転移、“ここ”はどこだ

 聖依が目を覚ますと、そこは見知らぬ土地であった。

 見渡すばかり、茶色い樹の幹ばかり。見上げれば、日光を遮り、広葉の緑が降り注ぐ。


(ここは……樹海? 地獄……な、わけないよな?)


 “死”から連想したイメージを一瞬だけ抱くと、すぐに聖依は考え直した。

 そして死の状況を思い出すと、自分の今の姿を確認する。


(……本当に、“転生”したのか……?)


 胸に刺さっていた刃物は無く、傷は綺麗に塞がっている。服からも、血の滲みが消えている。

 痛みすら、もう遠い過去であるかのように、思い出すことが出来なかった。

 そのあまりの実感のなさに、聖依は拍子抜けすらしている。


(携帯は使えるか? ……あれ?)


 聖依はウエストポーチを探るが、その中にスマートフォンは入っていない。

 いくら手で探ろうとも、それらしい感触は無い。

 業を煮やした聖依は、遂に腰からポーチを外し、口を逆さまにして振り落とした。

 中からすべての荷物が、土の上にぶちまけられる。


 ――しかし、その中身は聖依の想像とは違っていた。


「な、無い! 携帯も、財布も、家の鍵もっ!」


 貴重品やその他の小物は無く、入っていたのはデッキケースと、購入した数枚のカードのみ――


 聖依は焦った。

 当然だ。現在地が分からず、連絡も取れず、その日を生きるための路銀すらない。

 もしここが日本であれば、間違いなく野垂れ死にコースだろう。


「ど、どうしよう……」


 狼狽える聖依は、とりあえず歩くことにした。

 迷いのある足取りで、宛ても無く樹海を彷徨うのだ――



 ◇



「はあっ、はあっ……!」


 1人の少女が、息を切らせて走る。

 その少女に落ち着いた様子は無く、とにかく何かから逃げるように駆けている。

 燃えるような赤い髪を激しく揺らし、長い棒のようなものを、後生大事そうに抱えながら疾走する。


 そして、その後を追っている者もいた――


「よおよお、いい加減観念しちゃくれねえかぁ? 俺だってなあ、走るの疲れんだよぉ」


 まだ余裕がありそうなフードローブの男の声に、少女は言葉を返さない。

 それどころか、より必死の形相で、足を速める。


「はあっ、はあっ、はあっ……!」


「ちっ、しゃーねーな……」


 男は走りながら、少女が抱えているものと同じ棒――否、杖を構える。

 杖の先端の尖った板のようなものが展開し、3枚の花弁のように開く。

 そして花弁の根元にある宝玉が光ると、男は叫んだ。


「行けっ! 速攻呪文そっこうじゅもん『スナイプ・アロー』!」


 空中に魔法陣のようなものが展開し、一本の矢が出現する。

 その矢は、弓で射る以上の素早さで飛び――少女の足下に刺さった。


「きゃっ!」


 突然飛んできた矢に少女は怯み、転倒してしまう。


(ま、まずい……! ここで捕まってしまったら……!)


