第3話

 玄関から一歩出たところで、隣の家のおばさんと顔を合わせた。昨日まで、そのおばさんは、俺にかなり好意的に接してくれていた。俺が超有名な進学校に在学しており、トップクラスの成績を収めていることを知っているからだろう。

 けれど、今日は顔を合わせた瞬間に、思いきり目を逸らされた。俺と話すつもりはないらしい。そそくさと家の中に入っていくおばさんを見ながら、コレだよ! こうこなくっちゃ! と俺は今までにない高揚感を覚えた。

 学校まで十五分。いつもの道を歩いていても、会う人すべてが俺に好奇の目を向ける。今時、金髪なんて珍しくもないとは思うが、やはり金髪にピアスっていうのは近寄りがたい存在のようだ。

 俺は内心ほくそ笑みながら、学校へと向かった。

 映画「十戒」の中で主人公のモーゼが海を割って歩くシーンがあるが、まさに今日の俺はそんな感じだった。俺が歩いて行くと、周囲の人たちは俺と目を合わせないよう気を付けながら道の端へ寄って行く。俺は人を避けることもなく、ただ真っ直ぐ歩けばいい。金髪ピアスにしたというだけで、昨日までのセカイとは全く別物のセカイを見ているようだ。俺は悠々と進んだ。

 登校時間としては遅刻ぎりぎり。そのせいもあって、校門に向かって一心に走る生徒が多い。その中を、俺はわざと歩調を緩め、ゆっくりと進んだ。

 そうして門の中へ一歩足を踏み入れた時だ。ガッ! と俺の肩が掴まれた。突然のことに一瞬怯んだものの、今日の俺は今までの俺じゃない。そう思い出し、肩を掴んだヤツをグッと睨みつけてみる。俺の肩を掴んだのは、生徒指導の高塚(たかつか)というオジサン先生だった。今日も緑色の上下ジャージを着ている。あり得ない色の選択。センスが無さすぎる。

 高塚はすぐに俺だとは気付かなかったらしい。俺の顔をじっと見て「お前、毛利(もうり)……か?」と、驚いた顔で呟いた。その表情や言いぐさが、俺が期待していたそのものだったので、俺はニヤついてしまった。

「どうしたんだ? その髪は……? おまけになんだそれは? ピアスか?」

 高塚は信じられないという顔をして俺を見つめる。聞かれたからといって、俺が答えるわけがないというのに。俺が黙っていると「ちょっと来い!」と、高塚は俺の腕を掴み、そのまま職員室の方へ引っ張って行った。俺の方がデカいので、どっちが引っ張られているように見えるのかは微妙だが、高塚は必死に俺を連れて行こうとする。そんな俺を見て、登校中の奴らがざわめいていた。

「ちょっと! アレ、マジメくんじゃない?」

「何? 高校デビュー?」

 好き放題言われている感じはしたけれど、自分のことが噂になっているのはなかなか楽しい。

「ほらほら、見世物じゃないわよ! さっさと教室に入りなさい!」

 高塚と組んでいつも生徒指導に当たっている米田(よねだ)とかいうオバチャン先生が、門で足を止めそうになる生徒たちに声をかけ、教室へと促していた。その声が聞こえているはずなのに、生徒たちは興味の方が勝っているらしく、遅刻するかも? ということを忘れ、足を止めて俺の方を見ている。

 今日一日でどれくらいの噂が流れるのか、なんて言われるのか、俺は大いに期待してしまう。

 高塚は俺をスリッパに履き替えさせることなく、職員玄関から中へ入れると、職員室の隣りにある「生徒指導室」という狭い部屋へ入るよう命令した。とりあえずは大人しく言うことを聞き、中へ入る。そして高塚の指すパイプ椅子に座った。

 生徒指導室自体古めかしいと思うが、このパイプ椅子は更に古い気がする。錆びている上に、座るとギシギシと音がした。ネジが外れているのではなかろうか?

 そんな音にも構わず、高塚はテーブルを挟んで俺の真向かいに座り、俺の顔を覗き込んでくる。高塚は何歳くらいなのだろう? 顔にシワが刻み込まれ、俺の親よりはるかに上だと感じた。こういう生徒指導の先生っていうのは、どうして強面なんだろう?

