第38話 戦闘
罪人のつるし上げが完了し、すぐに処刑を始められるところまできた。しかし、ヒカゲは焦っていた。どうやらアスカが逃げ出したらしい。それに、結局リーナは裏切った。盗まれたグリモアの所在も不明で、おまけに現世から一緒に戻ったはずのロズウェルは行方不明。
グリモアの紛失に関してはさほど問題では無い。何故なら、ヒカゲ以外の人間があの魔道書に文字を綴ることが不可能だからだ。グリモアへの記述は、ヒカゲがかつて創り出したファンタジー小説のオリジナルの五十音の創作文字によって成される。言語開発まではしなかったが、五十音をそれぞれ別の記号に置き換えているのである。
それに、グリモアはページを破ることはできるが本体が破損することはない。燃えないし、濡れない。もしものときを考えて、切り取ったページは常に持ち歩くようにしているし、たとえグリモア本体が紛失しようと、それほど痛手では無いのだ。
そもそも本体に触れられないようにすればいいような話だが、そういった命令文を与えるのは少々面倒だった。グリモアは“世界創世をすることができる魔道書”である。
つまり、グリモアに書き込む内容は間接的に世界と関わらねばならない。それは新たに何かを『創るか』、既存の存在を『壊すか』に限られる。
“グリモアに触れることができるのはヒカゲだけに限られる”という命令文を与えたとしても、その文言には世界の創世も破壊も含まれていない為、却下されてしまうのだ。
以前アスカが『人間は空を飛べる』と記述したときは、『浮遊』という概念をグリモワール内に新たに“創った”ので、認められることとなった。容姿の変化に関しても同じことが言える。ヒカゲはこれらの法則の抜け道を知っているが、とはいえそもそも彼は自らの創造魔法が最強であることを自負しているし、盗られても取り返す自信がある。
……しかし、本当に見て欲しかった人間たちが現場に居ないというのは問題だ。なんのためにここまでの大舞台を作ったと思ってる! ヒカゲは苛立ちながら声を荒げる。
「もういいっ! さっさと処刑始めちゃって!」
目の前で泣き叫びながら馬鹿の一つ覚えみたいに許しを請うクラスメイトには、もう憎しみなんていう感情は生まれていなかった。もっと別の“何か”をヒカゲは欲していた。
「――――待って!」
かつて部下だった赤髪の女騎士が、息を切らしながら槍の石突きを叩きつける。
「リーナ……待ってたよ」
「ヒカゲくん、バカなことはやめて!」
「……完全に毒されてるね。それもアスカのせい?」
「違う! 正気に戻ったのよ! わたしは現実から逃げてた! でも、やっぱりそれじゃダメなの! アスカくんが……それを思い出させてくれたの!」
「……本当に面倒なことしてくれるなぁ」
苛々が募る。どうして、アスカはこんなにも自分の邪魔ばかりしてくるのだろう。現世に居た頃は間違いなく一番の親友だと思っていたのに。
「面倒で悪かったな」
リーナに続いて、青い外套に身を包んだアスカが舞台上に姿を現した。すると、途端にヒカゲは椅子から立ち上がり、機嫌良く処刑台を指差した。
「アスカ! ほらほら、あそこを見てよ! 今からアイツらを処刑するところなんだよっ」
アスカは眉間に皺を寄せながら、大舞台の中心でつるし上げられているクラスメイトたちを見上げて、悲しそうに瞼を閉じた。
「ヒカゲ、もうこんなことやめよーぜ」
「……アスカ、一緒に見てくれないの?」
「俺はお前と一緒にこんなことをしても、面白いだなんて思えないよ」
「…………そっか」
落胆するヒカゲを前に、アスカは一枚の紙切れを取り出す。ヒカゲが目を丸くする。
「それは…………あのとき千切れたグリモアの紙切れ?」
「ああ。まさかこいつに頼ることになるなんてな」
「何か書いたの?」
「書いたぞ。お前が困る最高のハッピーエンドをな」
得意げにアスカが語る。それを見て、ヒカゲは笑いが込み上げてくる。
