第11話:扉の秘密
あいにく月曜日は雨が降って、かぼちゃの種の天日干しはできなかったものの、引越しの荷物が朝一番に届き、ミヤコは荷ほどきをして午前中を過ごした。
着替えや本はさほど時間がかからなかったものの、ベランダで育てていた野菜やハーブを庭に植え替えたり、キッチン用品を備え付けたりとてんやわんやで、昼飯を食べる頃にはすでに午後3時を回っていた。夕飯にかさばらないよう、軽くつまむだけにするか、と冷蔵庫を開けると、前日にスーパーで買った豚肉のスライスと庭で採れたトマトが目に入る。
「茹で豚とトマトのサラダにしよう」
ミヤコは鍋に湯を沸かし、酒と塩を入れる。湯が沸く前にトマトを賽の目に切り、レモンジュースに醤油を少し垂らし、ワインビネガーと合わせてドレッシングを作った。薄切りの豚肉をさっと湯通し、トマトとざっくり混ぜ合わせ、ドレッシングで和える。ハーブガーデンから摘んだパセリを加えて黒コショウを振れば、あっさり豚肉とトマトのサラダは出来上がりだ。酒のつまみに、と思って買った素材だが今日は仕方がない。
昼間から飲む癖はないもののすでに3時は過ぎているし、これは辛口の白ワインが合うと思い、早速近所の酒屋へと向かった。
「あれ、真木村じゃないか?」
ミヤコが酒屋でワインを物色していると、後ろから声がかかった。
「あら、鈴木君。まだいたんだ?」
振り返ると、そこには中学の同級生だった、
「ずいぶんな挨拶だな。まだいて悪かったよ」
鈴木はむう、と口を尖らせる。
「いや、だってあんた、舞台俳優になる〜とか言って飛び出していかなかった?」
「ああ、無謀な俺の黒歴史を覚えていたか。母ちゃんに泣かれて帰ってきたわ」
同級生だった鈴木は、中学3年間を通してテニス部の王子様で演劇部の花形だった。爽やかな笑顔と、竹を割ったようなバッサリした性格がカリスマ性を引き出して、先輩後輩を問わずして人気があったのだ。高校を卒業してすぐに田舎を飛び出して、煌びやかな都会を目指したらしい。
その後は風の噂にテレビに出たとか出ないとか聞こえてきたが、ミヤコ自身も忙しかったし、高嶺の花と化してしまったテニス部の王子様にあまり興味もなかったので、その存在すら今の今まで忘れていた。そのキラキラしたハンサムな同級生は、酒屋の息子だったのだ。
だが、24本も入ったビール瓶のケースも軽々と運び出していた酒屋の息子は、今をしてなお爽やかであった。
「外に出れば誰かしら知人に会うっていうのは田舎ならでは、よね」
「だな。お前東京行ったって聞いたけど、さてはお前も黒歴史の仲間入りか」
「やあね。わたしに黒歴史なんてないわよ。過去は全て虹色に塗り替えているからね」
「あ〜、真木村らしいよな」
わはは、と笑うと鈴木はビールを店の冷蔵庫へ追加していく。
ミヤコはしばらく鈴木と世間話をして、オススメのワインはどれかと聞き、週末に帰省を祝って一緒に飲もうと約束をして帰路に着いた。
しとしと降り続く雨を窓越しに見ながら、ミヤコは引越しの荷物に入っていた作り置きの消臭スプレーや洗剤を土間の収納庫に片付け、何点かをハーブ専門店「バジリスト」の赤井さんに届けるため、選り分けて箱にしまう。
明日、赤井さんに連絡を取ってみよう。商品として気に入ってもらえればいいな。
そうだ。クルトさんにもあげようかな。もしこの消臭剤が瘴気の浄化に役立つならきっと喜んでもらえるだろうし…。クルトの整った顔が微笑むのを想像し始めて、頭を振った。パチパチと頰を軽く平手打ちし、邪心を払う。
「顔のいい男に妄想するのはわたしだけじゃないはず」
ふん、と鼻息を荒げてからミヤコは荷ほどきに集中することにした。
*****
それからバタバタと慌ただしく日々が過ぎ、気がつくと木曜日になっていた。
ハーブ専門店バジリストの赤井さんは、ミヤコの商品がオーガニックだということで気に入り、テスト期間としてミヤコの商品をいくつか店頭に置いてくれることになった。来月は、10点づつ消臭スプレーと食器用洗剤を納入する。「バジリスト」とのコラボでボトルと商品ラベルは赤井の方で用意してくれることになり、まずまずといったスタートだ。うまくいけば、ルームスプレーとハンドウォッシュソープにも手を伸ばせそうだ。
昨日は欲しかったドライフードメーカーの購入もできた。これでかぼちゃの種も天気に左右されることなく乾かすことができるし、傷みやすいラズベリーやマンゴーも手軽にドライフルーツにすることができる。料理の幅も広がるし、商品の幅も広がるのだ。
