第8話血塗れの淑女2
セスは、自分がおおらかな性格だと思っている。くよくよと悩んだりするよりも行動に移すほうが早いし、小さなことは直ぐに忘れる。
その彼が愛剣を前に、かれこれ30分も物思いに耽っていた。
「一体何がどう…………」
酒場の隅で、テーブルに置かれた柔らかいパンと野菜たっぷりスープと、討伐成功を祝ってプチ贅沢なステーキの皿たちに囲まれたフレニムを、セスは食事に手をつけることも無く見つめていた。
鈍いセスでも、あの絵がフレニムと関わりがあることは、さすがに勘づいた。
有力者の男は80近い年寄りだったが、絵の女性のことは執事が話した以上のことは殆ど知らなかった。ただあの絵が『フレニア姫』が生存中に、実際に彼女をモデルに描かれた信憑性の高い物であると証言した。
セスはその後、依頼された魔物を普段よりも急いでぶっ倒すと、その脚で本屋を訪れた。
そこで歴史やら伝承やらの本を漁った。
セスが文字の読み書きを習得したのは、義理の親に教育を受けた12の時で、かなり遅い年齢だった。貧しい農家の一人息子として生まれた彼は、物心つく頃には両親の農作業の手伝いをして育った。学校に行く余裕は無かったし、行きたいなんて言い出せなかった。日々の食事も精一杯な上、病気がちの母親の代わりに家事もこなしていたから。
小さく細い腕に鍬を持ち、暑い日も寒い日も構わず田畑を手入れし耕し、心許ない収穫に深く感謝した。
自分が辛い状況だとは、あの時は思うことなどなかった。
それは両親が彼を拙いながらも慈しんでいたからだ。両親共に学は無く、領主の重税に疲弊していた彼らだったが、自分の食事を息子に与え、真冬の寒さには両親はセスを間に寝かせ抱きしめ暖め合って眠った。
セスは十分幸せだった。
母親は彼が10の時に病死したが、セスは父親と二人の暮らしの穏やかさが気に入っていた。
だがそんな日常も唐突に終わることがあることを、彼は知ったのだが………
鍬を剣に持ち替えるなんて考えもしなかった。
魔剣フレニムとの出会い。自分を選んでくれた最強と呼ばれる魔剣。それに幻の女の正体。
まるで何かの意図を感じずにはいられない。もしかしたら自分の目的を知る者が、導いてくれているのだろうか。
パラパラと流し読みして、気になる箇所のある本を何冊か購入し、空腹ついでに食堂に入った。
腹が減っては何も考えられない、職業柄体力重視の彼には大切なことだ。
だが食事を待つ間に本を読んでいたら、考えることが先走り、食事を進める気になれなくなった。
フレニア姫は、多くの逸話のある女性だった。
歴史書では亡国の王の末娘で、いわゆる魔法戦争『ベガラナの悲劇』を起こしたきっかけになった人物だと言われていた。
伝承を紐解けば、古来ベガラナは国民一人一人が保持する魔力を、独自に開発した『詠唱と魔方陣』という技術によって形として引き出し『魔法』を編み出したとされている。
その中でもベガラナの皇族は、血族結婚を繰り返した末に、強大な魔法を行使する力を持ち、自然を操り他国を脅かしたという。
フレニア姫も勿論魔法が使えたが、皇族の中では弱い方だった。
だが彼女が注目されたのは魔法ではなく、その神秘的な類い稀なる美貌だったという。
数多の男から求婚された姫だったが、誰一人として彼女の目に止まる者はいなかった。そんなある時、王の従姉いとこの子であり、ベガラナ一の魔法の使い手である男が…………
「馬鹿馬鹿しい、色恋沙汰で国が滅んでどうするかってえの」
一度読んだ本を開きかけて、セスはパタンと閉じて頭を掻いた。
セスだって、ベガラナが国内で起こった内乱で自滅したことは一般教養として知っていた。それにより、魔法の技術が永遠に喪われたこともだ。
だが、お姫様の話は知らなかった。彼女がその後どうなったのかは諸説あり、逃亡説や自殺説など信憑性は薄い。
何にしても、今から100年前の話だ。既にこの世にいるわけがない。
頭では分かっているものの、そう思うと寂しさを感じてしまってセスは溜め息をついた。
「フレニム、おまえはお姫様のこと知ってるのか?」
この魔剣も製作年代は100年前だと聞いている。名前、別名、自分が見た幻、きっと彼女に縁の深い物に違いない。彼女の為に作られたか、彼女自身をモデルにしているのだろう。
「うーん、もしかしてフレニムには、その姫様の霊でも取り憑いているのかもな」
冗談のつもりだったが、口にして見たら本当にそんな気がしてしまう。だが怖さは全く無かった。
朝見た幻のように、寝顔を見せてくれるなら悪くない。むしろ、また会えたらと思ってしまうぐらい楽しみだ。
「あんなに可愛い霊なら歓迎だな。しかし『血塗れの淑女』なんて酷いあだ名をつけるものだ。戦争起こしたのは、お姫様じゃなくて相手の男だろうに、若い女の子に失礼だよな。ああ、フレニムは、その名を誇っていい。おまえは最強だという強さの証だからな」
テーブルの上でフレニムが控えめに紅く輝くのを見て、セスは満足げに笑った。
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