第2話

 これまで俺は、規則正しい生活を送ってきた。そんな俺なので、ダラダラしようと決めていても、きっちり六時半に目が覚めてしまう。目覚ましが鳴る前に起きる。これが今までの俺の鉄則だったのだ。

 でも、今日から俺は変わる。これまでの俺ではない俺に。

 俺は目が覚めてはいるものの、ベッドの中でゴソゴソと寝返りを打っていた。これからの俺の生き方に慣れなければならない。その最初のミッションが「寝坊」だった。規則正しく起きるなんて、もう俺はやらない。

 目覚めてからようやく一時間が経ち、七時半。玄関が開く音がした。父さんが出て行ったのだろう。

「義臣ー! 何してるのー? 遅刻するわよー? 具合悪いのー?」

 母さんの声が聞こえてきた。声を掛けはするものの、わざわざ二階にまで上がってくるつもりはないらしい。

 学校までは徒歩十五分。始業は八時十五分。そろそろ起きるか?

 昨夜はタカの家で晩飯も御世話になった。藍ちゃんが作ってくれたのは、失敗することのない鉄板料理のカレー。確かにまずくはなかったが、特別おいしいとも感じなかったので、藍ちゃんはあまり料理が得意ではないのだろう。おまけにサラダなどの野菜類もなく、カレーのみという晩御飯だった。もちろん、食べさせてもらった俺としては、感謝しなければならないのだろうけど……。

 昨夜のあの二人の表情を思いだし、俺は思わずニヤニヤしてしまう。

 俺が風呂場から出て行くと、あの二人は俺を見て正反対のリアクションをした。

「ほんとに義臣くん? 別人みたーい」

「ヨッシー、お前、マジ大丈夫かよ? 叔母さんに怒られるんじゃねぇ?」

 藍ちゃんはおもしろそうに。ヨッシーは心配そうに。

 タカは、中学までうちの近所に住んでいた。「いた」という過去形なのは、その後、タカの家庭内の事情により、あのアパートに引っ越して一人暮らしを始めたからだ。まぁ、タカのプライバシーに関わることなので、俺から話せるのはここまで。これ以上はよそさまのことなので口をつぐむとしよう。

 とにかく、タカは一人暮らしを始めた。一応、高校に進学したのだけれど、アパートの借り賃やもろもろの生活費。そういうものを自分で捻出しなければならなくなったタカが、高校を続けられるわけがない。タカは一旦高校に入学したものの、すぐに退学し、今は工事現場で働いている。

 そんなタカの外見や根も葉もない噂で離れて行く人間は多かったけど、俺は絶対にタカと友だちでいようと決めていた。大体、友だちを止める理由なんてひとつもないのだから。

 それを知ってか知らずか、俺の母さんはタカが遊びに来ることを嫌がる風もなく、遊びに来れば、必ず晩ご飯を食べさせるまで帰さなかった。俺が一人っ子ということもあって、母さんにしてみれば、俺とタカは兄弟みたいなものだと思っているのかもしれない。

「一人くらい増えたって平気よ! 遠慮なんてしないの!」

 そう言って、タカに飯を振る舞うのだ。それは今も変わりなく続いていた。ただ、母さんの姉、俺の従兄である望(のぞむ)くんの母、淑子おばさんは、その頃からタカを家に上げてくれなくなった。俺と望くんは従兄で一人っ子同志なので、小さい頃は毎日のようにお互いの家を行き来していた。そうなると当然、俺の遊び仲間であるタカも一緒に遊ぶことになるわけで。

だけど、タカの外見が変わった頃から、淑子おばさんは望くんにタカを近づけなくなった。不良との付き合いは認めない。そう思っているのがヒシヒシと伝わってくるようになり、タカも俺の家には来るのだが、望くんの家には近づかなくなった。望くん自体は全く気にしてないというか、俺的には望くんの方がタカよりずっとぶっ飛んでると思うのだけど。

 そういう事情もあって、タカは、今も変わらず接してくれる母さんに恩を感じているように見えていた。人として特別なことをしている訳ではないのに「恩」を感じてしまうということに、タカが生きている現実の厳しさが垣間見える。それなのに、よりにもよってその「恩人の息子」である俺の、不良への第一歩を手伝ってしまったのだ。タカが母さんの動向を気にするのは当然だろう。

「だーいじょぶだって! タカに迷惑かけるようなことはしないから!」

 俺はタカと藍ちゃんの邪魔をしてはいけないと思いつつも、雨が止むのを待っているうちにかなり遅くなって帰路についた。

「迷惑かけてごめんな。ありがとう」

 そう言って俺がアパートを出ようとすると、タカが俺の腕を掴んだ。

「なんかあるなら言えよ?」

 真っ直ぐに見つめてくるタカの目は鋭い。でも、その鋭さの中には優しさがあることを、俺はちゃんと知っている。俺は頷くと、手を振ってアパートを後にした。雨は止んではいなかったけど、霧のような雨に変わっていた。

 暗い夜道、俺は帽子を深めにかぶり、帰宅後は誰にも会うことなく、真っ直ぐ自分の部屋に入った。だから夜が明けた今でも、家族はまだ俺の異変に気づいていない。

 俺は内心どきどきしながら階段を下りて行った。父さんが出た後に下りるのも、俺なりの計算だった。母さんだって何等かのリアクションはするだろうけど、細かすぎて面倒な父さんよりマシだ。

