第3話 メモは禁止

 栄養満点の食事が提供される食堂は地下にあり、その片隅には非常扉があった。さらに地下へと続く階段が扉の向こうにあるわけだが、関係者以外立入禁止とされていた。

 食堂は学生食堂や社員食堂といった感じだった。ただ、ここもロビーと同様、新しいのに古びているという印象があった。

 食事はうまくもなくまずくもなく、メニューもありきたりだったが、食堂のおばさんたちはありがちなことだが元気だった。

 事務員の古瀬という男がたまに私の前にすわり、たいてい悪口を言っていた。

 彼はガタイが良かったが、若いのにすでに腹が出ていた。場所に似合わず日焼けしていて、腹がへこめばハンサムなのかなとも思った。

「ここの食べ物はまずいですよね。味が薄くて。ハンバーガーとかラーメンとか食べたいですよね。せいぜいカップラーメンですもんね」

 私は完全に聞き役だったわけだが、はたから見れば二人で陰口を叩いているように見えたかもしれない。

 古瀬の言い分はだいたい次のように分類された。

「木原さんが女性患者にちょっかいを出しているという噂はもう病院中に広まってますよ」

「あの人のことが嫌いなのは一人や二人じゃない」

「彼は人間嫌いなんですよ。没コミュニケーションです。仕事も遅いし」

 おそらく私のこともあちこちで悪く言っているのだろうなと思った。また私が言ったことやしたことが拡大解釈や歪曲をされて周囲に伝えられていそうだなとも思った。

「患者用と職員用で鍋が分かれているでしょう。なぜでしょうね。見た目はほとんど同じなのに。患者用の方が味が薄いとか、栄養が豊富とか、あるんですかね」

 患者たちはひっそりと食べていたが、たまに奇声をあげたり笑いだしたり、スプーンを落としたりした。次第に慣れていきそうなものだが、これだけはなかなか慣れることができなかった。

「今時、スマホもパソコンも使えないんですよ。テレビだって観られない。雑誌も、本すらない。完全に情報社会から遮断されているじゃないですか。よくこんな所で仕事が続くもんですよね。その上、会話をするなだって。雑談禁止令が敷かれているんですよ。休憩中でもなるべく雑談するなって、まさに監獄じゃないですか」

 職員同士を監視し合わせ、密告した者に金一封を授けるというシステムも存在するようだった。いがみ合いをさせることで結束力を弱め、組織側に与させやすくするための仕組みなのだろう。

 だが、それより私が気になったのはメモも禁止ということだった。業務上必要なことはしかるべき人がノートなりパソコンなりに残しておくから、それ以外の人はメモをとる必要すらない、という。

 だから、ペンもいらないでしょう。

 情報はしっかりと管理しなくてはななりませんから。コンプライアンスという言葉を知っていますか。とにかく「守れ」ということです。

 水井さん、勉強熱心なのはいいですが、メモをとることは感心しませんな。

 このペンは預かっておきます。

 そう言って田沼が去っていったときのことを思い出していた。

 ただ、私は他にも数本のペンを隠し持っていた。問題は何に書くかだった。紙かそれに代わるものが必要だった。

 いかに私の記憶力が良くとも記憶だけに頼るのは危険だった。それに、私の記憶もどこかあやしい部分があった。

 スプーンで栄養満点のスープを口に運ぶたびに、そう思った。

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