眼球と幻覚とオムライス

「やってしまった……」




 私はリビングにある室内干し用ピンチハンガーの前で肩を落としうなだれていた。


 今朝のことだった。日の出とともに起床した私は、いつものようにその時見た夢をメモに取ろうとしていた。しかし寝ぼけていた私は何を思ったか、自身の右目を抉り出してしまったのだ。




 ピンチハンガーには丸めたタオルが洗濯ばさみで吊るされている。取り出された眼球はあの中に保存されている。医者に行くまで自然な状態に保っておくためだ。現在は朝6時。病院が開くにはまだ少し時間がかかりそうだ。




 私は眼球をなくした右瞼を固く閉じて、なぜあんなことをしてしまったのかを後悔し続けた。もしこのまま戻らず一生眼帯生活になってしまったら、中二病みたいで恥ずかしい。叶うことなら今日中に元に戻りたかった。




 しばらくして、家にいてクヨクヨしていてもしょうがないと思った私は、駅前の小さなビルに歩いて向かった。ここにはお気に入りの本屋があるので、そこで気分転換兼時間つぶしをしようと考えたのだ。


 このビルはかなり昔に建てられたということもあり、あちこちにひび割れがあり、雨漏りもしている。極めつけはエレベーターだ。手動の鉄格子のようなその扉は、昔見た炭鉱映画で使われていた位古めかしく、原始的なものだった。


 それに乗り、目的の階のボタンを押すと、自由落下のような速度で上昇しだした。本屋についた私はまず、スマホのメモに書いてある『面白そうな本リスト』を見るためにスマホを取り出した。ついでにLINEを開くとかなりの量の通知が来ていることに気が付いた。どうやら学校のクラスで作ったグループが荒れているようだ。ある人が自分が音楽でメジャーデビューしたことを報告すると、それに別の奴が噛みついて、またそれに別のやつが噛みついて、と情けないマイナスのスパイラルが発生しているようだった。


 彼はアプリを閉じスマホをしまった後、そのまま店の自動ドアを出てネオンが照らす夜の歩道をぷらぷらと歩き出した。周囲を何となく眺めているが、おそらく何か目的があってのことではないだろう。夜の雰囲気に酔っているだけだ。もし善良な市民が襲われているところを見つけようものなら、今の彼は考えなしに助けに行ってしまうだろう。




 雰囲気に浸るために聴覚を遮断して歩いている彼の目に、面白い光景が飛び込んできた。彼の進行方向では、月極駐車場のフェンスを背にした男が、筋肉質で強面の男らに囲まれているのだ。どう見ても穏やかではない。何かを話しているようだが、彼の耳には入らない。じっと眺めていると、囲まれているきりっとした顔つきの男と目が合った。その後彼は何を思ったのか、近くにあった車を1台2台強面の男らに向かって放り投げた。


 男らは、車に潰され、ガソリンに引火した炎で焼かれ、爆発で身を溶かした。車から何かに誘爆したのだろうか、しばらくあたりは爆発音で埋め尽くされていた。


 そんな惨事の最中、引き起こした原因である彼は一人の男の手を引いて爆炎の中から何事もなかったかのような顔で姿を現した。引かれている男は、先ほど強面の男らに囲まれていた人と同一人物だ。最初はあまりの衝撃に呆然としている様子だったが、次第に状況を飲み込めてきたのか、彼に対して責めるような発言を繰り返した。罵倒とも言える。あまりにも過剰な攻撃に、さすがに殺された人らに対して憐れんでいたのだ。彼はその発言の一切を無視して、自宅のある安アパートへ男を連れて行った。




 私はさすがにさっきの行為はやりすぎたと思っていたが、正直許容範囲内ではあるだろう。私は自宅に男を上げると、座布団を与え、座るよう促した。男は素直に従い、勢いよく腰を下ろしたと思いきや、懐から煙草を取り出し、私の許可なく吸い出した。灰を畳に落とすさまにさすがに注意するが、男は携帯灰皿を取り出して自身の無罪を主張した。


 男の後ろでは、妹が女友達とレズ行為に及んでいる。私は視界にそれが映ることを快く思わないが、私と男の座り位置の関係的にそっぽを向かない限り視界に入ってしまうだろう。もう少し考えて座布団を渡せばよかったと、ため息交じりに後悔した。




