タイムスリップとバスケと紙の鎧

「どうして、どうしてこんなことに……」




 私が何とか絞り出した声は、震えすぎていて傍からは聞き取れなかったと思う。


 手に持っているナイフをぎゅっと握りしめて、その場にうずくまった。




「もう、こんなこと、したくないのに……」




 私は人を殺した。だが、本当は殺しなんてしたくないのだ。心ではそう思っていても気が付いたら人を殺してしまう。殺人を繰り返すたびに、死にたくなった。自分が人でなくなっていく感覚に、はけ口のない耐えがたい陰鬱な圧迫感を感じていた。




 これ以上、自分を殺人者にしてはいけない。心を壊してはいけない。しかし、自分の殺意を自分で制御できない。そこで私がだした結論は、過去に行き、自分の殺人を止めることだった。殺人を重ねようとするたびに私自身の手で止めることで、殺人をしたという事実をなくそうという魂胆だ。そうすれば、心の平穏を取り戻せる。そう考えたのだ。




 早速私は過去へ飛び、自分の監視を始めた。


 今、――正確には過去なのだが――私がいる場所は自身が通っていた中学の校門だ。校舎の新しさが私の記憶と変わらないことからして、タイプスリップには成功していると考えてよいだろう。


 最初に殺人を犯したのは中学生の時、相手は部活の友人だった。赤く染まったエレベーターの扉を今でも覚えている。とりあえず、そこに向かおう。私は校門を何事もないかのように通り抜け、件のエレベーターへと向かった。




 エレベーターが見える位置に隠れ、その時を待っていると、奥に何やら人影があることに気が付いた。遠目でよくわからないが、その人はじっと動かず、どこか一点を見ているようだ。どことなく見覚えのある雰囲気に私は目を離せなくなり、彼をしばらく観察していた。ふと、私達の目が合った。向こうも私に気が付いた。その瞬間、頭の中に電流が走った。




 彼は私だ。




 それも、この時代の私ではない。




 別の時代から来た私だ。




 私は少し身構えた。彼の目的がわからない。私にはタイムスリップした記憶がないのだ。もしかしたら私は殺人の阻止を失敗し、それを彼が何とかするつもりでここにいるのかもしれない。だが、それは希望的観測だ。私が彼から目を離せずにいると、彼も私が私であることに気が付いたようで口角を不気味に上げ、私のほうに向かって走り出した。隠れて見えなかった左手には、日本刀を持っていた。明確な殺意だ。私はわけもわからず逃げ出した。




 まさか殺しにくるとは思わなかった。自分で自分を殺すなんて正気の発想ではない。確実にどうかしている。階段を三段飛ばしで駆け上がり、古い記憶を頼りに障害物の多い道を駆けていく。


 振り返ると彼はついてきていた。その手に持っている刀にべっとりと緑の液体が付着していた。おそらく私を追いながら何人も殺したのだろう。悲鳴などが聞こえなかったことから、おそらく瞬殺だったのだろう。走りながらのその手際に感動しつつ、同時にその巧みな殺害技術が自分に向いていることに慄いた。


 どれだけ走っただろうか。すでに舌は溶けきっており、上あごと下あごはほとんどくっついていた。4階の渡り廊下に差し掛かったところで、私は文庫本の厚さほどしかない細長い扉を見つけた。あたりを見渡し少し逡巡した後、意を決してその扉を潜り抜けた。扉は、細さのわりに奥行きがあり、向こう側に出るまで2分以上かかった。


 扉を抜け、肺の空気をひとしきり交換すると、扉の中から声が聞こえた。彼が詰まっていた。必死にもがいている様子だったが、前にも後ろにも動けていない。私を追える状態ではないだろう。安心からか疲れからか、私はその場に倒れこみ、携帯電話でクラスの友人にメールし、そのまま眠りについた。










 師匠が過去に行って自分の殺人を止めたそうだ。これは夢なので、僕はそのことを知っていた。かくいう僕も現在中学校に来ている。師匠が自分自身と追いかけっこしていた中学だ。先ほどまで見ていた夢を思い出しながら、先ほど師匠が走っていた道のりを辿っていると、ほどなくして師匠を見つけることができた。


