第9話 精神病院の休日

 ここにいる人たちが休みの日に何をしているのかというと、何もしていないというのが事実だった。

 もっとも、医師や看護師は休みがあってないようなものだったし、患者たちにはそもそも休みも何もない。

 私たちわりと暇な事務員たちは始終顔を合わせているのだから、休みの日くらい別々に行動したい。だが、ここではすぐに鉢合わせになるし、そもそもやることがない。結果、それぞれアパートの部屋で本を読むかDVDを観るか、それくらいしかなかった。

「敷地の外に出てみたいと思いませんか」

 一度、私は木原に聞いたことがある。木原はこの施設から出ていくことかと勘違いしたが、単に休みの日に息抜きでという意味だと説明するとなぜか安心したように答えた。

「私はやることがありませんし……もともと、休みの日をどう使えばいいか悩んだ方で。部屋でプラモデルをやるとか、せいぜいそれくらいでした。今ではもう、そんなにやりたいとは思いません」

「もう、年齢も年齢ですし、若い人みたいに何かに挑戦したいとは思いません」

「街中に出かけても恐ろしいだけですし、ちょっとしたことでいちゃもんをつけられたり……私はうるさいのや混んでいるのが苦手で」

「休みの日に車を借りてちょっと麓までということを考えたこともありますが、今さらここ以外の人に会うのもちょっと怖い気がするんです」

「それに、麓まで行ってもやることがないですし、さらに先の町まで行っても、せいぜいボーリングとかそれくらいですからね」

「ここでは湖を中心にすべてが静かに流れているようです。周囲の森も、青い空も、吹く風も、私にはこれくらいが心地良いんですよ」

 木原はだいたい以上のようなことを語っていた。彼は時おり目を細め、視線をその場に落とし、草を掻いつまむような動きをしていた。自分を若いと思っているのか、年寄と思っているのか、よくわからない男だった。

 実際、外出をする人は少ないようだった。一部の精神科医や看護師、それに田沼などは仕事の関係もあってか、週に一度くらい車で出かけているようだった。それ以外の人たちは来たばかりの頃は試しに出かけてみることもあったが、そのうちしなくなるというのが実状だった。

「でも、自転車に乗りたいな」

 木原はふと少年のように言った。

「自転車に乗りたい。さっそうとこの湖の周りを駆け抜けたい……でも、無理だろうな。脱走の手段に使われる恐れがあるものはすべて……」

 それが患者の脱走のことを言っているのか、それとも木原自身のことを言っているのか、私にはわからなかった。

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