第9話:緑の砦

「それで…ミヤはその、聖女でも女神でもないと?」

「全くもって恐れ多いですね」


 食物庫の中では薄暗くてよく見えなかったが、食堂に促され朝日に包まれた食堂の中でクルトと名乗った男をまじまじと見てミヤコは真顔になった。


 艶やかな炎のような赤髪。くすみのない褐色の肌、整った顔の輪郭。高くすっと通った鼻筋に、長い睫毛の下から覗く潤んだ新緑の瞳の中央には闇夜の黒。適度に肉のついた形の良い唇はミヤコを見つめて、ほんのり笑みを浮かべている。


 食物庫ではミヤコが階段の上にいたので気がつかなかったが、背は淳よりも高いと見える。ほっそりとしているのに筋肉質の上にしなやかで、立ち姿も美しい。ミヤコが今までにあったことのない「完璧」という言葉に値する美青年だった。


 恋人にしようなどともってのほか、むしろ彫刻として庭に飾って置くのにもってこいだ。拝みたくなるほどに。……畑には似合わないかもしれないが。

 

 異世界人は美しい、とどこかの小説で読んだ気がする。もしかすると、ヨーロッパの彫刻のモデルはみんな異世界人だったのかも知れないな。


「わたしは一般市民です」


 ミヤコは念を押して言葉を続けた。


 女神とか聖女とかは、あなたの方がお似合いの言葉です、男だとしても。と心の中で付け加える。


「その…なぜか、わたしの家のクローゼットが、クルトさんのお店の食物庫に繋がってまして」


 こんなおかしなことを真面目な顔で言うのもなんだが、実際に起こっているのだから『そんなバカな』と笑うこともできない。この現状を叔父夫妻と淳たちに見せてやりたい。「嘘じゃなかったぞ!」と声を高らかに言ってやりたい衝動にかられるのを、ミヤコはぐっと抑えた。


「ああ。そしてその扉は僕の居住地の扉に続いているんですよ、本来は」


 クルトは困ったように言った。食物庫の奥の扉は、地下通路に繋がっていて、そこからクルトの居住地になっている緑の砦に入るのだと。だからその扉とミヤコの家が繋がっているとなると、クルトは砦に帰れないのだ。


「それは…困りましたね」


 緑の砦はもともと魔物に対抗するために戦士たちの駐屯所として使われていたが、クルトが就任してからいろいろ改造、増築を試みて、戦士や冒険者の休息所兼食堂として利用されていた。不足気味の回復薬や魔道具、武器や武具の交換などもここで行われるため、仮眠所は食堂の隣に備え付けられている。簡易シャワーもあるので、寝食には問題はない。


 だが。


 ミヤコの家の方は、掃除機だけが仕舞ってあるクローゼットなので特に困りはしないが、クルトの方は家に帰れないのである。それはきっと不便極まりない。気の休まる自分だけのスペースがないというのは本当に疲れる。結婚相手として一緒に住んでいた人間に対してですら、時々そう思ったものなのに。


 ベランダで土いじりをしている時間が、聡と四六時中いるより気が休まった。


 かといって、異世界人であるクルトをミヤコの家に連れて行くのは絶対ダメだ。一人暮らしの女の家にこんなイケメンを入れたら、ミヤコの神経の方が持たない。すっぴんで居られる度胸すらない。と考えたところで、ミヤコは今、冷酒を頭からかぶってベタベタする体のまま、このイケメンの前に立っていることに気がついた。


 しまったあああ!すでに普通より下の風貌じゃないか。淳兄さんのところに行くだけだったから、化粧だってしていない。すっぴんの上、酒臭い。


 挙動不審になりアワアワするミヤコに、クルトは首を傾げた。


「まあ、僕は転移魔法も使えるので特に問題はありませんが。それより…」


 クルトが空になった桃の缶チューハイを差し出した。


「これは間違いなく、ミヤのもので?」


 差し出したものはやはり、桃の缶チューハイだった。不法侵入した上に、ゴミの落し物をするなんてなんという手落ち。


 しかも酒カン。


「……はい、確かに」


 すみません、飲んだくれじゃないんです。ええ、毎晩飲みますけれど、アル中ではないんです。


「中身が少し残っていたので、試しに飲んでみたのです」

「ええ?わたしの飲み残しなんて飲まないでくださいよ……」


 クルトが申し訳なさそうに告げたので、ミヤは真っ赤になって狼狽えてしまった。それは間接キスというやつでしょうか。いや、この歳で別に狼狽えるほどのことでもないですけど。