 彼は意味の分からないうめき声をあげながら、自分の首、頸動脈のあたりをメスで斬り続けていた。僕が何度呼びかけても反応がない。師匠は既に廃人になってしまっていた。


 僕はそんな師匠を見て、何か力になりたいと素直に思った。今まで何度もお世話になってきた恩を、今こそ返せると思ったのだ。




 僕はいろいろなことを教えた。あいさつや常識、面白い遊びなんかも時間をかけて教えた。それを経て僕は、アフリカの子供たちにも何かしたいと思うようになったので、僕は体育館に戻り、ハーフタイム中だったバスケ部のメンバーに合流した。


 ハーフタイムが終わり、最後のクォーターが始まった。僕も試合に参加した。ボールと点は互いのチームを行ったり来たりしていた。同点で迎えたラスト10秒、敵のパスを僕がカットインし、ブザーと同時にシュートを決めた。チームのベンチからは大歓声が上がった。僕も嬉しくなり、彼らと抱き合い喜びを分かち合った。幸福だった。


 しかし、その幸せは突如として訪れた違和感によってかき消された。チームメイトの姿が僕の知っているものとかみ合わない。正確には、僕の知っている”年齢”とかみ合わない。


 どうやら僕は、精神だけ過去にタイムスリップしてしまっていたようだった。僕だけが呆然と立ち尽くしていることに、僕以外の誰もが気が付かなかった。




 試合が終了すると、仲間たちはこぞって喫煙所に向かった。僕はすることもなくなったので、特に行く当てもないが体育館を出ることにした。


 体育館と校舎をつなぐ通路で、どこかで見たような二人組を見かけた。すれ違うその瞬間までその顔を思い出すことができなかったが、よく見たら彼らは指名手配中の殺人犯だった。交番や駅で張り出されていたその顔とは一切が異なっているが、僕は確信していた。




 僕は彼らの前で肩を掴み、体育館へ入っていくことを阻止した。嫌な予感がしたのだ。このままでは彼らが死んでしまう、そういった予感だ。僕の予感はこういうものに限ってあたるのだ。


 彼らは怪訝な表情を浮かべるが、やがて僕を無視して体育館へ入ろうとした。


 しかしそれはかなわなかった。体育館の入り口を入ってすぐ横の壁が外側から吹き飛ばされたのだ。大きな音と土煙に襲われるが、人の気配を感じて爆発地点のほうへ視線を向ける。


 そこには全身を何重にも束ねた真っ白い紙で覆った謎の人物が立っていた。顔が紙で見えず、体のラインなどもわからないので、性別さえ分からなかった。




 僕は両親の仇であるその紙鎧の人間を追いかけた。重量感のある見た目に反して、それの走りは速かった。追い付けないほどではなかったが、彼の厄介なところはそこではなかった。捕まえるたびに、中身が下っ端と入れ替わっているのだ。 それに、鎧を捕まえるたびに、チームメイトが殺されていった。




 僕はどうしていいのかわからなくなり、捕まえるたびにその下っ端を殺した。


 殺して殺して、遂に鎧が現れなくなると、今度は三人の女が天井を突き破って目の前に飛び出してきた。


 彼女らはナイフを持っている。先ほどの下っ端と比較したらいくらか強いだろう。僕は心新たに彼女らと交戦するが、圧倒的に自分のほうが強いことにきがつくのに、そう時間はかからなかった。


 まず1人、壁にびっしりと生えている鉄のとげに掴んだ頭を叩きつけようとしたところで、2人目が僕の背中を刺して妨害した。僕が刺されたことを皮切りに、他の仲間たちも敵と交戦し始めた。


 しかし仲間はまだ中学生。いかんせん実力も不足しており、まともに戦えていない。


 僕がメガホンを片手に仲間へ向けて指示を飛ばすが、それを無視した一人の生徒がバイクで仲間ごと敵を轢いてしまった。

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今日の私の夢 おこめ大統領 @Hebyoshi

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