第4話
ホームルームは終わったが、騒々しさを残したまま一限目の授業が始まった。
一限目は古文。相沢という女性教師の授業だ。腰まで伸びた黒髪を、色気のかけらもない黒ゴムで一つに縛り、服装も地味な服を着ているところしか見たことがない。今日は紺色のスーツを着ているが、これはきっとリクルートスーツってヤツだろう。まだ大学を出たばかりで、おそらく大学在学中も、勉強しかしてこなかったのだろうと安易に推測できる。年齢もそう離れていないこともあって、これまでも、クラスのヤツラがこの相沢のことを馬鹿にしている傾向はあった。
相沢も自分に自信がないのか、イラついている様子は見えるのに、誰かが騒いでも、授業を聞いていなくても、注意することはない。ひたすら古文を読み、一人で授業を続けている。
俺は既に暗記している古文の説明を聞きながら、教科書を出すこともなく、そのまま机に突っ伏した。
「毛利が寝てる!」
その囁きがクラス中から聞こえてくる。
俺は突っ伏してはいるものの、眠ることは出来ず、ただ目を瞑り耳を澄ましていた。
「何かあったのかな?」
「今までの毛利より、今日の毛利の方がカッコ良くない?」
思わず口元が緩みそうになり、俺は見られないように顔を左側に向けた。こちら側を向けば俺の顔は窓の方を向くから、誰かに見られることもない。思う存分ニヤニヤ出来るというものだ。
俺は一人でニヤニヤしながら、やっぱり耳を澄ましていた。
クラスは全く落ち着く様子を見せない。それでも、授業は進んでいるようだ。相沢が一人で必死に進めているのが聞こえる。今やクラスの誰も授業を聞いておらず、クラス中の神経が俺の方に向いているのを感じた。
「で、では、この文章を……も、毛利くん! 毛利くん! 訳してください!」
ちょっと震えながら俺の名前を名指ししている相沢の声。こんな空気の中で、この空気を乱している張本人を名指しするとは、なかなか図太い神経をしている。俺は聞こえなかったふりをして、そのまま机に突っ伏していた。
「毛利くん!」
相沢は諦めることなく、俺の名前を呼んでいる。その声が次第に近づいてくるのを感じた。何度目かの俺の名前の後に顔を上げると、俺のすぐ横に相沢が立っていた。机に手をついて、俺の顔をじっと見つめている。
「毛利くん、教科書は?」
強がっているのか、逸らしたら負けだと思っているのか、相沢は俺の目をしっかと見つめていた。昨日までの俺を、自分と同類だと思い込んでいるのかもしれない。今日はちょっとだけハメを外しちゃったのね! と。
「あー、持って来なかったっすね」
俺が答えると、教室がドッと沸いた。
「そう、いいわ。でも、あなたならこの文章くらい暗記してるでしょ? 前に出て訳して」
クラス中の視線を背中に浴びながら、相沢は俺に訴えてくる。俺を更生させるのが自分の務めだとでも言うように。自分が向き合うことで、俺は「変わってなんていない」そうクラス中に証明したいのかもしれない。
真っ直ぐ見つめてくる相沢の目を見て、ちょっとだけ俺の心が折れそうになった。相沢は純粋に古文を愛している人だ。これまでの授業の中で、それは感じていた。だから、俺の不真面目な態度で、彼女の古文に対する愛情を茶化してしまうのは申し訳ない気がした。
でも、今日の俺は後に引けないのだ。
「先生さぁ、もうちょっとしっかりした方がいいよ? 生徒にバカにされてんだから。それに、古文のことも、もう少し深く読み取る必要があるって俺は思うけど? 先生、どこの大学出たの?」
俺の挑発に、クラス中がまた沸いた。
「私も思ってた! 感じ方は人それぞれだけど、先生、センスないよね!」
古文を得意とする真鍋が言うと、それに続けとばかりに、次々にヤジが飛んだ。
「頼りないんだよねー。もうちょっとビシッと出来ないのー?」
「自分が訳せないから、毛利に訳してほしいんじゃないのー?」
「服だってダサすぎー」
俺たちは高校生だ。でも、この学校は超有名進学高でもあり、並みの教師では太刀打ちできないくらいの頭脳を持っている生徒も多い。そんな生徒が複数で攻撃すれば、相沢が言い負かされるのなんて時間の問題だった。
俺の前に立っていた相沢の頬を涙が伝い、ヤバッと思った時には、相沢は教卓の上から教科書類を全て持ち、走って教室を出て行ってしまった。
やり過ぎたか? 俺の胸には後悔の渦が巻き起こったけれど、教室は更に湧いていた。
「俺たちの勝ちだ!」
そう言って、ハイタッチするヤツラもいた。
相沢が立ち去ったことで、一限目は自由時間になった。俺のまわりに屯してくるヤツラが多かったけれど、そいつらの相手をするのが面倒で、俺はまた机に突っ伏し寝たふりを続けた。
そして一限目終了のチャイムが鳴った。
寝たふりをしていたはずが、どこかでまどろんだらしい。俺はうとうととする意識の中で、普段ではあり得ない騒々しさを聞いた。廊下側の窓が全て開けられ、そこから他のクラスの生徒たちが俺の方を見ているらしい。
「毛利、寝てるの?」
「うわ! マジ金髪!」
「相沢ちゃん泣かせたってホント?」
口々に話している声が聞こえ、俺の話しがかなり広まっていることを感じた。
「こっち向かないかなー? ピアス開けてるの左なんでしょ?」
一クラス三十五名の四クラス。一学年百四十人のうちのたった一人が金髪ピアスになった。それだけのことなのに、この騒ぎはなんなんだ。みんな、相当暇に違いない。
そして騒々しいその中から、俺が聞き逃すはずもない相手の声が聞こえた。
「ヨッシー、最悪!」
そのたった一言だ。最悪? 何故? 俺なりに考えての金髪ピアスなのに? 俺は疑問に思いながらも顔を上げる勇気が出ず、そのまま机に顔を貼り付けて寝たふりを続けた。
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