スーパーと警官と黒服
久方ぶりに自炊でもするかと急に思い立った私は、近所のスーパーへと歩いて向かった。
普段はビジネスカジュアルの洋服を好む私だが、今日は休日ということもあり、バスケット部時代に愛用していたパンツに黒の無地のTシャツ、さらには黒ぶち眼鏡にサンダルと、どう見てもオフである格好に身を包んでいた。
スーパーへと到着し、入り口でかごを一つ手に取ると、迷わずお肉のコーナーへと向かった。献立はここに来るまでに決めていた。さっぱりとした冷しゃぶに、ごま油とショウガと大根おろしを加えて和えた一皿。暑い夏はこれに限る。食欲がなくてもさらさら食べれるこの料理は私の好物の一つでもあり、数少ない”作れる料理”だった。
必要な食材を最短ルートで取り終え、レジの前まで来ると店員ではなく警官がレジに立っていた。他のレジを見渡しても同じだった。青く堅苦しい制服に、特徴的な帽子、素人目にみたら間違いなく警察官である。一体こんなところで何をしているのだろうか。
私は気にしながらも、レジで構える警官に買い物かごを突き出した。その警官は私のことをじろじろと全身を観察した後に、私の目をじっと凝視した。
「おい、ちょっとこい」
警官が乱暴に声を掛けた。レジの奥から腕をつかまれ、そのまま引きずられる形でサービスカウンターまで連れていかれた。ほとんど投げるように、カウンターに叩きつけられた私は一瞬ひるんだが、ふと顔を上げると10人弱の警官に取り囲まれていることに気が付き、そのまま固まってしまった。
「こいつ、例の指名手配犯と瓜二つだ。お前ら、こいつを拘束して尋問しろ」
「はい!」
私をつれてきた警官が他の警官らにそう声を掛けると、瞬く間に私は手足を縛られてしまった。
事情も分からない中の急展開の数々に面食らうことしかできなかった私だが、手足をロープでぐるぐる巻きにされている最中に「どうやら私はある指名手配犯と間違えられているらしい」ということを脳が認識した。
もちろん、私は犯罪などしたことがない。深夜の歩行者用信号でさえ守っているほどだ。完全に彼らの勘違いだろう。
その後警官らから様々なことをかなり乱暴に聞かれた。私は無罪を主張しつつも、尋問には素直に従った。ここで抵抗すると余計にややこしいことになる気がしたからだ。
やがて私は「指名手配犯のメガネのフレームはオレンジだが、こいつは違う。だから偽物だ」と言われ、無事釈放されることになった。
警官からの謝罪は一切なかったが、まあ誤認逮捕ということもあるだろう。私としては、自分の無罪が証明できた時点で満足だ。確かにひどい勘違いではあった。中学時代に夜の公園でどんちゃん騒ぎをして警官に厳重注意をくらったことはあるが、ここまで本格的に痛めつけられたのは初めてだった。
一気に疲れがどっと押し寄せてきたので、私は歩きではなく車で帰ることにした。目の前にあったエスカレーターで最上階まで上がった後にエレベーターで駐車場のある階まで下りていった。駐車場とエレベーターホールをつなぐ自動ドアをくぐった先には今一番会いたくない人たちがいた。
異様に強面な彼らは真っ黒なスーツに身を包み、私のことをにらみつける。数は30ほどだろうか。彼らの身長が高いこともあり、私からは最後尾まで見ることはできなかったので、もしかしたらもっと人数はいるかもしれない。
割れた海のように人だかりの中心に一本の道ができた。そこから出てきたのはモーセではなく、小柄で優しそうなおじさんだった。そう、彼こそ、私が今一番会いたくなかった人物その人である。
「こんにちは、今日もいいお天気で何よりです」
小柄な男は柔らかい声で私に話しかけるが、私は何も返さない。ここからどう去るかだけを懸命に考えている。
「相変わらず無口なお方ですね。不思議と嫌な感じはしませんが」
そういえば、下には警官がいたはずだ。そこに掛け込めれば彼らも手出しはできない。
「特にお返事もないようですので、今回も殺させていただきますね」
男がそう言った途端、周囲の男たちが一斉に私に襲い掛かってくる。同時に私はエレベーター横の階段をかつてない速さで駆け下りた。
彼らは私を常に探しており、見つけ次第殺そうとしてくる。理由はわかり切っているが、今はそれどころではない。私は思考に回していたエネルギーをすべて走りに費やした。
誰にも追い付かれることなく一階に到着した私だったが、そこはもぬけの殻だった。サイやライオンどころか、ハムスターのふれあい広場すらなくなっている。すでに撤収してしまっていたか?
方向転換し、出口へ向かおうとするが、時同じくして彼らは私のもとに到着した。
「ちょっとだけここで待っていてくれ。今人を呼んでくるから」
私は彼らにそう言うと、エレベーターで7階まで上がった。無論、警官を呼ぶためだ。7階には公衆電話があるということは事前に知っていたのだ。壁に備え付けられたそれを見つけるや否や、即座に警察に通報した。
しかし、いくら説明しようとも、電話の向こう側の人間は取り合ってくれない。信じていないのだ。黒服の集団に命を狙われていると通報されても、いきなりは信じられないだろうことは私にもわかるが、声の必死さなどから察してほしい。その後も懸命に助けを求めるが、努力むなしく、電話は切られてしまった。
私の体は絶望感に支配された。もうどうすることもできない。彼らからは逃げることができない。私はこのまま彼らに飲み込まれるしか道はないのだ。
せめて、せめて家族にメッセージを伝えたい。自分の遺産分配などについては、すでに机の引き出しの中にいれているが、そういった事務的連絡ではなく、今までの人生の感謝などを伝えたかったのだ。
私はジャケットの内ポケットからメモ用紙とボールペンを取り出すと、両親への遺言を書き始めた。驚くほどに筆は進んだ。日頃は感謝の言葉など出てきにくいものではあるが、こういった状況ではこんなにもすらすらと出てくるものなのかと、我ながら感動した。
落ちていた封筒に10枚ほどにも及んだ遺言書を入れ、そこらを歩いていた人間に渡した。彼なら私の両親にきちんと届けてくれるはずだと信じていたのだ。
私はそのままエレベーターに乗り、一番下のボタンを押した。
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