第5話:家庭菜園とハーブガーデン
眼が覚めると、夜中に雨が降ったようで外はキラキラと幻想的に陽の光が反射していた。
「緑が多いっていいなあ」
ミヤコは眩しげに、眼を細めるとふああ、とあくびをして部屋を出た。時計は8時を少し過ぎていた。
昨日はとんだ1日だった。
怒涛の三日間で、1年と8ヶ月住んだアパートを引き払い、家庭の事情でと仕事も辞め、引っ越し業者を速攻で頼み、聡と荷物を追い出して、その後、約5時間かけて帰省したのだ。
トンカツは相変わらず美味しかったが。
顔を洗い、歯を磨きながらミヤコは今日やるべきことを考える。まずは庭を手入れした方がいいかな。今日は日曜日だから、職探しは明後日でいいか。明日は引越し便が届くはずだし。
「おーい、ミヤ。起きてるか?」
土間から淳の声が響く。勝手口の鍵を閉め忘れていたのか、淳は特に気にするでもなく土間に上がっていた。相変わらずのイケメンだ。28歳だというのに、まだ大学生でも通るようなセンスの良さとがっちりした体格はさすがラガーマン(だった)とも言える。ものすごい筋肉質というのではなく、すらりとしているのに腕とか肩ががっちりしているから逆三角形のヒーロー体型をしている。180cmという高身長もラグビー選手の中では平均的なのだそうだ。チームの中には190cmや2mくらいの人もゴロゴロいるとか。160cmに満たないミヤコからしたらもはや巨人でしかない。
「おはよう淳兄さん。なあに、朝っぱらから?」
洗面所を後にして、寝巻きにショールを羽織っただけのミヤコが顔を出すと、淳が「よう」と手を上げて挨拶をした。玄関だけが入り口じゃないのを忘れていた。気をつけなくちゃ。
「今日サンデーマーケットがあるんだけど、行くかなと思ってさ。」
「えっ、なに?そんな洒落たもん、いつからあるのよ。行く、行く!」
用意をするからちょっと待ってて、と急いで部屋に戻ると、ミヤコは黒のタートルネックとスキニージーンズを履き、お気に入りの赤のショートコートを羽織った。今まで伸ばしていた肩甲骨に届く長い黒髪を、引越し前にバッサリ切ってショートボブにしたミヤコは、軽く左右に首を振って鏡の前で髪型を確認する。ミヤコのしなやかで素直な髪は、両頬から流れるように顎の辺りに収まった。
聡が長いストレートの髪が好きだったので、ずっと伸ばしていたが手入れが面倒くさい。留学中に会ったフランス人の友達が、ピクシースタイルのショートにしていたのがひどく羨ましく思えたものだ。朝シャンをして、わしわしと適当に乾かしてワックスをつければいいから楽なのよ、と彼女は綺麗な歯並びの口を大きく開けて笑った。もちろん彼女の髪は手触りが柔らかく、自然なアッシュブロンドだったからピクシーカットも妖精のように儚げに見えた。
ミヤコの髪はどうしても鋼のようなストレートで、ピクシーカットにしようものならハリネズミのようになるに違いない。髪を染めて痛むのも嫌だったし、大胆かつ無難なショートボブに落ち着いた。
最後に聡にあった時、目をひんむいてワナワナと大口を開けていたな。
首元が寒いけれどミヤコの性格には合っているような気がして、大満足をしてミヤコは玄関に向かい、ヒールの低いロングブーツを履いた。
「サンデーマーケットなんて言って、カッコつけてるけど、だいたいが農家の半端野菜と果物なんだよ。形は悪いけど、新鮮だから日曜日に買いだめするんだ」
淳が車を出してくれたので、たくさん買っても荷物の心配がない。妊婦の美樹を気遣って、大きな買い物はだいたい淳がするらしい。体はでかいが、繊細で甲斐甲斐しい淳はきっとモテモテだったに違いない。美樹はそんな淳のハートをガッツリ握ったいい女と言える。
「そうか。それはいいことを聞いたわ。ねえ、じゃあ手作りの小物とか私もお店出せるかなあ?今のところ、ネット上で商品売ってるんだけど割と評判いいんだよ、わたしの手作りオーガニック商品。」
「へえ。オーガニック商品ねえ。若い子たちにはいいかも知れないけど、サンデーマーケットにはどうかな。ヤング衆は農家の野菜に興味なさそうだしな」
「うーん、そうか。じゃ、まずは視察だね。」
サンデーマーケットは近くの小学校の運動場で行われていた。ブースを設けて、店頭で売買をしていく。
熟れた野菜や果物の店が多いものの、中にはハーブの苗や種、搾りたてのジュースや焼きたてのパンなども売られていて、なかなかの賑わいだ。ミヤコは冷蔵庫の補充のため野菜と果物を買い込み、焼きたてのパンとジャムやサルサといったホームメイドの商品も幾つか購入した。
