第四話

 

 丘上にそびえ立つ——剣聖宮殿に帰還し、専属メイドのティエルにドレスを脱ぐのを手伝ってもらい、動きやすい服装に着替えた。談話の広間から外に出て、集合場所のテラスに行くと、アベルとセシルがお酒を持ち寄ってテーブルに並べていた。


「祝ってくれるのは嬉しいのですが、お師匠様のお酒を開けるのは、やっぱり止めま―—」


 ――栓を抜き、三つの杯にお酒を注ぐセシル。


「師匠は強すぎる故に退屈しているんだよ。抑止力として帝都に縛られてあまり動けないし、日常に刺激が足りないのさ。そもそも、鍵を取られた瞬間には気付いてたよ。してやられての黙認だから大丈夫さ」


 セシルから変な影響をくれぐれも受けない様にと、ティエルに言われている。果たして、このお酒は飲んでもよいのだろうか。


「ユア、セシルの言っている事は本当だから大丈夫だぞ」


 どうやら疑心が顔に出ていたようだ。まあ、もし違っていたら、今回はいつもお世話になっているお礼として酒代を献上しようと思う。


「分かりました。有難く頂戴しましょう」


「では、師匠から奪った美酒に乾杯」


 セシルの音頭で杯を交わし、ゴブレットを傾けピンク色のお酒を口にした。数種類の果実と木の芳醇さが口に広がり、調和された旨味と程よい酸味が喉を潤す。


「これ凄く美味しいですね。何ていうお酒ですか?」


「血酒だよ」


 私が杯を傾けお酒を口にした所で、その名が告げられた——口に含んだお酒が、喉を通らなくなった……。


「血吸いのブラッディトレントと見た目がそっくりな果実吸いの樹ジュッシィトレントから取れるお酒だよ。別名はエルフ酒だよ」


 エルフ酒の方を先に知りたかった。セシルがニヤニヤしているので、狙って言ったのだろう。


「――酷いです、セシル」


「ハハっ、このお酒の風物詩さ。このお酒を巡って人族とエルフが揉めていた事があって、その諍いも三代目剣聖カーライル=サ=エイオスが収めたのさ。彼を讃える人は、このお酒をカーライルと呼ぶよ」


 カーライル=サ=エイオス、エイオスの森に住まう“サの氏族のエルフ”で、エイオスの森に存在する複数の氏族を纏めた偉人、帝国とエイオスの民を繋げた功労者である。


 エイオスの森は海に面しており、他の大陸からエイオスの森を狙って、獣人が船で大陸を渡る準備をしているとの情報を帝国は得ていた。

 種族差別――己の種族こそ至高であるとした国の多くは、奴隷制度が当然の様に存在する統治である事が多い。世の覇権を握るため他国の侵略を目的としている。

 そのような国柄の獣人が迫ってこようとしていた。エイオスの森の次は帝国を侵略しようとするだろう。帝国としては上陸前に叩きたいが、エイオスの森に住まうエルフ達の理解が必要であった。

 自国の民の為、エイオスの森に武力行使を仕掛ける意見は出ていたが、帝王は武力行使する事を決して許さなかった。『同盟を結ぶ起点の帝国が蹂躙を行えば、同盟国との信頼関係は崩れる』と帝王は仰られたとの事。

 先見の目で、二代目剣聖アズトルフォ=アージェスが後任に据えた――三代目剣聖カーライルの存在は、王印の許可無しに武力行使の強行に待ったをかける抑止力になり——エイオスの港が出来上がる。エイオス沖の海上戦の後、人族とエルフが共に暮らすエイオスの港街が誕生した。


「学園で習う内容だと、お酒の事は書かれてなかったのですが……」


「酒の諍いを治める剣聖では格好が付かないし、同族の狭量は恥だとかで、本人が消させたらしいよ」


「その本人から聞いたような話は何処から得たのですか?」


「父が彼の名を冠する酒を用意した時に、その本人が語っていたんだよ。カーライルは僕の一人目のお師匠なのさ。幼少の頃、父がお師匠を招いてくれて剣を習っていたんだよね」


 確か、フォード家は辺境伯だった筈。私は庶民だったので勉強不足だ。今日のパーティの為に所作の手解きは少し受けたけれど、基本的に学ぶのは戦闘系である。


「それは初耳だな」


「アベルは、血酒って言っても反応が薄かったからね」


「血の味も匂いもしないからな」


 言われてみたらその通りである。尤も知っているのは自分の傷口を舐めた時の血の味と、肉を調理する際に知覚できる――血抜きされているものと血抜きがされていない肉の生臭さであり、解体の仕方でそれはかわるらしい。


「アベルは良いとこ取りだよね。膂力も強いし夜目も効くし、匂いで山菜を見つけられるのはずるいよ」


 アベルの瞳孔は縦長で、それは獣人の特徴であった。


「香水の臭いがきつく感じたり、良い事ばかりでもない。一部のあまり身体を洗わない獣人の強い臭いの良さとか、混血だと分からないからな」


 アベルは、私よりも先にバルコニーへ退避していた。私の場合は気疲れだけれども……。

 混血が半端者と言われる所以――どちらにも成りきれない事を気にしている者もいるので、踏み込めなかった話題である。それよりも、


「私、香水を付けているのですが、流して来た方がいいですよね?」


 普段は付けないけれど、パーティーに行くならとティエルが香水を用意してくれたから、せっかくなので香水を付けたのだ。


「自然と同じ花の香りだから大丈夫だ。あまり匂いを濃縮していない香水は珍しいな」


 臭いが強くないのに香るとは不思議な香水である。腕の匂いを嗅ぐとまだ香りが残っている。鼻が麻痺する程、香りがきつくないからだろうか。でも、それでは持続性が弱くなる。


「ああ、ティエルとサーシャが作ってたヤツかな。僕の部屋にある工房で香水を作ってたのを見てたよ。ティエルは植物方面の魔学に詳しくて、サーシャは錬金術の錬成が得意なんだよね。二人でよく勉強会やら実験をしているよ」


 サーシャはセシルの専属メイドである。剣聖宮殿は人材宝庫な気がする。


「それは良い事を聞きました。暇があったら私も混ざりたいです」


「もう少し剣の腕を精進させたら、工房を貸してあげるよ」


 今までも、気合いを入れてなかった訳ではないが、俄然ヤル気が出た。


 雲に隠れていた片割れの月が顔を出し、二つの月の月光が地上に降り注ぐ。暫くするとテラスのタイルに魔力が溜まり、幻想的な淡い光が“ぽわぽわ”と立ち昇る。この光は、リラックスを高める効果があるらしい。


 素敵な白魔術だ――帝剣に成り立ての頃と比べると心に余裕が出来た気がする。


 少し前であれば、趣味でも勉強するなら本職に役立つ攻撃魔法でなければならない等、凝り固まった考えで物事を決めていた気がする。型にハマり過ぎと注意されたので、それが良い影響を及ぼしたのかもしれない。武芸から学び、活かせる事は戦闘以外にもあるようだ。


 意外と思うのは失礼かもしれないが、セシルは魔学や魔術にも精通していて博識であった。武器系の魔道具を製作するのが趣味らしい。アベルは様々な武器を収集しており、部屋に飾ってあるらしいが、セシルが勝手に武器を置いていく事に対して、倉庫ではないと文句を漏らしていた。

 アベルとセシルが言い争う光景を眺め、本当に二人は仲が良いなと思った。


 後日、ティエル達に香水のお礼を伝えた。そして、お師匠様からお咎めはなかった。

 仕事をしてお酒を飲み、少し大人の階段を登った気がした。

 

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