「いや、すまない。ミヤの存在を知らなかったし、好奇心に負けてしまって」


 クルトは慌てて付け加え、飲んだ時の体の変化について詳しく説明した。一口含んだだけで、右目の視力が回復したこと、その後、体力も魔力も戻ってたこと。そして食堂の瘴気も浄化され、床も机も椅子も聖女の加護と同等の力が付いていたことなど。


 だが、と口元を片手で押さえながら少し視線をそらしてクルトは謝罪した。


「考えなしに行動してしまった。気を悪くしたなら謝る」

「いや、クルトさんが気にしないんであれば、わたしは別に…」


 ごにょごにょと口の中で語尾をごまかすミヤコ。


 気まずかっただけで、問題はない。気の抜けたチューハイはあまり美味しいとは思えないが。視力が戻ったというのは疑わしいものの、体調が良くなったのならよかったとしよう。


 食堂は昨日掃除をしたまま、ほんのりとペパーミントの香りが漂っている。瘴気とやらが浄化されたとするならば、それは除菌剤と消臭スプレーのおかげだろうか。


「確かに、ペパーミントは除菌作用があるけれど…わたし、手作りの除菌剤と消臭スプレーを使っただけなんです。重曹とペパーミントオイルと精製水で作った簡単なものだったんですけど…」

「ペパーミントというのは?」

「あ、薬草ハーブです」


 クルトが小首を傾げたのを見て、こちらにはペパーミントがないということに気づき、ミヤコはペパーミントがどういう効能を持つのか説明した。


「なるほど…。ということはミヤは薬師ということですか?」

「え?いや、薬師というほど薬剤は知らないので。わたし栄養士なんですが、ハーブは趣味が高じていろいろ創作してるだけなんで」

「栄養士?」

「ええと、栄養バランスの取れたメニューを作ったり、調理方法を改善したりするんです。あとは新素材を研究開発したりするので、ハーブも元々その一環のつもりで…」


 ミヤコの話を聞きながら、クルトは腕を組み「ふむ」と考えるように頷いた。


「ここ緑の砦は、ダンジョン・トライアングルという地の中心にあって」


 クルトはミヤコに座るように促して、自分も椅子を引きそこにまたがり、両手を背もたれの上で組み顎を乗せた。


「僕は以前、討伐隊に属していたんだけれど、毒で目をやられてね。3年ほど前にここに派遣されたんだ。本来この毒は少しずつ僕の体を蝕んで、いずれは死に至らしめるはずだった。ここはダンジョンの一つである東の魔の森イーストウッドに近くて、そこで採取できるほんの少しの薬草からなんとか解毒剤が作れないかと、個人で研究を進めていたんだよ。聖女の癒しも、回復の魔法も効き目がなくてね。

 昔の文献で解毒草がこの森にあるということを知って、何度か採取を試みたんだが、解毒草だけではあまり効き目が無く、試行錯誤してたんだ。そのうちいろんな薬草があることを知って、回復薬や魔法補助薬が作れることがわかった。それで、僕はここで店を開くことにした。それが討伐隊員や戦士に好評で噂になってしまってね。そのうちに店が食堂になってしまったんだ」


 クルトは顔を上げて店内を見渡した。


「三日前、ちょっとしたアクシデントがダンジョンで起こって、魔性植物が暴発して瘴気が大量に発生してしまったんだ。それだけでなく、その瘴気にやられた魔物が暴走してトライアングルの結界を破損してしまった。

 そのせいで、瘴気が流れ込んで僕も言わずもがな倒れてしまった。緑の砦内で瘴気が収まるまで避難していたのだが、今朝、眼が覚めると瘴気はすべて浄化された後で。食堂に下りてきたところ、すっかりきれいに片付けられていて。魔物の暴走が起きてすぐ王宮には連絡をしてあったけれど、昨日の今日で聖女が来るわけもなく、ましてやあの聖女が店の掃除をするなんてあり得ないし。そして極め付けはこれだ」


 そう言うと、クルトは桃のチューハイの缶を手に取った。


「ミヤの置き土産は、僕の忌まわしい毒を消しただけじゃない。視力も魔力も完全に回復させたんだ。ミラート神のご加護かと疑ったよ」


 クルトは鮮やかに笑って、さながら神に感謝をするように缶に口づけを落とした。その姿が妙に色っぽくて、ミヤコは顔を赤らめて視線を外した。


 破壊力壮大!


 イケメンは何をやってもイケメンなのね。


「そこで提案なだが」


 クルトがミヤコに向き直り、新緑の瞳を輝かせた。


「ここで、聖女になりませんか?」


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