第10話:自然に嫌われた世界
「そこで、提案なんだが。ここで、聖女になりませんか?」
キラキラしい新緑の瞳でクルトはにこやかに言い切った。
マジすか。
「せ、聖女ですか」
それはムリだろう、クルトさん。聖女っていうのは、アレでしょ。神様に身を捧げた清らかな人じゃないとダメなんじゃないですか。奇跡起こしたり、聖魔法使ったりとかするんでしょ。
一体どこで、「
「難しく考えなくてもいいんだ。時々瘴気を払ってくれるだけでありがたい」
そう笑いながら、暖炉に人間の頭サイズの黒い石を幾つか積むと、クルトは右の指を鳴らすように掌を石に向けた。掌からボッと炎が踊り、石にまとわりつくようにうねると、石は内部から赤く光り、静かに炎を纏った。
「うわ。何ですか、今の」
ミヤコが思わず飛び上がって目を見開くと、クルトは小首を傾げてエッという顔をした。
「着火魔法だよ?ただの
「着火魔法…」
扉のこちら側の世界では、薬草は使われておらず、全てが医療魔法と聖女の回復魔法や癒しに取って代わったのだそうだ。だが、一世紀ほど前に植物に魔力があるということがわかり、研究者たちが次々と森を開拓した。自然の摂理は崩れ交配が人工的に為され、魔力で成長を促したり押さえたりするうちに魔性植物が生まれた。植物の防衛本能が活発になり、自分たちを守るために抗体を作り始めたのだ。
それが瘴気となり、狩られる側から狩る側へと進化した。
二十年ほど前、突然魔性植物が活性化し群れを成して森を作り、ダンジョンを作った。それが
人間は森を避け、土地を追われ、
魔獣に追われた魔力のない動物や人間が
「僕は風と炎の魔法を得意とするんです。水魔法は生活魔法程度だけどね」
「わあ。すごいですねえ。魔法が使えるなんて不思議!」
やっぱりここは異世界なんだなと、妙に納得をするミヤコに、クルトは不思議そうな顔をした。
「ミヤはどんな魔法を?やはり土魔法かな?」
「わたしの世界に魔法はないですよ」
ミヤはちょっと驚いてから、クスッと苦笑する。クルトは眉を片方だけ釣り上げて少しだけ目を見開いた。
「その代わり、科学が発達しています。道具を使って、火をつけたり電気をつけたり。でもそれも自然から力を借りているので、資源を大切にするようにしています。少なくとも、今のところ私の世界では植物から拒絶反応は出ていないみたいですし」
ふ、と笑うとミヤは、部屋を温める暖炉の石を見つめた。暖炉は木の燃える音や匂いが一層ムードを出すのに、ここでは違う。石を温めるというのはまるでサウナだな、とぼんやり思う。まあ、我が家は暖炉では無く囲炉裏で田舎臭いのだけれど。
「わたしがオーガニックの家庭菜園を作ったりハーブガーデンを作るのは、自然の恩恵をより多く受け止めたいからなんです。わたしたちの体は精神よりも弱く、ちゃんとバランスをとらないとすぐ病気になったり怪我をしたりするでしょう。だから、栄養のあるものをバランスよくとるよう気をつけてるんです。もちろん、美味しいものを食べたいという欲求もありますけどね」
植物に意思があって、人間や動物に食べられるのを拒否されたら、私たちはすぐに死んでしまうだろう。自然界を敵に回し、植物に嫌われた世界なんて。恐ろしい世界があるものだ、と体をブルリと揺らした。
やっぱり魔力なんてない世界に生まれて良かった。
「ですから、わたしには聖女なんて無理ですよ、クルトさん。わたしにそんな力はないし。せいぜいハーブ入りの小物を作るか、美味しいものを作ることぐらいしかできませんから」
暖炉から目を逸らすと、ミヤはクルトに向かって困ったように笑った。
「…では、ここでミヤのいう美味しいものを作ってはくれないだろうか」
クルトは食い下がり、そっと手を伸ばすとミヤの手を取り両手で包み込んだ。
ミヤはギョッとして体を強張らせるが、離すどころかクルトはぎゅっとミヤの手を握りクルトの胸の前に持っていき、ミヤの手を自分の胸に押し付け祈るように言った。
「ミヤの作るものを、食べてみたい」
ぎゃああああ!
