弟と強盗と溶岩

 私は耳が聞こえない。

 この耳が私の手から離れてからもう何年になるか、自分自身でもよく思い出せない。少なくとも、幼少期、自分の行動を自分で制御できないような年齢の頃は、まだ音は聞こえていたような気がする。

 周りに、自身の耳が不自由であることを告げると決まって気の毒そうな顔をされたり、変に親切にされたりする。そういった気遣いはかなりうれしいが、家が裕福なこともあり、実は周りが思うほど不自由な暮らしはしていない。

 耳が不自由なこと以上に、自分が6人兄妹の長兄であることのほうがよっぽど大変だ。しかも一番下の弟はまだ3歳な上に、自分と同じように耳が聞こえない。腕白盛りの子供を、遠くから声で制止できないことが、こんなに怖いことなのかと知ったのは、つい最近のことだ。


 現在、私は二階のベッドルームで件の弟と積み木をして遊んでいた。この遊びに名前があるかはわからないが、とにかく積み木を高く積み上げる遊びだ。

 他の兄弟たちは同じ階の別の部屋にいる。この部屋に来る前に2階の小キッチンで遊んでいたのを目撃した。少し前に家政婦さんが階段を上ってこの階に来た気配があったから、おそらく現在は彼女にこってり絞られていることだろう。ちなみに、常人かつ耳の不自由な私が階段の上り下りの気配を感じることができたのは、別に私が超能力者だからなどというわけではなく、単に今いる部屋が階段のすぐ脇の部屋のため、振動で誰がこの階に来たかがわかるからだ。


 その時だった。家の玄関に複数人が押し入った気配を感じた。今日誰かが来る予定は聞いてない。ましてや、ドアを破壊するような勢いで押し入ってくるような客に心当たりはない。

 強盗か、と冷静に最悪かつ現実的な選択肢を考える。その後の私の行動は早かった。弟を部屋のクローゼットの中に押し込み、ここから動かないよう身振りで伝えると、他の兄弟たちのところに向かうために部屋のドアを開けた。


 部屋を出てすぐのことだ。ドアのすぐわきにある階段には家族とはにても似つかない顔が二つほどあった。


「原さん……」


 片方は会社の同僚である原。もう一人は知らない女性だ。女性にしては大きな背丈に、藤色の髪がくるぶしあたりまで伸びている。まるでアニメのキャラのような女性だ。

 原は社長のお気に入りの駒で、同じくお気に入りであった私のことを”使えないやつ”と蔑み、ことあるごとに嫌がらせをしてきた人だ。

「何しに来たんですか?いま立て込んでいるので後にしていただきたいのですが」

「ああ、他にも来客がありましたね。タイミングが悪くてすみませんね」


 その言葉で、私はすべてを察した。家に押し入ってきた輩たちは彼らの差し金だ。私が二人をにらみつけると、原はこちらをバカにするような笑いを浮かべた。


「はっ、私は他の客人のことなんて知りませんよ。見たこともない、まったくの他人です。勘違いしないでほしいですね」


 彼は嘘は言わない。つまりだ、強盗達は彼が直接雇ったわけではなく、間に何人何社も挟んだのだ。相変わらず面倒くさいことする人だなと、普段なら冗談交じりに言うところだが、今はそんなことも言っていられない。私は左手に持っていた拳銃で二人を撃った。複数の薬きょうがリズミカルに地面を叩くが、彼らに直撃はしない。かろうじて、女性のほほをかすめたが、原は見事に交わしてその場を去っていった。


 私は、押し入れに隠した弟を連れ出し、外に逃げるため走り出した。階段を上ってすぐのところにある、ホテルの待合室のようなリビングには、内田と石橋がいた。彼らは大学時代の友人だ。ソファーに深く腰を掛けてテレビを見ている最中だった。どうやら、まだ隠れていないようだ。


