。仕方ない。

 この大通りを渡った向こう側へ出れば、私は滅多に行かないけれど、オシャレなお店が立ち並ぶ通りに出る。そこへ行って、ショップのお姉さんたちに相談して、今日までの私とは違う、生まれ変わった私になって、明日みんなをびっくりさせるんだ!

 内心、自分がどういうふうに変われるのか? というのも楽しみで、私は浮き足だっていた。でも、目はしっかり前を見ていて、横断歩道の向こう側で信号待ちをしながら、携帯をいじっている同じ年くらいの男の子の存在を私は見逃さなかった。

 たくさんの人の中でも彼は目立っていて、私とは生きてる世界が違う人種だということを、自分の目の中で察知していた。オレンジに近い茶髪の髪をピンピン立てて、やけにオシャレな服装。着崩した感がセクシーにさえ見える。私に言わせれば、チャラ男のイメージそのもので、到底私とは相いれない存在だ。彼は携帯をポケットに入れると、キョロキョロとあたりを見回していた。

 何? 何? ナンパできそうな女の子でも探してるわけ?

 別に彼だけを見ていたわけじゃないけれど、彼が目立っているから、どうしても目の隅に入ってくる。

 と、信号が青になり、こちらからも、向こうからも、人ごみが動き出す。ちょうどそのとき、私のスマホがカバンの中で振動したのを感じ、ラインの音がした。私はバッグからスマホを取り出すと、歩きながら操作を始めた。スマホの画面に夢中になっていると、私の目の前に誰かが来て、その気配を感じた私は右へよけた。と同時に、相手も同じ方向へよけ、また私たちはぶつかりそうになる。

 なんなの? と思いながら、私が左側へよけると、相手もまた同時に同じ側によけ、私たちはまたぶつかりそうになる。右へ左へ、何度か繰り返していると、相手が口を開いた。

「あんたさぁ、歩きながらスマホいじるの止めたら? すげえ迷惑! 前向いて歩きなよ!」

 はっとして顔を上げて驚いた! さっきのチャラ男! チャラ男に言われるなんて!

 私はちょっとムッとしながら「あなたも同じ方向によけないで、少しは気を利かせたら?」と言い返した。いつもなら言えない言葉も、今日の私は言えてしまう。だって私、自分を改革するんだもん。

「クソ生意気な女だな。お前……」

 背が高い彼は私を見下ろし、不機嫌そうにいう。

「じゃあ、俺は左へ行く。あんたも左へ進め。そうしたら、もう邪魔にはならないし、前に進める」

 私はしぶしぶ頷き、言われた通りに左側へ、わざと大きな一歩を踏み出した。と、左のお尻側に弾力があって「あっ!」という声が聞こえた後、私の目の前をゆっくりと赤い風船が上っていくのが見えた。

「あああああああーーーーーー! ママーーーーーー! 僕の風船が飛んでっちゃうーーーー!」

 お尻の感触から振り返ると、幼稚園くらいの男の子が道路にお尻をついていて、今私がぶつかった反動で手を離してしまったのであろう風船を追って、必死に空を見上げて叫んでいた。

 あー、ヤバい! 泣かしちゃう!

 私には届かない距離に飛び立っていく赤い風船。ただただその遠ざかる風船を見ながら途方に暮れていると、近くにあった少し大き目の銅像に上っていく影が見えた。そして、その影は、その銅像から空に向かって大きくジャンプをすると、手を伸ばして、ぐん! と伸ばして、見事に風船のひもを掴んで着地をした。とてもキレイな飛び方で、空の色ともマッチして、私は思わずキレイと呟いていた。

 その影は、風船を持ってくると、すっと男の子に差出し「もう離すんじゃねーぞ」と微笑んだ。

 その顔をみて、またも驚く。さっきの! さっきのチャラ男!

 風船を持った男の子が行ってしまうと、彼はまた私に向かって歩いてきた。横断歩道のど真ん中だ。

「あんた、ほんとドンくせー。助けてもらったんだから、お礼くらい言ったらどう?」

 見かけもだけど、中身も嫌味ったらしいことこの上ない。

「そりゃーどうも。ありがとうございました!」

 あさっての方向を見ながらとりあえずのお礼を告げると、ヤツはムッとしたようだった。

「気持ちがこもってねー」

「あんたが左に進めって言ったんでしょう? 私だけじゃなくて、あんたの責任でもあるのよ?」

「かわいくねー。マジかわいくねー」

 チャラ男は何度もつぶやくと、あきらめたように言った。

「んじゃ、今度は俺は右に行く。あんたは好きなほうに行きな!」

「言われなくても、自分で選んだ道を進むわよ!」

 信号が点滅し始め、私とチャラ男は、それぞれの方向を見据え、お互いの行きたい方向へ進もうと一歩を踏み出した。ぶつかることもなく。が、その私とチャラ男の間に、腰の曲がったおばあちゃんがいたのだ。言い争っているうちに、私たちの間に入り込んできてしまっていたらしい。

 信号が点滅している。

 おばあちゃんはまだ横断歩道のど真ん中。手には大荷物。おばあちゃんは、チャラ男と同じ方向に向かう予定のようだった。私たちだけなら、走れば全然余裕。だけど、おばあちゃんは到底無理だ。私は向こう側へ渡るのをあきらめて、おばあちゃんの荷物を持った。

「おばあちゃん、荷物持ちますから、急げます?」

 私が声をかけると、おばあちゃんはにっこりとシワシワの顔をほころばせた。

「すみませんねぇ。おじいちゃんがお蜜柑を食べたいって言うから買いにきたんだけれど……」

 私が荷物を持ってはみたけれど、おばあちゃんの歩行時間には限界がある。かといって、私が荷物を持ったうえに、おばあちゃんを抱え上げることは出来ない。そうしているうちに信号が赤に変わり、車が停まってくれることもなく、私たちは横断歩道の真ん中に取り残されたまま戸惑っていた。

 私はともかく、おばあちゃんをどうにかしてあげないと絶対危ない。でも、どうすれば?