 それから私と男は、しばらく無為な話をし続けた。どちらかが適当に話したいことを話し、片方が聞く。交代交代にそれを繰り返していった。




「なあ、あんた、もしかして何か見えているのか?」


「……何も」




 男のその一言で私は正気を取り戻した。今まで霞がかっていた頭が急に晴れた。そう、私はまた見てしまったのだ。すでに亡くなった妹の幻覚を。


 背後でふすまが開く音がした。そこには先ほど幻覚でも見た妹の友達が私をにらみつけながら立っていた。いま目の前にいる彼女は本物だ。存在している。妹と一緒にいないことがその証拠だ。




「あんた、またやりすぎたんだろ」




 彼女もたばこを吸っている。男と違って恨めしそうに、だが。彼女は飽きれるように私に声を掛けた。ふすまによっかかるその姿は様にはなっているが、私にとっては何の価値もない様だ。




「鬼がいたんだ」




 私は男と彼女を連れて家を出た。




 私たちはとあるマンションに向かった。そこに私の眼球を持っている人がいるからだ。


 入り口に入る前に、私は彼らにここで待つよう伝えた。自分一人で何とかしなくてはいけないという、ゴミみたいな使命感がそうさせた。彼らはしぶしぶ私の言葉に従うと、壁際に腰かけて談笑をしだした。


 私は一瞥した後、マンションに足を踏み入れた。太い柱が異様に多いため狭く感じるエントランスホール、中心には汚い円型のソファ、左奥にエレベーターがある。私は小学生の時にもここに来たことがあるため、何となく構造は把握していた。


 エレベーターの前まで来たとき、入り口からヘルメットを被った人間が複数人侵入し、その手に持っていた突撃銃で私を攻撃しだした。


 武器など何も持っていない私は、エントランスの柱を利用して、一人ずつ対処することにした。まず一人目、地面に低く屈んでいた私に気づくのが一瞬遅れたそいつの手首をとり、肘を絡める形で地面に押し倒した。その衝撃でひるんだ隙に銃を奪い、頭を撃ち抜いた。


 その後も、同様に一人ずつ倒し、銃を集めていく。6人全員倒し終わったころには、両手いっぱいの突撃銃を、肩掛けなどを器用に使いうまいこと構えていた。




 ちーん、という音とともにエレベーターが目的の階に到着した。そこにはスーツの男が1人、蓋をした皿を左出て持ったまま、姿勢よく立っていた。髪を整髪料でピタッと撫で付け、口ひげを蓄えているその様は、上品な純喫茶のマスターを想起させた。




「お待たせいたした。こちらオムライスになります」




 彼が蓋をとり、私に皿を突き出した。その上には確かにオムライスが乗っていた。私は持っていた銃をすべて地面に降ろし、皿を受け取りスプーンを取り出すと、立ったままオムライスにスプーンを入れた。


 私は思わず息をのんだ。無意識のうちにスプーンを握る手に力が入ってしまった。割かれた卵から飛び出してきたのは、赤いチキンライスではなく、人の眼球だった。私の目を料理に使いやがったのだのだ。いや、私のだけではないだろう。なんといっても、黄色い卵で包まれている中身はすべて眼球なのだから。


 頬を引きつらせながら、私は男をじっと見据える。彼はニコリを笑い、口を開いた。




「あの女は確かに頭がおかしい。それは間違いありません。しかし、料理の腕は一流にございます。何卒お許しください」




 あの女、というのは、私の眼球をオムライスにした人のことを指しているのだろう。頭がおかしいのは会わなくてもわかる。こんなものを私に渡してきたのだから。


 ふつふつと湧き上がる怒りを何とか落ち着けようと大きく深呼吸をした。怒りが頂点になったら、何をしでかすかわからない。めったに怒らない私だが、今回ばかりは怒りが頂点に達しないように注意をわざわざする必要がありそうだ。




 先ほどスプーンで割いた卵と中から出てきた眼球を掬い、口に運ぶ。触感をなるべく考えないように咀嚼し、一気に飲み込む。


 いかがですか、とでも聞きたげな目を向ける男の眼球をスプーンで掬った私は、そのまま女がまっている部屋までその目を届けに行った。

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