プロポーズきたーー!
会ったばかりの異世界人のイケメンにこんなことを言われるなんて、一生の不覚とでも言わんばかりにミヤは全身真っ赤になって、パクパクと口を動かした。
「僕も君の世界に興味がある。君の作ったものに聖女か薬師の力が働くのであれば、この食堂はきっと重宝される。悪いようにはしない。どうだろうか」
あ。ああ、そうか。クルトさんは経営者。この食堂を繁盛させたいと考えれば、新しいものを取り入れようとするのは当然で。ミヤは妙に納得し、ちょっとがっかりした自分を遠くから見つめた。
これから答える言葉は、きっとミヤにとっていろいろ不都合になるのだろうなと思いながら。
「うえぇ。…と、時々でもよければ」
でも、今は。
「とりあえず、実家に帰らせていただきます」
なんかちょっと意味が違う気がしたが、ともかくこの状況はミヤコにとって芳しくない。自分でも驚くほどパニクって舞い上がってる。だってイケメンなんだもん。きっと押されて流されて、後悔することになる気がした。
ひとまず風呂に入りたい。
「ありがとう、ミヤ。では、僕の方でも君を受け入れる準備をしよう。薬もまた作り貯めなければならないし、王宮にも瘴気が晴れたことを報告をしなければ」
受け入れる準備ってなんだよ、と内心突っ込んで落ち着かなくなるも、ミヤコは「ではまた」と食物庫を上がって蛍光灯のついた廊下へと戻っていった。
「ええと、明日はちょっと忙しいので、2〜3日後でもいいですか?」
「ああ、もちろん。ミヤの都合に合わせるから」
笑顔のクルトに、「わかりました」とお辞儀をしてミヤコはクローゼットの扉を閉め、鍵を回した。そして、しばらくドアに背を預けてから、力なくずるずると座り込み膝に顔を埋める。
「ドウシテコウナッタ」
***
廊下に転がったコップを拾い、ミヤはキッチンから絞った雑巾を使い床を拭いた。
「いいお酒だったのに。モッタイナイお化けが出る」
仏壇を見れば、線香は既に燃え尽きており、ぬるくなった冷酒のカップには水滴がついていた。祖母はきっとうまい、うまいと飲んだに違いない。カップを持ち上げて仏壇の棚に付いたカップの水滴を綺麗に吹き上げ、ミヤは風呂へ向かった。
精神的にすっかり疲れ切ったミヤは、酒臭くなった髪を丹念に洗い、椿オイルを一滴落とした湯で濯いだ後、同じ湯にタオルを浸し、固く絞ってから頭に巻き付けて髪を蒸した。ラベンダーオイルを数滴とエプソムソルトを一つかみを入れたバスタブにつかり、フウと一息つく。
怒涛の1日だった。朝からサンデーマーケットに行って買い物をし、庭掃除もほとんど終えた。それだけでもかなりの体力を使ったのに、異世界にまで足を延ばしてしまった。
「ははは。異世界まで行っちゃったよ」
しかもあんなイケメンと会話までした。
クルトの顔を思い出してふにゃりと頬を歪ませる。
ありがとう、桃の酎ハイ。
明日は引越し便が届くから、部屋の模様替えもしなくてはいけない。南瓜の種も洗い出して天日干しをしたい。ああ、それにオリーブの枝と雑草もシュレッダーにかけてコンポストに入れなければ。やることはたくさんある。それから隣町のハーブ専門店『バジリスト』へも消臭剤と洗剤のサンプルを届けなくちゃいけないし。
…クルトさんに、何を作ろうかな。
はっと気がつけば、燃えるような赤い髪と新緑の瞳のイケメンの笑顔の事を考えている自分がいて、ミヤコは顔を赤らめ、風呂にぶくぶくと顔を沈めた。
『結婚なんて望まない。恋愛なんて糞食らえだ!』
そう思ったのは、ほんの数日前だったはず。
「いくらなんでも、浮つきすぎだぞ。ミヤコ」
そう自分自身を叱咤して風呂を出て、飲みそこなった冷酒をグラスに半分ほどついだ。
明日も忙しくなりそうだ。しっかり鋭気を養わねば。
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