第7話血塗れの淑女

「う………あっちい」




 寝苦しい夜だった。夜中は冷えるからと窓を閉めていたが、暑さは和らがなかったようだ。




 セスは背中にかいた汗を不快に感じつつ、薄く目を開けた。部屋の隅の壁には小さな灯皿が設置されていて、そこに発光する魔石が置かれているので、部屋は真っ暗ではなく、薄暗い程度に調整してあった。


 一度窓を開けてから寝ようと思い、ベッドから身体を起こしかけ、目の前にキラキラと銀の光が散ってセスは動きを止めた。


 それが髪だと分かり、視線を動かすとこちらを向いて眠る白い顔の女のものだと知り、思考が停止する。




 髪と同じ銀の睫毛を附せて、隣で女が眠っている。夜目にも、とても美しい女だと分かる。




 夢か?まだ眠ってるのか俺?


 もしかして昨夜何かあったか?




 セスだって若い健康な男だから、美しい女とあれやこれやしたいし想像する。だが実際コトに及ぶなら、一夜の軽い関係は好きではないと思っている。




 ごくりと喉を鳴らし、安らかに寝息を立てる女の髪に手を伸ばしてみる。


 夢かどうか触ってみたら分かるはずだ。


 彼女の頬にかかる髪を払ってやろうと一房指に絡めたら、さらりと指通りが良くて冷たかった。




「ん………」




 女の柔らかそうな唇から、眠りを妨げるのを抗議するかのように声が漏れる。


 細い眉をしかめる顔は、大人の女性から少女っぽさが滲んで可愛らしい。


 ドキドキと胸が高鳴り、セスは抑えるように、ぎゅっと目を瞑った。




「んん?フレ………ニム?」




 再び瞳を開けば、愛剣の鞘を撫で回す自分がいた。入浴以外の殆どの時をフレニムと過ごすセスは、眠る時も手の届くようにベッドの端に置いていたのだった。




 ガバリと起き上がり部屋を見回し、誰もいないのを確認したセスは、深く溜め息を吐いた。




「欲求不満か、俺」




 指に女の髪の感触が残っている気がして、生々しい夢に少々自分に呆れる。


 さすがに剣の鞘を女の髪と間違えるなんて有り得ない。


 よく考えれば、さっきの夢の女は、フレニムに会った時に見た幻の女だった気もする。




「なあ、フレニム」




 ベッドに転がり、愛剣を懐に抱えて彼はぼやいた。




「俺、変態かも」




 ***********************************************




 あの銀髪の女性、以前どこかで見かけたりしただろうか。


 思い出そうとするが、全く心当たりがない。


 それなのにセスを惑わせ、挙げ句によりにもよって愛剣を人と間違えるとは。




「おかしい……………俺はどうしちまったんだろう」




「なあフレニム?」と腰の剣に話しかけるが、反応はない。




 盗賊に捕まっていたセスだったが、彼らをコテンパンにして(殺してはいない)町の警備隊に引き渡した後は、また次の町へと旅をしていた。


 幸い奪われた金品は返ってきたし、町から謝礼金が出たので生活に困る危機は免れたのだった。




 今日の依頼は、町の有力者から田畑を荒らす大量の猪型の魔物の討伐だ。


 とにかく仕事モードに切り換えたセスは、出没地域などの詳しい話を聞くために、有力者の館を訪れたところだった。


 事前に連絡していたこともあり、すんなりと館に通されたセスは、薄くなった白髪を丁寧に撫で付けた執事らしき男の後ろをついていく。




 裕福さを惜し気もなく晒した広い回廊は紫の絨毯が敷かれ、左右の壁際には、絵画や彫刻などの美術品が所狭しと並んでいた。これでけばけばしい派手さがあれば胸焼けを起こすところだが、美術品自体は品のある物で、彼は興味深く歩きながら見ていた。




 その歩みが突如止まり、前を案内していた執事が振り返ると、セスは一枚の大きな絵を見上げていた。




「…………こ、こっ、この絵」




 口をパクパクと開け閉めして、セスは驚きと衝撃で言葉の続きが出てこない。




「美しいでしょう?」




 執事が目を細めて、セスの隣で絵を見上げる。




 その絵には、セスが今朝見た幻が描かれていた。


 滝のように腰下まで流れる輝く銀髪。緑と青の混じった神秘的な瞳。艶やかな薄紅の唇は、微かに笑んでいる。


 記憶と変わらない二十歳ばかりの美女の立ち姿に、セスは目を大きく開けて魅入られたように立ち竦んだ。




「実在した方だそうですよ。彼女はフレニア・ルツ・ベガラナ姫。魔法戦争で滅んだベガラナ国の最後の姫だそうですよ」




 絵画の枠下に小さく銀のプレートが付けられていて、セスはそれを目にして、今度こそ言葉を失った。




「この絵のタイトルが気になりますか?」




 執事が得意気に話すが、セスの耳には入らない。




「こんなに美しい女性の絵なのに怖いですよね?なぜ『血塗れの淑女』なんてタイトルにしたのか」




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