インフルエンザ

おたささ

インフルエンザ

 さて、今日は仕事もきれいに片付いたし、このまま会社に連絡して直帰扱いにしてもらってちょっと飲みにでも行こうかな。そんなことを思った矢先にスマホが鳴った。だいたいこういうタイミングでスマホが鳴るときにはロクでもない用事が入ったりするものだ。しかも見覚えのない知らない番号だ。出るか出ないか少々葛藤もあったが半分諦めて出ることにした。

「もしもし?」

 おそらく不機嫌さが声に出ていたであろう。

「よう、猿投。元気か?」

 こちらの不機嫌な声など物ともせず脳天気な声がスマホから聞こえてきた。

「なんだ、須栗か。知らない番号だったから誰かと思ったよ。」

「ああ、悪い。ちょっと依頼を受けて出向してる現場からだったもんだからな。ところで今晩暇か?」

 須栗は高校の時の同級生だ。当時から勉強は良く出来たのだが、妙に不出来な俺とも馬が合い、卒業して何年も経った今でも年に1~2度は飲みにいったりしている。

「ああ、ちょうど飲みに行こうかと思っていたところだ。渡りに船ってやつだ。」

「それはいいな。ところでお前今風邪なんかひいてないよな?」

「おう、多分大丈夫だと思うぜ。なんとかは風邪ひかないっていうアレだ。」

「ああ、そうだったな。」

「おい、少しは否定しろよ。」

「悪い悪い。それじゃ、いつものとこで19時でどうだ。」

「了解。新宿の方だよな。」

「ああ、地下のいつもんとこだ。」

「先着いたら一杯やってんぞ。」

「ああ、よろしく頼む。」

 スマホを切り、時計を確認する。

 18時10分。いい時間だろう。会社に連絡するとしよう。

「もしもし、猿投です。とりあえず先方との交渉まとまりまして、はい。そんなわけで今日はこのまま…」

 と、言おうとしたところでバカでかい音で演説がはじまった。

「我が国民は誇りを持って手と手を取り合いこの事態に立ち向かわなければならない!」

 回りでは支持者が拍手して応援の声を上げている。

 そそくさとその場を離れ会社への電話を続ける。

「はい、すみません。そんなわけで今日は直帰します。よろしくお願いいたします。」

 ふう。これで今日は一段落だ。

 ちょっと街をぶらついて店に向かえばちょうどいいか。


 歌舞伎町の入り口を入ってすぐのところ、階段を下るといつも俺と須栗の行くバーがあった。

 バーといってもそこまで堅苦しくはなくちょっとした小腹も満たせるようなダイニングバーだ。

「いらっしゃいませ。」

「二人ね、あとで連れが来る。とりあえずナッツと生ちょうだい。」

「かしこまりました。こちらおしぼりです。」

 ぶっはー、気持ちいい。

 遠慮なく冷たいおしぼりで顔を拭く。9月に入ったとはいえ、まだまだ暑い。

 そういえば、高校を卒業してから数年後に須栗とばったり出会ったのもこの店だった。

 俺は偶然引っかかった文学部の落ちこぼれ、須栗はかなり有名な大学の医学部に行っていた。

「あれ?もしかして須栗か?」

「おう、猿投じゃねえか。」

 進路はまるで違ったがそこで意気投合して連絡先を交換したまに飲むようになったのだ。


「お待たせしました。」

 キンキンに冷えたジョッキに注がれた黄金の液体。泡の具合も完璧だ。

「いっただきまーす。」

 ゴクゴクゴクゴク。

「ぷっはー、これこれ。」

 一息ついてタバコをふかす。たまらない一瞬だ。

 一杯目のジョッキが空く頃に須栗は飄々と現れた。

「よっ。俺もビールね。」

「んじゃ、生2つー。」


 二人で久々の(とはいえ数カ月ぶりという程度だが)再会を乾杯した。

「んで、どうした。何かあったのか?」

「ああ、ただ正直まだ確信はない話でどうしたもんかと思ってはいるんだが…。」

 須栗が言葉を濁すのは珍しい。

「実はな、今俺が出向しているのが、ある企業の医科学研究所なんだがな。

 もしかしたらとんでもないものを見つけたかもしれないんだ。」

