第4話:開かずの扉の向こう側

「開いちゃった…」


 その扉は閉まりが悪いらしく、鍵を開けたとたんに、扉が開いた。中は暗くて見えない。ホラー映画じゃないけれど、何か見てはいけないものが飛び出してくるんじゃないかと、ミヤコは後ずさったが、扉はふんわり前後に動いているだけで、何かが這い出してくる様子はない。


 たっぷり10呼吸はしただろうか。ミヤコは意を決して扉に近づいた。そっと扉を手前に引いてみると、そこには木製の階段があった。僅かにひんやりした風が入ってくる。


「やっぱり地下に繋がってるんだ…?」


 恐る恐る顔を突っ込んでみるが、何も見えない。ミヤコは踵を返し、キッチンの引き出しから懐中電灯を取り出した。そして思いついたように冷蔵庫の横に折りたたんであった3段脚立を手にし、きゅっと唇を一文字に結んで廊下に戻っていった。扉を大きく開けて、脚立をドアに立てかける。これでうっかりドアが閉まってしまうこともない。


 閉じ込められでもしたらそれこそ恐ろしい。


 懐中電灯で照らすと、その階段はほんの五段程度だった。その向こうには棚があり、木箱や壺が並べてある。ドア枠にうっかり頭を打ち付けないように体を折り階段をゆっくり降りると、目の前に広がっていたのは、食物庫だった。


「全部、食べ物?」


 箱の中には、ジャガイモやコーンらしきものやチーズウィール、天井から渡された縄には乾燥させたハーブや、ニンニク、燻製の肉やソーセージがぶら下がっている。瓶詰めはピクルスだろうか。壺の中は塩や小麦粉のようだ。


「え、なに?なんで食料なの?」


 あんなにドキドキしたのに、肩透かしを食らった気分だ。


『いつまた食糧難に陥るかもしれないしねえ。ちゃんと管理して、保持してなくちゃダメなんだよ。こういうものはきちんと管理しておけば、そうそう腐らないからね』

 

 冬になると雪で村から出られなくなることがあった時代、そういう乾物はきっと役に立ったのだろう。だが、今は戦時中でもないし、雪に覆われて外出もままならないほどの北国ではない。土間もキッチンも冷蔵庫もあるというのに、なぜ廊下の突き当たりに食料を保管してあるのか。保存食、というのでもなさそうだが。


 ミヤコはぶるり、と体を震わせた。冷蔵庫並みの冷え具合なのは確かだが。


 ぐるりと周りを見渡したミヤコは、懐中電灯の照らす先にもう一枚、普通サイズの扉があるのを確認した。まだ奥にも部屋が続いているようだ。どこまで広いの、この地下倉庫は。


 ミヤコはそっと新たな扉に耳を押し当てた。


 もしも誰かの気配がしたらさっさと上に上がって鍵を閉めてしまおう。それから警察を呼んで、調べて貰えばいい。うちの地下で誰かが暮らしていたとしたら、何が起こるかわかったもんじゃない。変な犯罪に巻き込まれるのはご免だ。


 息を殺して耳を澄ましてみたが、何も聞こえてこない。


 もしかしたら懐中電灯の光が漏れて、向こう側でも息を殺しているのかもしれない。


 ミヤコは扉から離れて階段の近くの棚に身を寄せて息をひそめ、そっと懐中電灯を消した。どくどくと心臓の音がやけに響く。


 だが、待てども待てども扉が開く様子はなく、人の気配もしなかった。


 ミヤコは我慢強いが気も強く、それ以上に好奇心が強い。目の前にある未知の扉からどうしても目を逸らす事が出来ず、ミヤコはドアに近づいた。もう一度耳をすますが、人の気配はない。


