第8話:食物庫の扉の向こう側ークルトの視点

 僕はハルクルト・ガルシア・ルフリスト。


 ルフリスト軍師の嫡子で元々は討伐隊の精鋭部隊長だった。先のイーストウッドの討伐で、腐乱性魔性植物の群れを焼き払ったのだが、詰めが甘かった。ビャッカランの毒で目をやられた。ビャッカランの毒は即効性ではなく、時間をかけて肉体を蝕んでいく。聖女の祈りも魔法も回復薬も効かなかった。何年かかるかわからないが、僕の体は徐々に侵蝕され、朽ちていく。毒に直撃された右目は視力が落ち、眼の色が深い緑から灰色へと変わっていった。


 まず風魔法が使えなくなった。僕は風と火の魔法を得意とするが、風魔法が使えなくなって討伐隊に必要だった瞬発力が落ちた。いつか朽ちていく僕を、婚約者だったマリゴールドも見放していった。


 そうこうするうちに、僕は討伐隊から名誉隊員として除名処分を受け、司令部隊の補佐へと部署を移された。大義名分だが、実質のところ役立たずのレッテルを貼られたようなものだ。


 しかし僕は諦めなかった。なんとかしてこの毒を払うことができないかと、時間を見つけては古代書を調べ研究し、勉強した。そこで見つけたのが薬草だった。何百年も前に廃れた古代技術。聖女の浄化魔法に取って代わられた自然の力。薬草と聖女の確執と繋がりについても調べたが、確定できる繋がりは見つけられなかった。


 そうこうするうちダンジョン・トライアングルの中心にある緑の砦に派遣され、ダンジョンで戦う戦士たちの補助をするという任務を得た。3つのダンジョンの中心点に立つこの砦は戦士たちの生命綱だ。


 僕は瘴気のない部屋を緑の砦の一角に作り、薬草の研究を続けた。そして室内で精製水を用いて薬草を種から育て、回復薬や毒消しを作ることに成功した。そうしてその方法を王宮に提出すると、即座に国民に開放し、回復薬の保持を認められた。


 小さな村や町では薬草室が設けられ少ないけれど回復薬が国民の間で広まり、僕には薬剤師の地位を与えられた。薬草のあまり育たないこの土地で、薬剤師などという立場はもはや歴史上の地位にのみ値する。役立たずで今にも死にそうな僕に施された立場だ。


 だがそれは僕にとってうってつけでもあった。


 ダンジョン・トライアングルと呼ばれる地帯は、東の魔の森イーストウッド天南門サウスゲートそして西獄谷ウエストエンドの3点を結ぶダンジョンから成り立っている。砦はその3つのダンジョンの中心部に位置しており、周囲は聖女の結界で守られているため、戦士や冒険者の最後の拠り所となるのだ。


 そのうち僕は砦にこもるよりも、冒険者でも近寄りやすいログハウスを作り、戦士たちに回復薬や魔力回復薬を含んだ食事を取ってもらうことを試みた。トライアングルに来る者は、単なる回復薬よりも暖かい食事や酒で、緊張した気持ちも疲れ果てた体も少しは楽になり気力も増すであろうと。


 そうするうち、戦士たちは森で狩った魔物の肉や野生のハーブをログハウスに届ける様になり、この食堂が皆の心の支えになった。砦の地下道から続く出口に食物庫を増設し、ログハウスは過去に見ないほど人が集まり、食豊かな食堂へと進化した。


 僕は相変わらず砦に住み、地下通路を通って食物庫から食堂へと通った。


 それなのに、三日前の討伐でどこかのバカが、高レベルの魔性植物を爆発させるという強行突破を試みた。魔性植物に迂闊に火炎魔法は使えないのは常識だ。発火と同時に胞子を吹き出し種を運ぶ。植物討伐をするものであれば誰でも知っている種子存続の本能だ。火炎魔法を使う時は当然、風魔法で球体結界を作り、魔力も胞子もハイヒートで同時に消滅させる必要がある。