「ほほー。イカ学研究所でか。よし、イカ墨のパエリア食おうぜ。」

「そうだな、まずはイカ墨のパエリアだ。」

 少し話しにくそうな須栗だが、酒が入れば大丈夫だろう。

 まずはつまみからだ。程よく減っている腹も満たしたい。

「そしたらイカ墨のパエリアと白ワインの安いのボトルでー。」

「あと、前菜盛り合わせもお願いします。」

「かしこまりました。」


 前菜をつまみながら、ワイングラスを傾けていると須栗は急に話を変えた。

「なあ。最近の右傾化をどう思う?」

「あ?なんか面倒なやつが増えたなーってぐらいだけど、お前もそっちなのか?」

「いや、な。この右傾化の原因がインフルエンザかもしれないって言ったら笑うか?」

「ああー、まあ熱にうなされてるみたいなもんかもしれないからなあ。ちょっとわかるかも。」

「そうか、良かった。ただ、まだ研究段階なんで本当かどうかはわからないんだ。」

「気にするこたぁない。同級生との飲み会で聞く与太話なんざいくらでもあらあな。」

 ワイングラスを再びぶつけて俺は須栗にウインクした。

「ああ、まあ、そうだよな。そんなもんだと思って聞いてくれ。」


 須栗の話はこんな感じだった。インフルエンザにもいろいろな型がある。伝染性の低いものや高いもの。高熱が出るもの出ないもの。その他様々な症状を引き起こしたり、伝染途中に変異して強力なウイルスになったりすることもある。人為的にそれを改造することも最近では研究されているらしい。


「で、だな。このインフルエンザの特徴なんだが、そんなに熱は出ないし嘔吐や下痢もしない。ただその代わりに脳に変わった情報を与えるんだ。」

「ん?変わった情報?」

「ああ。それがな。『自分のいるところを愛する。』ってことらしいんだ。」

「ん?どういうことだ?」

「そうだな、マウスでの実験での話をしよう。マウスにこのウイルスを投与したところ、80%の確率で縄張り意識が高まってウイルスに罹っていないマウスを排除しはじめたんだ。」

「へー、マウスにもそんな意識あるんだ。」

「ただ、縄張り意識が芽生えると共に知能が思い切り低下した。」

「ああ、まあ風邪ひいたらふらふらしてとかそういうことじゃないのか?」

「まだ、はっきりとはしていないんだが一種の脳症だな。脳炎まではいかないがちょっと困るくらいの。」


「つまり、これは何かというと細菌兵器的なものなんじゃないかと思うんだよ。」

「炭疽菌とかそういうのではない方向での?」

「ああ。例えばだが細菌兵器は敵に使うとは限らない。」

「恐怖心をなくすようなドラッグが戦時中に使われてたみたいなもんか。」

「そうだ。例えば近隣諸国で独裁政権のところなんかが、これを自国民に使ったらどうなる?」

「なるほど。従順な愛国者が作れて盤石の安定政権になるってわけか。」

「さて、過去の大戦でも振り返ってみようか。」

「ナチス?」

「正解。ナチスは様々な人体実験や化学兵器、細菌兵器を研究していたと聞く。かのナチスがドイツで受け入れられた原因がこのウイルスだって可能性だよ。」

「なるほど。でもなんで今さらそんなもんが…。」

「そこまではまだわからん。あくまで可能性の話だがな。」

 須栗はグラスワインをゴクリと飲み干した。


 その後はインフルエンザの話に蓋をすべく、くだらない話をああだこうだした。

 終電近くまで飲み明かした帰り道、コンビニで隣国の悪口を表紙に掲げた雑誌を見た。

「Catch a coldか。お寒い時代ってことだねえ。」

 その後、須栗からはなんの報告もない。

 千円札を眺めながら、研究者が研究していた病気に罹ってないといいななんてことを内心思いながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

インフルエンザ おたささ @otasasa1969

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る