困惑、ベリンダの“誘い”

 聖依は、困惑していた。

 鏡に映る自分の姿が、見覚えないものであったことに――


 ……いや、その姿は彼そのものだ。

 ただ、髪と瞳の色が違うだけで、顔立ちや体格は鏡聖依そのものなのだ。

 錯乱していて、それが自分であると解らないだけなのだ。


「セイ、それは貴方です。“絵札召喚術”を使用したことで、貴方も“加護”を得たのです」


「“絵札召喚術”っていうのは、カードを実体化させるあの術のことか……。で、でも、“銀色”の髪なんて、さっきの話になかっただろう!」


「ええ……その色が何を意味しているのかは、私にもわかりません。ですが、それは貴方が使い魔を召喚した際に変質したものです。そこに映っているのは、紛れもなくあなた自身なのです」


 まるで別人のように見えるその姿に、聖依は現実を受け入れることが出来なかった。

 目を背けるようにかぶりを振ると、無理矢理にでも納得するように、聖依は自身に暗示をかけた。


「……わかった。わからないことが増えたけど、とりあえず聞きたかったことはわかった。さっきまでは僕の髪が黒かったから、“渡世人”とかいう異世界人だってわかったわけだ」


「そういうことです」


 ふと聖依が変質した銀色の髪をいじくると、ある考えに至る。

 淡い期待を寄せながら、聖依はベリンダに問いかける。


「なら、僕にもさっきの“召喚術”とかいう魔法みたいなのが使えるのか?」


「わかりません」


「ちっ……わかったよ、ありがとう」


「いえ、大したことも話せず、すみません。とりあえず、この世界のことはお解りいただけたでしょうか?」


「ああ……」


 結局、聖依は状況についていけていなかった。

 最終的にはよくわからないままに、生返事を返したのだ。

 ベリンダはそれを分かっていたが、これ以上突っ込んだ話をするのは避けた。彼女にとって、ここはまだ重要な話ではないからだ。


「では、次に“召喚教団”のことをお話しします」


「簡単にでいい。そこまで興味があるわけじゃないから」


「……わかりました。では、手短に――とは言っても、我々も教団のことはよくわかっていないのですが……」


「何だよ、それ。良く知りもしない相手を悪く言ってたのか」


「でも彼らは、危険なんです!」


 思わず聖依は苦笑した。

 大した根拠もなく敵対視しているのだから、それも当然だろう。


「危険なのはわかるさ。あんな化け物を呼び出せる奴らを、放っておいたらどうなるか……」


「そうです。確かに、彼ら“召喚教団”が現れたのはごく最近のことで、特に何か悪事を働いたという話はありません。でも、彼らの使う“絵札召喚術”は恐ろしいものなのです。そのようなものを生み出した者たちが、邪悪でない訳はありません!」


「それは飛躍しすぎじゃないか? 確かに、あのケインとかいうのは最低な奴だったけど、アイツが特別調子に乗ってただけかも――」


「ケインも、元はあのような男ではなかったのです……」


「え?」


 ケインのことを思い出すベリンダの目は、遠い彼方を眺めているようであった。

 その目を聖依は知っている。それは、“過去”となった思い出を見つめる目だ。


「ケインは、元は当家の庭師でした。彼は地の“加護”を受けており、庭の整備から邸の修繕まで、いろいろとよくやってくれていました」


「じゃあ……」


「ええ、ある日ケインは姿を消したのです。そして私が、教団から“召喚杖”をやっとの思いで盗み出した時――彼と再会しました」


「そうだったのか……」


 その時、ドアをノックする音が響いた。

 ほだされそうになっていた聖依の心は引き戻され、思考が落ち着きを取り戻す。


 そして、聖依がドアの方を見ていると、1人の女が入室してきた。

 何の変哲もない給仕服を着た、透き通るような水色の髪の女性であった。

 聖依が思わず見とれていると、その女はベリンダに話しかけた。


「失礼いたします。“水”をお持ちいたしました」


「ありがとう、セアラ」


「いえ。それではごゆっくりご歓談をお楽しみください」


「はい」


 セアラと呼ばれた人物は、ベリンダに水の入った杯を2つ渡すと、さっさと部屋を出ていく。

 ……聖依は、不満を感じていた。


(普通、客人に出すのって“お茶”とかじゃないのか? “ただの水”を出すって、どういう神経してるんだよ。 ……まあ、喉乾いてたから何でもいいけど)


 ベリンダから渡された杯を受け取ると、聖依は慎重に1口目を飲んだ。

 そしてその水をよく味わうと――彼は驚愕した。


(……うまい! 自販機で売ってるミネラルウォーターなんかよりも、よっぽどうまいぞ!)