 悪いことに、その胞子に乗せた魔力をフランダケというキノコが受け取った。フランダケは魔力を一定量受け取ると瘴気粉を吹き出す。瘴気粉は空気中に漂い、水分を一定量含むと爆発する。そうやって胞子を撒き散らすのだ。


 それが東の魔の森イーストウッドで一斉に起こった。


 溢れた瘴気は魔物を狂暴に変え、戦士たちに襲いかかった。それだけならまだしも、その魔物たちは結界を破り、迎え撃つ暇も与えずに砦を襲ったのだ。


 それから丸1日僕らは必死に戦った。


 砦にあったほぼ全ての薬草とポーションと魔法を使い、なんとか結界を塞ぎ魔物を倒したものの、結界内に瘴気が残り、瘴気が晴れるまで店は締めなければならなくなった。戦士たちは転移魔法を使って自国領に帰ったが、僕は砦に残り瘴気が晴れるのを待つつもりだった。


 丸1日の戦闘で怪我こそしなかったものの、僕は瘴気を吸い込み、気分も体調も最悪だった。聖水も戦闘時に全て使い果していたため、よろめきながら、食物庫にあったハーブ、マートルというレモンに似た葉に含まれる僅かな精油から瘴気拡散剤を作成し、目眩と吐き気をそれで抑えて眠りについた。


 ふと、あたりの空気が軽くなった気がして眼を覚ますと、空域の淀みが消えて瘴気がすっかり払われていることに気がついた。僕自身の体もすっかり毒気が抜け、驚いたことに視力までもが少し回復していた。


 いったい何が起こったのか。


 砦を纏う気までも清浄されている。


 僕は慌てて、地下道を抜けて食堂へと向かった。


 食物庫から流れる気がいつもと違う。


 体が軽くなる。


 どきどきする胸を押さえ、食堂へ続くドアを開けると、そこはまるで別世界だった。いや、食堂そのものはいつもと同じ。


 あれほど滞っていた気が、瘴気が晴れている。


 床に、テーブルに、椅子にすら光の胞子が纏いつきキラキラと精気を発しているではないか。食堂へ一歩踏み出すと、そこが綺麗に片付けられて、清掃されていたことに気がついた。


 誰かが瘴気を払って、加護を与えた?


 ほんの、昨日の今日だ。まさか、聖女がやってきたわけではあるまい。それに今の聖女にこんな力は無い。僕の体に染み付いた毒素すら軽減させる力。


 いったい誰が。


 厨房のカウンターの隅に、その加護の一片を見出した。円筒型の桃色の容器。持ち上げてみればかなり軽いが、中にチャプチャプと水が入っている。恐る恐る匂いを嗅いでみると、すっとした少し甘い匂いがする。


 回復薬か、あるいは…聖水?


 スプーンに中身を取り出してみれば、少し濁りの入った透明色だ。悪いものではなさそうだ。思い切って唇を濡らしてみると、ピリッとした痺れを感じ、右目の膜が剥げるように視力が戻ってきた。


 なんだ、これは。


 スプーンを口に入れ、その液体をこくりと喉に流し込んだ。唇に感じたのと同じ痺れが喉を通過し、僕は体を半分に折り体感した。がっしりと両の腕を抱える。


 魔力が戻ってくる!


 目が見える!視力が戻った?


 僕の体を中心に風が舞う。


 風魔法が使える!


 僕は、目を皿のように大きく見開いて桃色の容器を見つめ、残っていた液体を飲み干した。忘れかけていたあの感触。


 風の加護。


 炎の加護。


 僕の瞳に緑が戻り、僕の髪は今まで以上に赤く燃え上がるのを心で感じた。


 ミラート神の加護か。


 かちゃり。


 誰もいないはずの食物庫からわずかな金属製の音が響いた。振り返り、食物庫へ向かう。


 砦へ向かう階段の扉から光が漏れている。


 あそこは地下道だ。なぜ光が差し込んでいる?


