第40話 誰もが幸せになれるような、そんな世界を


 目が覚めると、ヒカゲは辺りを見回した。ストーリエ城の大舞台は、原型がないくらいボロボロになってしまっていた。アスカが建国した黄金の城は消滅していて、自国の兵士たちが負傷した人や壊れた城の修復をしようと忙しなく動き回っている。


「……起きたぞ」


 仏頂面のままにそう言ったのは鬣猫盗賊団の頭領、ラロードだった。


「ヒカゲ! ああ、ホントに心配させやがって」

「ヒカゲくんのバカ! バカ!」


 アスカがほっとした表情で文句を言う。リーナは泣きながら首に抱きついてきた。


「い、痛いよ……リーナ」

「あ、ご、ごめんなさい……つい」


 頬を染めたリーナは恥ずかしそうに俯き、それを傍目で見ていたアスカが拗ねた様子で言った。


「良かったじゃん。結婚おめでとう」

「はぁ!? 何を言ってるのよあなたは! これは……そういうのとは違うでしょうっ……!」


 より一層顔を真っ赤にさせたリーナが、アスカを怒鳴りつけた。

 その光景を眺めていると、なんだか心が温かくなってくる。この二人は、好き合っていてもお互い素直な性格じゃないせいか、いつまでもこんなことを続けてしまう。


「ふうん。で、“そういうの”ってなんだよ」

「ぅぐっ……そ、そういう……れ、れんあいっ……感情的な……やつよ!」

「あっそ。別に俺はなんとも思ってねーけど? 逆になんでお前そんなに怒ってんの?」

「そ、そんなの……! 誤解されるのが嫌だからに決まっているじゃない!」

「なんで……誤解されたくないんだよ」

「それはっ……それはっ………うぅ」

「ぷふふっ、あははははっ……!」


 そんな二人の楽しげなやりとりを見て、ヒカゲは自然と声を出して笑ってしまっていた。アスカとリーナは二人ともポカンとしていたが、やがて同じように笑った。


「ヒカゲが笑ったの、久しぶりに見たな」

「本当ね」と、リーナが眦の涙を拭いながら微笑む。

「……取り込み中のところ悪いが、ヒカゲ王。為すべきことがあるんじゃないか?」


 傍らのラロードが、三人の中に割り込んで言った。はっとして、ヒカゲが顔を上げる。

 崩れかけた城壁に囲まれたストーリエ城の中心には、たくさんの人々が集まっていた。そして、その誰もがヒカゲに注目している。拝んでいる人も居れば、睨んだり、罵声を飛ばしてくる人たちだっている。

 ヒカゲは立ち上がる。致命傷だった傷口は、魔法でもかけたみたいに完全に治っていた。

 大破した自らの城を見上げながら、ヒカゲは自分がしてきた身勝手な行為を思い出す。城をいくつも破壊し、村を消し去り、それこそテレビゲームでもするみたいに、好き勝手自由に。


 ヒカゲの頬には、大粒の涙が流れていた。


 強く生きようと決めてから、現世でも異世界でも泣いたことなんてなかった。自分は強いと信じ続ければ、どんなに辛い苦行にも耐えることができた。だけれど、今は違った。本当に。自然に。自分がやってきたとんでもない罪の数々に、ヒカゲは胸が潰されそうな想いだった。

 ヒカゲは膝を折って、その場に頭を叩きつける。脳がぐらりと揺れて、額から血が溢れ出た。


「……ごめんなさいっ!! 本当にごめんなさい!!」


 今までの人生で一番の大声だった。城全体に聞こえるように――いや、世界全土に聞こえるように、彼は謝罪の言葉を掲げた。


「ふざけるな、どの口が言ってやがる!」「死で償え! 今すぐ首を切り落とせ!」


 ストーリエ城下町からやってきた市民たちが吠え続ける。一方で主が頭を下げていることに、自国の兵士たちは困惑しているようだった。

 度重なる批判の声の一つひとつを、辛うじて正常な右耳でなんとか聞き取ろうとする。国民の不満のすべてをヒカゲは受け入れる。決して頭を上げることはせず、投げ込まれるすべての物を小さな身体で浴びながら、その体勢をずっと続ける。


 ふと、両隣に何か違和感を覚え、ヒカゲは固く閉じていた瞼をうっすらと開ける。

 彼を挟んで、アスカとリーナが同じ体勢を取っていた。石を投げられようと、二人はその場を動かない。


「二人とも……! やめてよ、何をしてるの! これはっ、これは……全部僕の責任で」

「……言ったろ。一緒に背負うって」

「あなたに仕えていたのよ……背負わせて」


 二人の言葉にヒカゲは顔をくしゃくしゃにする。そして、もう一度頭を下げる。


「僕はこの国の王様として、できる限りのことをします……! 本当にごめんなさい!」

「ふざけるな! 誰がお前のような王を信用できるか!」「そもそも王など不必要だ!」

「王様じゃなくてもいい……! この世界のために、いや……この世界に生きる皆を幸せにするために――もう一度……もう一度だけ僕にチャンスを下さいっ!」

「その言葉は……本当なのですか?」


 跪くヒカゲの前で、彼を見下ろすのは全身傷だらけのプリスだった。


「プリスっ……」とアスカが顔を上げる。

「正直……私は、まだあなたのことが信じられないでいます」

「僕は、君たちにとても酷いことをしてきた。許されることじゃない」

「そうですわね」


 いつも温和な表情を浮かべていた亡国の姫君は、冷徹な表情で吐き捨てる。


「あなたがアスカくんやリーナさんのお友達でなかったら、ブン殴っているところですわ」


 ヒカゲは胸が張り裂けそうだった。あまりの罪悪感に心が挫けそうになる。何をどうしたところで、この烙印が消えることはない。死ぬまで永遠に。だけど――それでも……、


「お願いします。どうか王様にもう一度だけ機会をお与えください!」


 ヒカゲとプリスの間で小さな頭を地面にくっつけたのは、幼き従者ロズウェルだった。年相応の声で泣きじゃくりながら、ロズウェルが嗚咽を漏らす。


「ヒカゲ様と出会う前のボクは……腹を殴られ、頭を蹴られ、歯を折られ、肌を刻まれ…………毎日毎日痛めつけられて、本当に生きた心地がしなかった。死のうとさえ思ったことだって……。だけど、ヒカゲ様はボクを助けてくれて、そばに置いてくださった。ヒカゲ様は、弱き者の立場になって考えて下さるとてもお優しい方です。この世界で生きるすべての人々を幸せにすることができるお力を持っておられます。そしてそれは、この世界を創ったヒカゲ様にしか出来ないことです! きっと……いや、必ずその力をこれからこのグリモワールのために使って下さる! ですから、どうか皆様……ヒカゲ様の声に耳をお傾けください!」


 それ以降も石は投げられ続けた。批判の声が収まることは決して無い。武器を手に、乗り込んでくる人々もいた。しかし、それらを沈静させた者が居た。


「身勝手なこの世界を創ったお前に、皆が幸せな世界を創り直すことができるのか……?」


 決して声が大きいわけではない。しかし、その場に居合わせた全員が、ラロードの声に耳を傾けたのは間違いなかった。


「僕が――この世界を、もう一度創り直すよ」


 真っ赤な瞳のロズウェルを見てから、ヒカゲは決心する。


「今度は、誰もが幸せになれるような、そんな世界を」


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