第56話これが私の物語
「結局こんなことになるなんてな」
結界魔法に阻まれた『魔物の根元』が、周りを流れていくのを見ながらセスは呟いた。
だが悔しさはない。どこか清々とした諦めがあって、フレニアを胸に抱き締める腕に力を込めた。
「私達、よくやったわ」
彼女の声は落ち着いていて、こんな状況なのに明るかった。
「フレニア。折角人間になれたのに、すまな…………いでで」
「謝るのは止めて。誰もこんなことになるなんて知らなかったんだから。それに今気分がいいのよ」
セスの頬をつねり、フレニアは形の良い唇を上げて見せた。
「もう一人取り残されることはないわ。最後まで…………その、す、好きな人と一緒なんて素敵じゃない」
「そうか」
「そうよ………………ところでセス、あなた私が魔剣の時好き放題してくれたわね?」
照れ臭さを誤魔化すように、フレニアはセスを上目遣いに睨んだ。
「何のことだ?」
「もう……………私を投げて逃がそうとしたり、キスしたり告白したり、撫でさすったり」
予想通り表面上怒ってみせた彼女を見つめてセスは微笑んだ。
「あなたは私が剣の時は…………あんなに色々してくるのに、私が人間の時は…………」
「フレニア」
頬に触れ、指の腹で顔の輪郭をなぞると彼女が目を瞠った。
なんて柔らかい。
その唇を自分のそれでゆっくりと辿り、夢見心地な気持ちで離すと、目を閉じたままのフレニアの眦から一滴涙が頬を伝った。
二人を包む膜のようなものが、目に見えて薄くなっていく。
「セス!」
ギュッとしがみついてくる彼女を最後まで放さないように受け止め、セスは今はもう濁流のように押し寄せる程になった魔物の根元を見ていた。
時間がない。
「フレニア」
これからだったのにと思うと、恐怖や悲しみよりも淋しさがあった。
そうして、唐突に結界魔法が消えたのを見届け、セスも目を瞑った。
どれ位の時が経ったのか。
目蓋に光を感じた。
何も起こらないどころか奇妙に静かで二人は、そうっと目を開けた。
闇ではなく光が辺りを包んでいて、眩しくて目を細めた先に、ローブを着た人が立っていた。二人を庇うような背中に、フレニアは息を呑んだ。
その人の両手に握られた杖からもたらされた光は、魔物の根元の動きを封じ、徐々に闇を塗り潰し光の領域を広げていく。
こちらを振り向いた人が、フレニアを見て優しく笑った。
「カザル…………!!」
そこからは、あまり覚えていない。世界は一瞬光に支配され、真っ白に視界は埋め尽くされた。
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「魔法使いさんは、お姫様に自分を助けて欲しかったのよ」
「ええ?」
「きっと優しい人だったから、自分が魔物だらけの世界を作っちゃうのを止めて欲しかったの。魔剣になったのは、自分の魔法から皆を守る為だよ」
「よく分からない!ねえねえ母様、魔物って本当にいたの?」
碧眼を輝かせて問う息子に、彼女は大仰に頷いてみせた。
「あなた達が生まれる、少し前まではウジャウジャいたのよ」
「えええ!嘘だあ、母様は見たことあるの?この絵本みたいな魔物はいた?」
先程寝物語に読んで聞かせた本の挿し絵に、母親は美しい顔を歪ませて「イカ…………」と呟いた。
「さあ…………いたような気もするかなあ」
「ええ!?」
「バカね、この本は本当の話が元になってるって知らないの?」
淡い茶色の髪を揺らし、姉が呆れたように口を出すが弟はお構いなしだ。
「だってお姫様も魔剣使いもいないもん」
「そうね」
母親が神妙に援護すれば、娘は口を尖らせた。
「そんなの分からないもの!お姫様はきっとどこかで王子様と幸せに暮らしてるの!」
遂に母親はお腹を押さえて笑い出した。
「もう母様!」
「ごめんなさい。そうよね、きっとそう。なら魔剣使いは本当はお父様かもしれないわね」
すると姉弟は同時に首を振った。
「違うよ、絶対。魔剣使いはもっとカッコいいはずだもん」
目に涙を湛えて母親が笑うのを、子供達はキョトンとして眺めている。
「さ…………さあ、もう寝ましょう」
「変な母様」
「おやすみ」
母親は二人の額にキスをして、しばらく眠るのを見守ってから子供部屋を出ようと戸を開けた。
「寝てしまったか」
こちらへ来たばかりらしい夫と鉢合わせて、彼女は彼の為に戸を閉めずに待った。やがて子供達の寝顔を堪能した彼が出てくると二人でそこを離れる。
「お疲れ様、今日はどうだった?」
「疲れた。領地経営なんてデスクワーク、俺には向いてない」
よろりと妻の肩に顔を埋め、彼は溜め息を吐き出した。
「でもお義父様、喜んで教えてくれているじゃない。少しずつ覚えていきましょう」
「ああ、でも俺には剣を振り回している方が性に合っていたよ」
そういう彼だが、もう剣は持たない。フレニムという愛剣を失い、フレニアという美人な奥さんを手に入れた時に、二度と他の剣を持つような浮気はしないと誓ったのだ。
守るべきものが増えた今、彼はペンを振り回して書類と戦う。
慰めるように彼の髪を撫で、彼女は子供達の言葉を思い出し笑ってしまう。
「こんなにカッコいいのにね」
「な、いきなりどうした?」
「さあ……………ではカッコいい元魔剣使い様、今宵は私が慰めて差し上げましょう」
「それは、嬉しいな」
はにかむ夫の腕に手を絡めると、月光を浴びて輝く銀髪がさらりと流れた。
「セス、口づけを許します」
踵を上げて背伸びをし、顔を近づけてくる彼女に、彼も笑って返した。
「仰せのままに、お姫様」
魔物も魔剣も、その使い手もいなくなった世界。
その存在は次第に忘れられて、いつか空想上の物語として語り継がれていくのだろうか。
私はそれでいいと思うの。
100年の苦しみも痛みも憎しみ悲しみも、魔剣であった私だけが記憶していたらいい。
そして人間の私が幸せに生きて、その記憶さえ薄らいだなら、兄上もカザルフィスも少しは安らいで欲しい。
これは魔剣使いと最強の剣になった私………フレニアの、物語になった記憶の話。
魔剣使いと最強の剣になった私 ゆいみら @yumi1056
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