彼女は誠が車の免許を取ったことを知らない。


 車を買ったことも、今日が納車日だということも知らない。今日、夢が叶うことも。


 誠は、彼女を抱えるようにして、ピカピカの新車の助手席に誘導する。



彼女は口を閉ざしたまま。


表情も変わらぬまま。



 彼女にしっかりとシートベルトをしてあげる。彼女は、シートに背中を預けて、ずっと正面を見据えている。



 誠はもう一度、初心者マークが曲がっていないかをチェックし、あたりを確認してから、運転席に乗り込んだ。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 ミラーの角度を念入りに調整する。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 ギアがパーキングに入っているかを確認する。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 ブレーキを踏んで、イグニッションキーを差し込み、右へとひねった。


控え目なエンジン音。


 それでも十分に、誠の心拍数を上げる働きはあった。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 右足でブレーキを踏んだまま、左足で足踏み式パーキングブレーキを解除する。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 ギアをドライブに入れて、ブレーキをゆっくり離すと、車はよっこらしょと、その体を動かした。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 アクセルを踏むと、タイヤがしっかりと地面を噛んで、そして、徐々にスピードが増していった。


彼女は、ずっと正面を見据えている。


 誠は最初の赤信号でブレーキをしっかりと踏み込み、ふうっと息を吐き、軽く助手席の方へ目をやった。



 彼女は、ずっと正面を、フロントガラスのその先の、真っ青な空の向こう側を見据えている。




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