 ドアノブに手をかけ、そうっと音を立てないようにドアを押し開けた。


 ムッとした匂いがミヤコの鼻をつく。


 腐臭。


 肉か卵の腐った匂いか、それとも吐瀉物の匂いか。ともかく吐き気がする。まさか死体が腐ってるとかじゃないでしょうね。嫌なイメージが頭に浮かび、緊張が高まる。心持ち空気も重い気がする。


 頭が入るほどドアを開けて周りを見渡すと、どうやらそこは食堂のようだった。大きな鍋がコンロの上にあり、おたまの柄が蓋の隙間から飛び出している。山積みになった使われた食器がシンクを占領していた。カウンターの向こう側に見えるテーブルの上にも木製のマグカップと食べ残しの何か。死体らしい物体はどこにもないと見て、ちょっと安心する。


 一体いつから掃除をしていないのだろう。この匂いはどうにも我慢がならない。散らかり具合もまるで乱痴気騒動の後のようではないか。


 私は綺麗好きなのだ。使ったものはその場で洗う、出したら片付けるが基本!こんな腐臭が漂うまで放っておくなんて、食堂としての食品衛生状況はどうなんだ?


「すみませーん…」


 意を決して、ミヤコは小声で呼びかけて、耳を澄ます。


「こんばんわー?」


 うん、やはり誰もいないようだ。窓から部屋に差し込む光が月明かりだったことに気がつく。


 そこでミヤコはハタっと凍りつく。


 ここは家の地下のはず。なんで、窓があって外が見えるの?なんで月明かりが差し込んでるの?というか、なんで食堂が家の地下にあるの?虫の声がリーリーと静かに響く。


「ここ、どこ…?」


 ミヤコは真っ青になって、来た道を戻った。食物庫を横切って、階段を上って、扉をくぐり廊下にたどり着いた。慌ててドアを閉めて、背中をドアにつける。


 心臓がばくばくと肋骨を打ち付ける。フーッフーッと鼻から息を吐き出し、目を瞑る。


 頭の中で10数えてからガバッと振り返りもう一度ドアを開けるが、やはりそこには階段があって、食物庫が静かに佇んでいる。


「夢じゃない…」


 がくがくと笑う膝を抑えて、ミヤコはもう一度確認しようと階段を降りた。懐中電灯を握りしめる手は固く胸の前に収められている。まっすぐ食堂へ通じる扉に向かって歩き、中に入る。先ほど見た光景と変わらず、食堂は乱雑に倒れかけた椅子とテーブルに、食べ物の残骸と食器類が飛び散り腐臭が漂い、そして窓の外には月夜の淡い光と虫の声が静かに響いていた。


「やっぱり夢じゃない」


 これは、もしかして。噂に聞く異世界とかいうものではないだろうか。現実にありえないことな気もするが、事実は小説より奇なりというではないか。この家は古い家だし、そういう不思議な繋がりももしかしたら…。


 ミヤコはごくりと喉を鳴らした。


 このまま家に戻って、ドアを閉めて見なかったことにすればいい。そして二度と扉を開けなければいい。見なかったことにしてしまえば。


 でも。


 もし、このままずっと祖母の家とつながっていたら。この腐臭は食物庫にも流れ、しまいにミヤコの部屋にまで臭ってくるのではないか。想像しただけで吐き気が込み上げる。


 うぐ。


「仕方ない」


 ひとまず、消臭をしなければ。


 ミヤコは店内に目をやった。テーブルの上の食器をシンクに持って行き、シンクからベロンと無造作に垂れ下がった汚れた布巾に目をやる。


「うう、これは触りたくないな」


 ミヤコは踵を返し、部屋に戻り掃除がしやすい格好に着替えた上でエプロンをつけ、三角巾をショートボブの頭に縛り、マスクをつけた。スーツケースに詰めてきた手作りの洗剤と消臭スプレー、そして何枚かの布巾とゴミ袋を手に廊下に戻った。