 それは一切の雑味がなく、透き通った味であった。

 聖依が今までに味わったことのある軟水なんかよりも、よっぽど優しい味であった。毎日飲みたいとさえ思ったほどだ。

 そんな聖依の心は見事に表情に出ており、ベリンダはそれを見るや解説を始めた。


「この水は、セアラによって“召喚”されたものです。これだけの純度の水を生み出せるのは、彼女ぐらいのものでしょう」


「なるほど……これも、“召喚術”ってやつか」


「はい。セアラは弟のケインと違い、“水”の加護を授かっています」


「……姉なのか」


 その事実を知るや否や、聖依は口の中に広がる水の味が、段々と濁っていく錯覚を覚えていた。

 水の味に舌鼓を打てたのも束の間、自らが手に掛けた人間の肉親であると思うと、純粋なはずの真水の中に罪悪感の味が広がるのを感じていた。

 透明なはずの液体が、血のような赤色にも泥のような黄土色にも思えてしまっていた。


(まさか、こんなことになるなんてな……)


 聖依は、妹を死に追いやった車の運転手ドライバーを未だに許せていなかった。

 それは既に、彼からしても遠い昔のことであるのにもかかわらず、その心には怨恨を飼い続けているのだ。“事故”であったと頭では理解していたが、本能が憎しみを駆り立てるのだ。

 ――にもかかわらず、自分がその運転手ドライバー以下の立場になってしまっていることに、聖依は今更ながらも強い嫌悪感を覚えていた。運転手ドライバーの引き起こした“事故”は故意によるものではなかったが、聖依の“殺人”は防衛本能に突き動かされた結果だ。


 降り注ぐ豪雨のような感情に押し流され、聖依は杯から口を遠ざける。

 その様子を認めたベリンダは、聖依の眼を真っ直ぐに見つめて語りかける。


「お願いです、セイ。私と共に、“召喚教団”の邪悪な企みを暴いてください。そして彼らを打ち倒し、この“惑星ジェイド”に平穏と安寧を取り戻すのです。……ケインやセアラのような人間を、これ以上増やしてはなりません」


 個人的な感傷にひたっている聖依にとって、ベリンダの願いはとても鬱陶しいものであった。

 自分のことで精一杯な少年にとって、“世界”を語る少女の言葉など、とても薄っぺらなものに聞こえた。

 その言葉は、聖依の心には響かない。“異世界”の窮状になど、彼は露ほどの興味も示さない。


「……まず説得するべきなのは僕じゃなくて、アンタのお父さんじゃないのか?」


「お父様にはわからないのです! 陛下も! 他の者たちにも! 正しく教団の恐ろしさを理解している者が、誰一人としていないのです!」


「なら僕にだって分かるわけないだろっ!」


 思わず怒鳴り散らした聖依の心には、ベリンダに対する理不尽な怒りすらも生まれ始めていた。

 “異世界”というこれまでの常識が通用しない環境に、聖依はひたすらに悩まされ続けていたのだ。

 この“惑星ジェイド”に聖依を召喚した人物がベリンダでないことは彼にもわかる。そうでない証拠は無いが、少なくとも怒りの矛先を向けるのが筋違いであることはわかる。


 ――だが、いかんせん彼は疲れていた。この短い間にいろいろなことが起こりすぎて、状況が整理できていなかったのである。

 ようやくそれを自覚した聖依は、ベッドの上に寝転がった。そして、溜息をつく。


「はぁ……とにかく、今日はもう休ませてもらう。続きは明日だ。あの人だって、少しぐらいは待ってくれるだろう」


「わかりました……良い返事を期待しています」


 落ち込んだ様子のベリンダが立ち去ると、聖依はウエストポーチのベルトを解いた。

 寝るにあたって邪魔になったから外しただけなのだが、道中でのことを思い出し、ファスナーを開いた。


(……補充しておくか)


 ポーチから無作為に、店で購入した6枚のカードのうちの1枚を取り出す。

 壁に立てかけておいた召喚杖を手に取り、そのポケットの中に追加する。

 硬く締まっていたポケットは緩くなっていて、セットしていたデッキは自由に取り出せるような状態に戻っていた。

 再び杖を立てかけると、仰向けになった聖依は目を閉じる。


 窓からは未だ陽光が差し込んでいるが、疲れ果てた聖依は眠気に抗うことが出来なかった。

 考えることを放棄した彼には、迫りつつある“敵”の影など見えてはいなかった。

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