ハーブと野菜の苗も購入しておこうかな。
確か和子はミントとパセリ、ローズマリーは雑草のように生えてるし、ジャガイモとカボチャもあると言っていた。野菜はこれから冬に入るし、そうなるとハーブを先に育てたほうがいいか。温室の準備もしなければ霜にやられるかもしれない。本格的に冬になる前に準備をすることはたくさんある。
ハーブは、タイム、オレガノ、セージ…それからラベンダーとレモンバームあたり。ミヤコはハーブとエッセンシャルオイルを売っているブースを覗いた。
マーケットでハーブを売っていた赤井さんは、隣町にあるハーブ専門店『バジリスト』のオーナーで、月に一度サンデーマーケットで商品の宣伝を兼ねて参加していると言った。ミヤコが手作りのハーブエキス入り消臭剤や洗剤を作っているというと興味を持ってくれて、今度商品を見てくれると約束をつけた。
幸い、レモンバームを除いた全てのハーブの苗とレモンバームの種が手に入り、ついでにネロリとイランイランのエッセンシャルオイルも赤井の店で購入して、まずまずの成果を上げたミヤコはホクホク顔でマーケットを後にした。
帰りしなに、スーパーにも寄って薄切り肉と塩鮭、仏壇のお供え用に冷酒も買ってミヤコは帰路に着いた。淳に昼ご飯に誘われたが、今日は庭仕事を始めたかったので遠慮して夕飯を淳の家でご馳走になることを約束し、淳と別れた。
***
「ああ、これはすごい…」
庭仕事用の作業服を着て、鍬を持ちミヤコは大王のように大股で庭を目の前に立っていた。畑はすでにいろいろな植物がもみくちゃになり、ツルとツルがお互いをけん制しあいながら右に左にと盛り上がっていた。
西洋南瓜はすくすくと大きく育ちオレンジに色づいてはいたが、地面について虫食い状態になっているし、ジャガイモの葉はミヤコの手のひらよりも大きくそれこそ絨毯のように広がっていた。そこここにネギが生え、トマトとキュウリも支えがないため地面に這いつくばってしなだれていた。ひとまず土の状態はいいのかもしれないが。
ハーブの方はと見てみれば、ミントとローズマリーはもはやハーブではなく雑木林になろうとしているし、パセリの葉は、根を分けすぎて養分が行き渡らず黄色になっている。垣根沿いにオリーブの木が何本か植えてあったが、剪定もしていないため、たわわに実ったオリーブのせいで、垣根を押し倒す勢いだった。
「…1日じゃ終わらないな」
畑とハーブ園のあまりの野生化に打ちのめされそうになったミヤコだったが、気を取り直して三角巾をキュッと縛り直した。
「まずは、収穫から行きますか」
庭掃除は、基本上から下へということで、まずはオリーブの木の剪定をする。庭の隅にあった物置から剪定ばさみとのこぎりなどを取り出し、せっせと切りそろえていく。それほど背丈はなく、脚立を使えばなんとかなる高さだ。枝はほとんどしなだれて垂れ下がっていたのでバッサリと刈り揃えて、ビニールシートの上に重ねていく。
「オリーブの実はあとで取ろう」
留学中に知り合った友人たちは多国籍で、いろいろな食情報も手に入れたミヤコは、オリーブのオイル漬けと塩漬けのレシピもギリシャ人の友人からもらっていた。ワインにもよく合うし、肉料理にも相性はバッチリだ。合わせられる料理を考えてミヤコは内心ホクホクした。オリーブの木は5本あり、オリーブの実はバケツに何杯分にもなる。
おすそ分けに叔父夫婦と淳にあげよう。『バジリスト』の赤井さんにも連絡をして、もし受け取ってもらえるなら差し上げてもいいか。オイル漬けとかあそこでも売ってもらえるかしら。
次にローズマリーとミント。
両方ともほとんど雑草と同じで、過酷な環境にも強くすぐに根をつけることもあって、すでに太くなってしまった茎はくねくねと好き勝手に育っている。ミヤコは根こそぎミントを抜くと、柔らかい茎の部分を切り取っていく。新聞紙を使って折り紙のように作った小さなカップに土を入れそこへひと枝ごと刺していく。ローズマリーは根が深いので、間抜きをしながら小振りに枝を払う。
新たに腐葉土と石灰を土に混ぜ合わせ、水はけ具合を見ながら、新しく買った苗も植えていき、ミヤコの容赦ない剪定で、ワイルドだったハーブたちは次第に可憐なハーブ園へと姿を変えていった。
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