「ああもう。着いた早々何なの。まったり感傷に浸ることもできないじゃない」



 それでも、ミヤコはいそいそと汚らしい食堂に向かい、静かに掃除を始めた。


「さて、どこから始めようか」


 まずは店内だ。乱雑に倒れた椅子を起こしテーブルを整え、持ってきた雑巾でテーブルを拭く。染みついたマグカップのマークには重曹と精製水にペパーミントオイルを混ぜて作ったスプレー洗剤を吹きかけて渋取りをする。床を掃き、食べかすや土埃を一箇所にまとめちりとりで拾い、持ってきたゴミ袋に入れてからモップをかける。これにもペパーミントオイル配合のスプレー洗剤を忘れずに使う。爽やかな香りのペパーミントオイルは除菌・抗菌効果もあり油汚れもすっきり取れる。


 調理場に戻ると、まずはカウンターを片付ける。汚れた食器や調理具をシンクに落とし、鍋やフライパンは重曹を少量の水で溶き、のり状にしたものを丁寧に塗りつけて10分ほど放置しておく。その間に、きれいに拭いたカウンターに布巾を何枚か敷いて、洗った食器の水気を切って置いていく。


 水切りラックなど洒落たものは見つからなかったからだ。食器も陶器ではなく、銅のような鉄製のものか、木製しかない。かといって、和製のものは何もなさそうに見えた。箸も茶碗もない。日本の田舎のような感じではなく、まるで何世紀も前のヨーロッパか、あるいはミヤコが慣れ親しんだ世界とは全く異なる異世界なのか。


 だが、キッチンのコンロはつまみ式で火が出るようだし、水もちゃんとタップがあって蛇口をひねると水が出てくる。中途半端に現代っぽいのがすごく変な感じだ。


 セラミックや陶器のお皿はないのに、テラコッタ製の壺とかビードロっぽいガラス瓶は食物庫にあった。あとソーセージのような腸詰のものや、ローズマリーのようなハーブもぶら下がっていたから、このクローゼットから繋がった世界は例え地球上のどこかでなく異世界だったとしても、あるいは過去のヨーロッパだったとしても、似たような文明があるらしい。


 そんなことを考えながら、食器を乾いた布巾で拭き取り、カウンターの上に揃えていく。棚を開けたら、またそこから片付けていかなければならないような気がして、食器棚であろう扉は開けずに置いた。


 そのくらいは、この店の人でしまってくれればいいだろう。私が勝手に片付けて、後から探す羽目になるのも申し訳ない。調理場の床も掃き掃除をして、モップをかけ、お手製の消臭スプレーを店全体にかけたところで、ようやく一息ついた。部屋の腐臭は取れ、爽やかなペパーミントの香りが広がっている。


「ふう。こんなもんかな」


 掃除道具を片付けてから、ひと仕事をやり遂げた達成感に満足したミヤコは、もう一缶だけ、と桃のチューハイを冷蔵庫から持ち出し、グビグビと喉を鳴らした。ぷはあ、と一息つき、カウンターに缶を置いた。


 もう一度店全体を見てみれば、なかなかいいサイズの店ではないか。窓際のテーブルは8台。全て4人掛けだ。カウンターには10脚のスツール。


 中央には幅の広い長テーブルが設置されていて、背もたれのない椅子が対面に並んでいる。部屋の隅には 古い3人掛けのソファーがコの字で暖炉を囲んでいる。あいにく暖炉の火は消えて炭だけが残っていたが。


 あの暖炉に火が入っていたら、ログハウスのペンションみたいで、落ち着けそうだ。ワインを片手にまったりと本を読む想像をして、思わずうっとりする。これが自分の店だったら、と。


「今度来るとしたら…」


 ふと口に出して、はっとして苦笑した。


「また、はないか」


 自己満足に部屋を眺め、大きく息を吸い込むと、ミヤコは階段を登りクローゼットのドアを閉め、鍵をかける。これで腐臭を恐れる心配もない。







 

 ミヤコが桃のチューハイを忘れてきたことを思い出したのは、次の日、運命の出会いを果たした時だった。


 

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