第9話黒の魔剣士

 降りしきる雨粒が、防水コートを着ている身体を強く打ち、そこからじわじわと体温を奪われるようだった。




「ううっ」




 横腹を片手で押さえ、痛みと冷気に震えながらも、セスはフレニムを地面に突き刺し杖がわりにして立ち上がった。


 歯を食い縛り、彼が殺気を向ける先には曇天を背負う闇色の髪と瞳の男がいた。




 30代だろうか、その男もまた剣を握っていた。


 男に合わせたかのように、柄も刀身も剣から滲む魔力さえ闇色の魔剣だった。




「弱いな、それで最強だと?」




 嘲るよりも事実を述べただけとばかりに、男の口調は淡々として感情を見せない。ヒュンと魔剣で宙を切れば、刀身からセスの血と水滴が飛び散った。




「フレニム…………落ち着け、フレニム」




 手に持つ魔剣がキイイイと甲高い音を立てるのを初めて聴いた。ガタガタと刀身を震わせ、赤い焔のように魔力が噴き出していた。今にも飛び出しそうな魔剣を、セスは懸命に宥めようとしていた。




「どうしたんだ?」




 これは怒りだろう。この赤い魔剣は怒りで我を忘れている。




「フレニム、突っ走るな。俺を忘れるなよ」




 気を抜けば手をすり抜けて突撃しそうな愛剣を目にして、逆にセスは冷静さを取り戻しつつあった。ズキズキと斬られた腹が痛み、脂汗が雨と共に顎を伝う。




 黒い魔剣士。


 目の前の男は、セスの父親を、生まれた育った地を、思い出を、今までの自分の生き方さえも奪った仇だ。




 ようやく見つけた!




 カッと血潮が上り、勢い込んで奴に斬りかかったはいいが、最初の一手で腹を斬られてたら話にもならない。




 痛みを逃すように短く呼吸を繰り返すセスを眺めていた男が、ちらりと自らの黒い魔剣を見やった。




「喜んでいるのか、カザルファム」




 剣から生じる魔力の闇が、呼応するかのように持ち主の腕を辿り二の腕までが黒い靄もやに包まれる。




「カザル…………」




 男の言葉を反芻したセスだったが、フレニムの力で柄を握る手が外れそうになり、慌てて両手で押さえつける。




「落ち着けって!」




『彼女』だけでは男は倒せない。魔剣は、持ち主と魔力を合わせて初めて本来の力を発揮する。以前盗賊に捕まった時には、呼び掛ければ飛んできたことがあったが、魔剣自身の魔力では数秒飛ぶのが精一杯。


 何度か試したので、確かなはずだ。




「楽しみはとっておこうじゃないか、なあカザルファム?」




 そう言った男が魔剣の先を地面に軽く触れさせて「我が下僕共よ、生まれ出でよ」と唱えると、いきなりその剣の周りから湧き上がるようにして魔物が出現した。




 人間の三倍はある青い猿のような魔物が5体。血走った目をして涎を垂らし、二足歩行でゆっくりと彼に迫ってくる。




 村を襲った魔物!


 既視感に、セスの背にゾワリと寒気が走る。




「待て!」




 魔物の後ろにいる男が、そのまま背を向けて立ち去ろうとするので、追いかけようとしたセスだったが、思うように身体が動かずに膝をついた。




「この………待てって言ってるだろうが!」




 振り返ることもなく雨に消えていく姿に、セスは叫んだ。




「くそ!」




 ようやく見つけたというのに!




 だが悔しがっていても埒があかない。傷付いた身体、暴走するフレニム、今にも自分を喰らおうとする魔物たち。




「フレニム、おい!」




 両手で構えようとすれば、左右に振れてしまう魔剣。冷静さを失った『彼女』では、迫りくる魔物すら倒せない。




「………くっ」




 膝をついたまま、セスは咄嗟に地に垂直にしたフレニムを両手で胸に抱えた。




「フレニム…………フレニム」




 生き物のように強く抱きしめて、何度も名を呼ぶ。両刃が擦かすった腕から幾筋か血が滴るが、セスは離さない。




「フレニム、おまえだけが頼りなんだ。だから頼む…………俺を使えよ」




 止まない雨音を震わせて、魔物の低い唸り声が近づく。


 セスは覚悟して、目を閉じた。


 死んでもフレニムを離さないつもりだった。

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