 俺がダイニングテーブルにつくと、キッチンにいた母さんが味噌汁のお椀をのせた盆を運んできた。

 さて、どう攻撃してきますかね? 俺はなるだけ平静を装い、澄まして椅子に座り、出された味噌汁をすすった。

「ねぇ、時間間に合うの?」

 母さんはそう言って、今度はお茶碗にご飯をよそいに行ってしまった。

 テレビからは朝のニュースが流れている。

 普通。あまりに普通。いつもの朝と変わらない。もしかしたらあまりに動揺して、言葉が出ないのかもしれない。いや、もしかしたら俺の金髪や左耳ピアスが見えてないってことはないだろうか?

「遅刻したって構わない」

 俺が言うと、母さんは「そう?」と言って、俺の前にご飯を置くと真向かいの席に座り、自分も朝ごはんを食べ始めた。

 豆腐と油揚げの味噌汁、シャケの切り身、ほうれん草の胡麻和え、白ごはんにふりかけ。一般的な日本の朝ごはんの風景だ。それを神妙に食べている母子二人。

 いつもの朝だ。何も変わらない。俺が金髪になっているというだけで。

「ねぇ……?」

 あまりにも普通なので、俺はつい母さんに聞いてみたくなって声をかけたけれど「何?」と返され、俺の方が「やっぱりいい……」と言葉を濁した。

 何なんだ? 何とも思わないのか? 一人息子が不良になったんだぞ?

「あ!」

 母さんの声が洩れ、俺は期待に胸を膨らませて顔を上げた。

「今日、帰りに淑子おばさんとこに寄ってきてよ? 望(のぞむ)くんがアメリカのお土産買って来てくれてるんだって」

 土産? 従兄の土産の話しなんてしてる場合か? おい!

 淑子おばさんと母の景子は二人姉妹で、淑子おばさんは隣町にある実家を継いだ形になっている。早くに俺の祖父母は亡くなったらしいので、実家を継ぐと言っても仏壇や供養の世話をしているというだけなのだが。

「自分で行けばいいだろ? どうせ母さん暇なんだし」

 俺が言うと、母さんは憤慨したように声を荒げた。

「失礼ね! 専業主婦だからって暇じゃないのよ? 買い物にだって行かなきゃならないし、洗濯物だってあるし。それに今日は、姉さんが夕方しかいないって言うんだもの。あんたが行ってくれた方が時間的にも合うのよ」

 いやいやいや、どうせドラマの再放送を見逃したくないとか、そういうところだろ? そう思ったけど、口に出せば更に怒り出すのが目に見えているだけに、俺は大人しく口をつぐむことにした。大体、怒るとこはそこだけか? 何なんだこの人?

「……分かったよ」

 俺は拍子抜けした気分で朝ごはんを頬張った。不良らしく「こんなの食えるか!」っていうのもやってみたかったけど、とりあえず飯は食べねば腹は減る。

 いつもより遅く起きた分、気持ちは焦っていた。習慣というものは恐ろしい。でも今日は遅刻しても構わない! という気持ちで向わねばならない。

 俺は部屋に戻ると制服へ着替えた。白い半袖シャツと黒の制服のズボンを身に着け、いつもなら一番上まできっちり締めるシャツのボタンを三番目くらいまで留めずに開けておく。そしてシャツの裾もズボンには入れない。

 この日のために、いろいろ工面してコンタクトを手に入れていた俺は、眼科で練習した通りに、恐々ではあるものの、コンタクトを入れることにも成功した。左耳に開けたピアスの穴だって、昨夜ちゃんと消毒した。今は穴が落ち着くまでの黒い丸ピアスが刺さってる状態だけど、これだって一か月くらいしたら、ドクロとか十字架とか、そういうもっとちゃんとした(?)ピアスに変えるつもりだ。そして、カラーリングした金髪を生まれて初めてのヘアジェルを使って、ピンピンに立たせていく。

 姿見の前に立つ。その鏡の中には、サイヤ人ばりの俺がいた。俺が想像していた通りの俺。俺は自己満足に浸りながら部屋を出た。

 階段を下りて行くと、キッチンの方から鼻歌が聞こえてくる。

 あの人、どういう神経してるんだろ? 息子が不良になったっていうのに、鼻歌歌ってんのか?

 俺はそのまま玄関へと進んだ。踵を踏んづけて靴を履きたかったというのに、高校指定の靴が革靴だったことを思い出す。革靴は堅い。

 くそ! 踵は失敗だ。

「あ、行くのー? いってらっしゃーい!」

 俺が出ることに気づいた母さんは、いつものように明るい声で「いってらっしゃい」と言う。

 マジであの人の神経を疑ってしまう。どこか緩んでいるのかもしれない。自分の親ながら、ちょっと怖くなったりもするが、何も言われなかったことで気が楽だったのは事実だ。

「さて、行きますかね」

 俺は誰に言うでもなくそう呟くと、これから起きるであろう初めての体験に、かなり期待を込めて家を出た。

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