 想いとは裏腹に、少女は腰が抜け、立ち上がることが出来ない。

 男はそんな少女の下に歩み寄り、少女が思わず手放してしまった杖にその手を掛けた。


「“ガーネット”のお嬢様よぉ、あんたに用はねぇ……この杖だけ、返してもらうぜ」


「ま、待ちなさい……! その杖は……」


「これは元々俺たちのものだろう? それを、あんたに盗まれちまっただけだ」


「くっ……!」


 地に這いつくばる少女は、悔しそうに男を睨む。

 一方で男は、その視線を快く思わなかったらしく、不機嫌そうに顔を顰めていた。


「どうせこんなもん持ってても、あんたのような“普通”の人間にゃ使えねえよ」


「いいえ、きっと使えます! 精霊たちは、私たちの声に応じてくれるはずです!」


「あんたも知ってるはずだ。これは俺たち“教団”の人間か、そうでなきゃ“渡世人(わたせびと)”でないと、扱うことは出来ない」


「例えそうだとしても! “召喚教団”の思うようにはさせません!」


「へえへえ、さいですか」


 男は首をポキポキと鳴らすと、再びその杖を構えた。

 鋭い眼光が、少女を捉える。少女も負けじと、睨み返した。

 お互いに沈黙し、口で語った以上の意思を目で語る。


「……ったく、“氏族”なだけあってムカつく女だぜ。やっぱ見逃すのはやめだ!」


「な、なにを――!」


「丁度、何故かここいらに“召喚力”が集まってるみてえだからな……ちょっくら、俺の“使い魔”の遊び相手になってもらおうってわけさ!」


 男の右手に持つ杖が、琥珀色の光を放つ。

 暗闇さえも照らし出しそうな、絢爛な輝きが解き放たれる。

 光はやがて収束し、杖の花弁のうちの1つに宿った。


「――来いよ! 『月明かりのバニッシュ・ウルフ』!」


 地に紋様が現れる。

 その色は、杖に宿る光と同じ琥珀色。

 そして、その4重の円陣からは、人間など丸呑みにできそうなほどに巨大な狼が現れる。


『グオォォォォン!』



――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――


月明かりのバニッシュ・ウルフ


レベル4

哺乳種・地属性

戦闘力:1500

受動技能

 速攻連撃:この使い魔は戦闘に勝利したとき、続けてもう一度戦闘を行うことができる。その場合、この使い魔による召喚士への攻撃は無効となる。


――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――



 狼の咆哮が轟いた。

 腹の底、心臓の奥にまで、狼の力強さは染み渡る。

 人間では絶対に敵わない脅威であると、その威容が示している。


「使い魔!? それに、この“召喚陣”は……!」


「へへへ……コイツはすげえや。俺でも“レベル4”の使い魔を召喚できたぜ」


 男は狼に飛び乗り、跨ると、使っていない方の杖を少女に向かって投げ捨てた。

 その顔には、絶対的な自信と余裕が張り付いている。


「30秒待ってやるよ。その間に、このバニッシュ・ウルフから逃れて見せるんだな。はははっ!」


「随分と悪趣味ですねっ!」


「いいのか、そんなこと言って。俺の気が変わらんうちに、さっさと行った方がいいと思うけどなあ」


「……くっ!」


 少女は投げられた杖を拾い、走り出す。


「いぃち、にぃい、さぁん……」


 男の嫌らしい声が、カウントを刻み始めた。


(きっと、あの使い魔からは逃げられない! なら――)


 少女には、空気中に漂う神秘のオーラ――“召喚力”が見えている。

 正確には、“召喚力”のごく一部。少女の髪色と同じ、赤色の部分のみが。

 その視覚情報を頼りに、赤いオーラが流れてくる方向へと、少女は向かう。


(この溢れ出る“召喚力”の源に、賭けるしかない!)


 そして少女は、救いを求め走るのであった。

 その背後には、あの恐ろしきバニッシュ・ウルフの瞳がある――



 ◇



「あー、疲れた……」


 聖依は歩いていた。

 だが、未だに樹海を抜けることは叶わない。

 それどころか、目印になるようなものさえ見つけなかった。


(広い……広すぎる……)


 既に、何時間と聖依は歩いている。

 木の根の凹凸の激しい道に、脚は限界を迎えようとしていた。

 そして、ついに聖依はへたり込む。


「水……なんか持ってないよなぁ……」


 改めて聖依は持ち物を確認するが、飲料水の類など持ってはいない。

 だが、デッキケースを見つけた聖依は、“転生神”の言葉を思い出していた。


(そういえば、使命がどうとか言ってたっけ)


 聖依はデッキケースからカードを取りだし、確認する。

 その中身は、紛れもなく“エレメンタルサモナー”のカード。聖依の普段使いのデッキであった。

 変わったところは、何一つない。彼の所有する“オリジナル”も健在だ。


(こんなものだけ持たせて、どうしろって言うんだ……)


 特に意味も無く、聖依がデッキの内容を確認していると、足音が聞こえてきた。

 走っているような、絶え間なく地を叩く音である。


(――人がいるのか!? 丁度いい、助かった!)


 聖依はその足音の方向を注視した。

 そして手を振り、呼びかける。


「おーい! 助けてくださーい!」


 聖依の声が聞こえたのか、足音は聖依へと迫って来る。

 だが、聖依は知る由も無かった――


 真に助けを求めているのは、その足音の主であるということに。


「誰か……誰かいるのですか!?」


「います! こっちです!」


 草をかき分け、木の間を縫って、人影が現れる。

 影から現れたのは、鮮やかな赤い髪の少女であった。

 少女は長い髪を揺らし、聖依の下に駆けて来る。


「た、助けて……お願いです! どうか私を助けてください!」


「え、ええっ!?」


 長い杖のようなものを持った少女に頭を下げられ、困惑する聖依。

 だが、あまり呆けている暇はない。

 なぜなら、彼女の後ろには――


「おう、諦めちまうのか? それとも、そのガキでも身代わりにしようってのかよ」


 人を丸呑みできそうなほどに巨大な狼が、付いて来ていた。

 男の嫌味な声が聞こえると、その狼に跨っていた人物を聖依は認知する。

 だがそんなこと以上に、聖依は狼の方に気を取られていた。


 聖依には、見覚えがあったのである。

 目の前で唸る、金色の輝きを放つ白い毛並みの狼の姿に――

 “エレメンタルサモナー”のカードとして、幾度となく見てきていたのだ。


(『月明かりのバニッシュ・ウルフ』!?)


 男がバニッシュ・ウルフから飛び降りると、少女と男が睨み合う。

 状況に付いていけない聖依は、その様子を眺めるばかりであった。

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