「そういえば、クルトさんにご飯を作る約束をしていたんだっけ。」
月曜日は、何度か彼のことが頭に浮かんだけれど、それから商品の企画やら、仕事の面接やらがあってすっぽり頭から抜けていた。
やっぱりあちらで作った方がいいのだろうか。こっちのキッチンの方が使い勝手がいいのだけど。ひとまず、食材の準備をして、料理にあった赤ワインも適温に備えてある。今晩はうっすら化粧もしていこう。
ちょっとだけおしゃれも…いや、おしゃれはやめておこう。変に気張ってぷ、とか笑われたら絶対立ち直れない。
そういえば、あちらとこちらは時間はあってるのかしら。こっちが夜なのにあっちが朝なんてことは…なかったよな。
ふむ、と考えながらもミヤコはコンコン、とクローゼットのドアをノックした。耳をドアにくっつけるが何も聞こえない。自分の家のクローゼットにノックするというのもなんだけど…と、にへらと恥ずかしさに笑ってみたりもする。
やっぱり鍵を使わないとダメなのかしら。
そこでミヤコは鍵を使って扉を開けると、ギイといつも通りに扉が音をたてて開いた。
が。
そこには掃除機が一台。ただのクローゼットのままだった。
「あ、あれ?」
もう一度ドアを閉めて、開けてみる。だがそこにはやはり掃除機しか入っていない。
「なんで?」
口に指を当てて、しばし呆然とするミヤコ。
「いけなくなっちゃった、とか?あ、それよか、夢だったとか?」
廊下をウロウロ歩き回り、どうしようと考えに考えて、さっぱりわからなくなってしまった。
ナンテコッタイ。
「ちょっと、何よ。結構楽しみにしてたのに」
チッと舌打ちをしてから仏壇の前に向かった。梁にかけた祖母の遺影を見上げる。
「おばあちゃん、自分に酒を盛らないからってひがんでる?もしかして」
ミヤコはニヤリとしてキッチンから赤ワインとグラスを運び出し、祖母の仏壇においた。
「これはね、ピノノワールって言って赤肉にも白肉にも合うワインなんだよ。今日は上品にラム肉のカツレットをクルトさんにご馳走しようと思って奮発したんだけどね。仕方無いから、おばあちゃん、一緒に飲んでよ」
そう言って、ミヤコは仏壇に手を合わせ線香を灯して、チーンとリンを打った。
クルトさん、ごめんよ。とりあえず努力はしたんだよ。
ふう、とため息をついてミヤコは「一人でラム肉か」とゴチリながらキッチンに向かう。
コンコンコン。
うん?こんな時分に誰かな。
ミヤコは玄関に行ってドアを開けたが誰もいない。もしかしてまた勝手口に淳兄さんが来たか、と思い勝手口に向かったがそこにも誰もいなかった。
背筋にぞくり、と冷たいものが走る。
やだなあ、変な想像しちゃったよ。古い家に一人ってやだなあ。
コンコンコン。
ギギギ、と恐怖にかられ、音のする方へ首を回すと視線の先には廊下のクローゼット。
一呼吸おいて、ミヤコは廊下を走り、震える手でさしっ放しになった鍵を回して扉を開けた。
コンコン、ゴツ。
「あ」
ドアを開けた先で、一段階段を降りたところからドアをノックするために手の甲を向けたクルトがちょうど良い高さにあったミヤコの額をノックした。
「いた」
「ご、ごめん」
クルトは思わず、自分がノックしたミヤコの額を指で抑え、反対の手で自分の口元に手をやった。額を抑えられたミヤコは顔を上げることができず、上目遣いでクルトを見る。
「ごめん。痛かった?」
クルトの頰はヒクヒクと笑いを堪えていたが、丸分かりだ。
「大丈夫です」
ミヤコはちょっと拗ねたようにそっぽを向いたが、ほんの一瞬前までホラーな場面を想像していた自分を思い出して、ほっと笑みを浮かべた。
「そちらへ道が通じなかったので、もう会えないかと思いました」
「僕も、そう思って何度か食物庫へ足を運んだんです。そうしたら突然ドア枠の隙間から光が漏れていたので、もしかしたらと思って。開けようとしたんですが開かなかったので、ノックしてみたんです。聞こえててよかった」
クルトもミヤコが微笑んだのを見てほっとして、はにかむように微笑んだ。
「よかったら、こちらへ来ますか?」
その顔が、可愛いと思ったからでは断じてなくて。
ミヤコは一人暮らしの女の部屋にクルトを招き入れてしまったことを後悔したが、覆水盆に返らず。
クルトはぱあっと顔を輝かせ、好奇心いっぱいの瞳で「お招きありがとうございます」とこちら側へ足を踏み入れた。
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