 訝しげに扉へ近づき、武器になるものを探したが食物庫に武器はない。動物ならば乾燥肉を与えれば時間が稼げると思い、腸詰肉へ手を伸ばした。


 ギイ、と音を立ててドアが開くと同時に眩いばかりの光が僕の目を刺した。


「わあああああああ!」

「きゃああああああ!」


 驚いて階段から転げ落ちてしまったが、目を瞬かせると、階段の上には光をまとった女神がそこにいた。

 神々しいまでの後光が女神の輪郭を象るが、眩しすぎて姿が見えない。


「女神さまですか…?」


 声をかけていいものかと戸惑ったが、失礼のないように伺いを立ててみた。


「違います」


 思いがけなく、はっきりした口調で否定されてしまった。動けないでいると、女神は後ずさり、ぱたっとドアを閉めてしまった。


「あっ!ちょっと、待ってください!」


 慌てて起き上がり、階段を駆け上がる。なぜこの扉が天界に続いているのか!ドアの向こうでくぐもった声がする。よく聞こえないが、呪文を唱えているようだ。


 まずい。

 僕の態度に怒ってしまわれたか。


 女神でないなら、まさか聖女だったか。


「せ、聖女さま。あの、昨日ここに来たでしょう。邪気を払ってくれたのは、聖女さまでしょう」

「聖女なんかじゃありません。邪気なんて知りません」


 なんと聖女でもないときたか。じゃあ、なんだ。こんな力を持っているのは神か聖女ぐらいしか思いつかない。それにこの声。ドア越しに聞こえる声は明らかに少女のものだ。僕と同じ人間なのか。


 だとしたら、よほど優秀な薬師か、どこかの宮廷魔術師か。


「…でも、昨日ここに来たのは、貴女だよね?ええと、僕はクルト。この店のオーナーです。いろいろ片付けてくれたのは、貴女ですか?」

「…腐臭がひどかったので、掃除をさせていただきました。え…と、勝手に入ってすみませんでした」

「腐臭?君は…その中で掃除をしてくれたのか?」


 瘴気を匂いで嗅ぎ取ったというのか。獣人族の子供か?瘴気を匂いで感じながらそれを払いしかも掃除までしたというのは、なんともおかしな話だが。獣人の嗅覚ならまず凶暴化してしまうのではないか。瘴気に影響されないというのか。


「臭かったので。こっちにまで臭ってくるかと思って。すみません」


 ああ、恩人に気を使わせてしまった。このままでは二度と姿を見せてくれないかもしれない。


「いや、謝られても困るんだ。感謝している。僕では、というか、こちらでアレを簡単に払える人物は聖女しかいなくて。でも聖女様を呼ぶ体力も気力もなかったからほとほと困っていたんだ。商売にならなかったからね。それで、その…名前を伺っても?」


 躊躇いがちに少女が名を告げた。


「ミャーコ?」

 うん?いや、違うようだ。またボソボソと言葉が紡がれた。


「み、こ?巫女さま?」


 …いや、どうもそれも違うらしい。ドア越しではどうにも聞こえにくい。聞いた感じがミラート神とよく似ているが、ミラートは男神だったな。僕たちの知らないミラート神の妹神だろうか。


「ドアを開けてもらってもいいですか?」


 伺いを立てたが、返事がない。疑われているのか、恐れられているのか。そうだ、あの液体の話をしてみよう。何かわかるかもしれない。そう思って、必死で話を繋げると、少女からドアを開けると言われた。


 緊張する。またあの光に目が焼かれるかもしれない。


 ドアが開く。


 先ほどよりも近い位置で、黒髪の少女が疑うような目で僕を見て立っていた。やはり後光をまとっていたが、今度は顔が見えた。アーモンド型の潤んだ黒い瞳、なぜか水が滴っているが、艶やかな黒髪が頬にかかり、ぽってりした赤い小さな唇がその髪と対照的でやけに目を引いた。


 そして黒髪の女神はその声に等しく、やはり可愛らしく小さかった。


 少女は、ミヤと名乗った。

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