 荷物を持って、おばあちゃんの手を引いて戸惑っていると、車を避けながら、私たちの方へ走り寄って来てくれた人がいた。

 ほんの一瞬だけ、私はその人に深く深く感謝した。世の中、まだ捨てたもんじゃないって。だけど、それが誰だか分かった瞬間、気持ちが急速にしぼんだ。

「あんた、マジでダッセーな。しかも今、俺が来たことがわかって、めっちゃ嫌な顔しただろ!」

 口は悪い。でも彼は、おばあちゃんの前にしゃがみこむと、背中を向けた。

「おばあちゃん、乗って!」

 おばあちゃんは、さっきから繰り返している「すみませんねぇ」をまた何度もつぶやきながら、彼の背にのっかった。

「行くぞ。アンタは自力で渡ってこいよ?」

「……わかってるわよ!」

 きーーー! またもコイツに助けられるなんて。屈辱!

 車をどうにかよけながら、私が元いた道路側にたどり着き、彼はおばあちゃんを背中からおろした。

「すみませんねぇ。一人だったら、どうなってたことか。これ、お礼にもならないけど、良かったらもらってね」

 おばあちゃんが、私とヤツの手のひらに、それぞれ蜜柑を二つずつ。

「おばあちゃん、いいですよ。お礼なんて。おじいちゃんが蜜柑食べたいって言ってたんでしょう? おじいちゃんの分がなくなっちゃう」

「そっすよ。俺らは別に、お礼がもらいたくて手伝ったわけじゃないんで」

 おばあちゃんは、シワシワの顔をさらにシワシワにして微笑んだ。

「あなたたち、ほんとに仲良しさんなんじゃねぇ」

 は? 私と彼は思わず目を交わした。

「いやいやいや、コイツとは今会ったばかりですから!」

「そっすよ!こんなダッセー女、こっちから願い下げですから!」

 お互いに首や手を振り、関係ない! と言い合う私たちを見て、おばあちゃんがにこにこと笑った。

「ふふふふふ。出会ったばっかりでそんなにも気が合うんじゃから、これは運命かもしれんねぇ」

 しみじみ言うおばあちゃん。そして、ドギマギしている私たちをそこに残し、ゆっくりとお辞儀をすると、またまたゆっくりと去って行った。その背が見えなくなるのをのんびりと見つめていた私と彼……手の中には、蜜柑。

「で? あんた、あっちへ渡んなきゃいけないんじゃないの?」

 ヤツに言われて、本来の目的を思い出した私。

「あ、そうだった」

 私はくるりと向きを変え、横断歩道に再び向き合う。

「どこに行く予定?」

「え?」

「あっちの通りのどこに行くの?」

 彼が私の隣に並ぶ。

「アンタに関係ないでしょ! ちょっと? アンタはこっち側に用事があるんでしょ?」

「別に。俺の勝手じゃん」

 私は嫌な予感がして言った。

「ついてこないでよ?」

「なんで?」

「なんで? って、さっきから言ってるでしょ! アンタには関係ないって」

「だから俺も言ってるじゃん。アンタについていくかどうかは、俺の勝手だって」

 ヘラヘラと笑う彼が憎たらしい。

「あのね! 私は明日合コンっていう勝負の日が待ってるの! 人生初の彼氏をゲットできるかどうかの勝負の日なの! だから、可愛い洋服をコーディネイトしてもらって、めっちゃ可愛くなる方法を教わりに行くの。だから、アンタは邪魔なの! ついてこないで! わかった?」

 私が一気にまくしたてると、彼はプッと吹き出した。

「可愛くなる方法なんて、そんなとこ行かなくても、俺が教えてやるよ」

「は?」

「試しに、携帯番号教えてよ」

「は?」

 もう意味が分からない。ヤツは呆れた顔で私を見て一言。

「アンタって、マジでドンくせーのな」

「何? どういうこと?」

 訳が分からない私の耳に、彼はそっと顔を寄せると、艶っぽく囁いた。

「俺が今、アンタをナンパしてんだよ」

 その言葉に、弾かれたように彼から飛び退く。

「ほら、そういうの、そういうのが可愛い女の子っていうんだぜ?」

 私の顔に熱が集中してくる。

「ほら、可愛い。可愛い」

 からかわれているような気がしないでもないけれど、さっきのおばあちゃんが言う「運命」なのかな? と思ったり。

「ってことで、あっち側に渡る必要はなくなったよね? んじゃ、遊びにでも行きますか!」

 彼はなんてことないように私と手をつなぐ。……チャラい。そう思うのに、この手を振りほどけない。グイグイ手を引かれながら、とりあえず、明日の合コンは、キャンセルのメール入れるかな? と思った。

 ナンパになんてついていく私も私だけれど、おばあちゃんが言う運命なのかもしれないと密かに思ったりもして。

 これが、携帯番号も名前も知らない、そんな彼と私の、コイノハジマリ。








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