「もうすぐ、鬼が探し始めるぞ。なんでそんなに余裕なんだ?」

「ああ、もうそんな時間か。じゃあ隠れるか」


 ただ、時間を確認していないだけだった。

 内田と石橋はゆっくりと立ち上がり、あたりをうろうろし始めた。石橋は別の部屋に行ったが、内田はその部屋にあった衣装ダンスの中に隠れた。今回のかくれんぼの鬼はかなりやる気だ。流石にそんなところでは見つかってしまうだろう。

 そんなことを考えたところで鬼がこの階に上がってきた。全身が岩で覆われた大男は、まさしく鬼と呼ぶにふさわしい装いだった。私は鬼に屋敷の案内と解説を始めた。そうすることで私をかくれんぼの参加者ではなく、主催者側の人間であるように印象付けようと考えたのだ。その考えはうまくいき、彼は私に触れることはなかった。

 リビングを案内していると、不意に衣装ダンスの中から長い金属パイプが飛び出し、私を小突き始めた。内田の趣味だ。お前は快楽主義者か、と心の中でツッコミを入れつつ、無視を決め込んだが、ひたすらに小突いてくる。

 内田の嫌がらせに耐えていると、鬼が唐突に私を殴ってきた。痛みに呻きつつも鬼のほうを向くと、岩のような鬼のほかに、全身が赤黒いマグマのようなもので覆われている鬼もいることに気が付いた。

 完全にターゲットにされている。加えて、殺傷能力の高そうな鬼が増えた。

 私は彼らがいる方向とは反対の方向に全速力で走りだした。一回も振り返らなかったのは、恐怖からだろう。彼らを再び見てしまったら、足がすくんで動けなくなるに違いない。

 後ろからマグマの塊が何発も飛んできて、私の真横をすり抜けた。マグマは少し先の壁にぶつかると急速に冷えたのか、灰色に固まってしまった。


「前の挑戦者はこのギミックに気づかなかったのかな?」


 記録を見た限り、最後までゴール出来た人はいない。つまり、みんなここで積んでいたのだろう。私は固まったマグマをよじ登り、ちょうど手の届くところにあった、排気口から体をせり出した。

 かなり高い位置にいるかと思ったが、排気口のすぐ30cmほど下がもう地面になっていた。いや、違う。ここにも灰色の固まったマグマが発生している。本来の地面が見えなくなっていたのだ。

 出口はこの下にあるはずなので、私は両手で地面をかき分けて何とか少しでも下に行こうとする。固まったマグマが表面だけが固く、それを割るとまるで泥のように簡単に掘ることができた。

 もう汗も出なくなるほど掘り進めたあたりでようやく木製の扉を見つけた。しかしそれは、まるで犬用の扉であるかのように小さかった。ここが正解のゴールかわからないが、もう他の出口を探している余裕はない。私は扉をあけ、なんとか肩を押し込み、その扉から出ることに成功した。


 全身を潜り抜けると同時に軽快な破裂音があたりに響いた。驚いてあたりを見渡すと、内田と石橋がクラッカーを持って近づいてきた。どうやらこの扉が正解だったようだ。私はほっと胸をなでおろすと近くの壁にもたれかかり、内田が差し出してきたペットボトルの水にゆっくりと口を付けた。


「快楽主義者って何?」


 内田はからかうように聞いてきたが、私は聞かなかったふりをした。

 

 体力が回復してきたころになると、あたりにはサークルの友人や後輩たちが集まっていた。この合宿もついぞ終わりか、と少しだけ感傷的になる。

 近くのソファに座っている後輩たちはどうやら今回の合宿を機にYoutuberになるようだ。私は耳が聞こえないので、会話を聞いたわけではないが、CDとレコードのディスクを持っていることから、そう推測した。彼らは機械にはあまり強くないのか、古い型のディスクを使用していた。最新のものだったら”大きいほうのディスク”がCDサイズになっているのを、彼らはまだ知らないのだろう。


 ニュースを見ると、本州はどうやら大雨らしい。

 合宿所であるこの屋敷は北海道にあるため、帰りは高速道路を使って帰らなくてはならない。それが少し面倒だなと、再び水を飲んだ私は思った。

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