「毛利、お前どうしたんだ? ああ? 何か悩みでもあるのか? 何かあるんなら、先生に言ってみろ! 先生、相談に乗るぞ?」

 高塚がこんなにも生徒の悩みに熱心な先生だとは知らなかった。いつもスカート丈が短いとか、髪の色がおかしいとか、髪が長すぎるとか……そんな文句ばっかり言ってるヤツだし、「ふつう」じゃない生徒がいると、そいつらを目の敵にして何やかやとイチャモンをつけているところしか見たことがない。

「何のためにお前らは学校に来てるんだ? 学校は遊ぶところじゃないぞ!」

 高塚がよく言うセリフが頭の中で回る。

 そんな高塚のくせに、真面目一筋、勉強しか能がない俺が、髪の毛を金髪、左耳にピアスをして登校しただけで、こんなにも親身になってくれるのはどうして?

 昨日までの俺なら、きっともうすでにここで「すみません」と謝ってしまっただろう。でも、今日の俺は昨日までとは違う。

「別になんもないっすよ。金髪にしたかったから金髪にしただけだし、ピアスもカッコいいなって思ったからしただけっす」

 そう言ったら、それまで温和に見せていた高塚の顔が変わった。なるだけ優しくと緩めていた顔がいかつい般若に様変わり。もともと強面だから、見事に般若だ。

「お前、何のために学校に来てるんだ!? 学校は遊ぶところじゃないぞ!」

 出た出た! 高塚の十八番(おはこ)!

 俺は立ち上がった。

「もう授業始まるんで、行きます」

「おい! まだ話は終わってないぞ! シャツを中に入れろ! ボタンを留めろ!」

 高塚の話とやらは続いていたようだったけど、俺は無視する。高塚が俺の腕をまた掴んだ。どうしても引き留めたいらしい。

「何ですか? 今度は暴力ですか?」

 近年、教育現場はイジメ問題や教師による暴力にかなり敏感になっている。そのことを盾に取るのもどうかとは思ったけれど、とりあえずこの場をしのぐ方法として俺はいきがってみた。「暴力」という言葉に反応して、高塚が手を放す。そして恨めしそうに俺を見つめたけれど、それ以上反論はしてこなかった。どう対処するべきなのか考えている様子だ。

 俺は高塚の前をそのまま通り過ぎ、生徒指導室を出ると靴を持って昇降口へと向かった。しつこく高塚が付いて来るかと思っていたけど、今は諦めたようだ。革靴とスリッパを取り換え、次は教室へと向かう。

 教室ではもうホームルームが始まっていて、出席を取っている最中だった。ちょうど「毛利! 毛利は休み?」と担任が俺の名前を連呼しているところ。

 俺はガラリと戸を引くと「出席でーす」とふざけた口調で言って、教室へ入った。俺の声に反応して振り向いたクラス全員が、とたんに騒ぎ出す。俺の席は窓側の一番後ろなので、そこへ進み、カバンを机の横にかけ着席する。ふと顔を上げると、クラス全員が後ろを振り向き俺を見ていた。

「毛利? その髪……?」

 絶句する担任のアケちゃん(朱美先生)は、出席確認中だったことを忘れてしまったようだ。俺の方を見て、口をぽかーんと開けていた。おまけに、いつも俺に見向きもしないような子たちが、俺の方を見てヒソヒソと囁いているのが伝わってくる。

「ピアス開けたん?」

 俺の隣りの席の深山(みやま)が声をかけてきた。その声に尊敬や感嘆の意味が含まれているのを感じ、俺はちょっとだけ優越感に浸った。クラスで成績最下位らしい深山と自分を比べたところで、優越感も何もあったものじゃないが、いつもなら「ガリ勉」とか「真面目くん」とか言って俺をバカにするだけだった深山が、憧れの眼差しで俺を見ている。それが気持ちよかった。

「あっと……出席続けます!」

 アケちゃんが我に返って、出席の続きを取り始めた。何度も「静かに!」と繰り返すのだが、ざわめいている教室はなかなか静かにならない。

 好きにいえばいいさ。どうとでも。俺は昨日までの俺じゃない。今日からの俺は、新しい俺なんだから。


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