「ハハッ、バカだね。悪いけどあの頃とは違うよ。グリモアは僕のオリジナル文字でしか受け付けないように改良してある。だから、ゲームオーバーなんだよ……君たちは!」
歯を剥き出しにしてヒカゲが言い放った。何やら戦略を練ってきたアスカたちのトドメを刺したような感触だった。それなのに、アスカの表情は別段変化しない。
「そんなことだろうと思ってた。だから、何パターンも書いといたぜ」
「……どういうこと?」
アスカが紙切れを投げ捨てる。その瞬間――、とんでもない出来事が起きた。
いくつもの異文化が重なった黄金色の城が、目の前にいきなり建国されたのである。同時に沸き立つ歓声。それは、かつてヒカゲによって無残にも命を絶たれた王族や市民、獣人やドラゴン。彼らは金色の光となって、亡霊のようにヒカゲの城へ襲いかかってくる。
「なんだ……? 一体何がどうなってるんだ!」
続く地響きに焦りながら、ヒカゲは地面に落ちた紙切れを手元に引き寄せる。小さな紙切れには、その両面にびっしりと文字が敷き詰められていた。
「『醜い小竜の子』『永遠の物語』『英雄の在り方』『妖精の王様』……どれだけお前の小説の最初の読者やってきたと思ってんだよ」
「アスカ……君は、本当に邪魔なやつだなぁ!」
ヒカゲが叫びながら、アスカが記述したグリモアの欠片に羽根ペンで二重線を引こうとする。
「させっか……!」
アスカが『大毒鷲の短剣』を投げつけ、ヒカゲの手元で空中停止させてから思い切り回転させる。そして、小さな文字すら書けない程の大きさまで切り刻む。
「なんだって……!?」
絶句するヒカゲ。アスカはナイフを引き戻して、自在にナイフをくるくると回転させる。
「ビックリしたか? ヒカゲ、最高だよな。創造魔法って」
「アスカ、もう許さないからな! 徹底的に君のことを叩きのめしてやる!」
「やってみろよ! 俺だってテメーのことをブッ飛ばしたくて仕方ねえ!」
ヒカゲが瞬時に羽根ペンを取り出し、何も無い空中に文字を走らせる。すると、ヒカゲのそばに光の粒子が集まって、それらはやがて形を成していく。
「お前、そいつらは……」
「そう。僕の頭から生まれた英雄たちさ。君みたいな悪者をやっつけてくれるんだ」
ヒカゲの両脇に現れた英雄たちは、彼の創作小説にそれぞれ登場する主人公だった。
「自作品からの召喚術かよ……」
アスカが舌打ちをすると、突然英雄の一人が飛びかかってきて、その大仰な大剣で薙ぎ払う。
咄嗟にアスカは身体を屈める。ぶぅん――と、数瞬遅れて強烈な風が頭上を通り過ぎた。
――今の、もし当たってたら身体が真っ二つだった……!
その場に尻餅を付いた。頭の中が真っ白になる。さっきまで宙に浮かんでいた『大毒鷲の短剣』が、いつの間にか地面に落ち、幻影のように消えかけていた。上手く創造魔法が発動できていないのだ。
感情のこもっていない無機質な殺意に触れたことで、アスカの精神に僅かな歪みが生まれる。
――ヤバい、ヤバいヤバいヤバい!
焦る気持ちが更にアスカの心の余裕を奪っていく。話には聞いていたが、己の感情がこれほどに創造魔法に影響してくるとは。
絶体絶命のアスカの背後には、もう一人の英雄。
アスカの身体を目がけて、細身の剣を疾風のように繰り出す――。
「うわああぁぁ――!」
アスカの目の前で英雄の刺突を受けたのは、リーナだった。
「――バカっ! 何情けない声あげてんのよ! アスカくん! しっかりしてっ!」
金属同士の擦れる音を軋ませながら、リーナが早口で叫ぶ。
「ヒカゲくんに忠誠を誓っていたからこそ効力を発揮していたわたしの『裁きの槍』は、もう殆ど使い物にならない! だからわたしにはこれくらいのことしかできないのっ! でも、あなたは違うでしょう!? 盗賊の……ううん、アスカくんのカッコイイところ、見せてよっ!」
「……リーナっ」
リーナが力の限りを振るって、敵の武器を弾き飛ばす。
「動きが単調だわ。まるで……そう、ゲームのキャラクターみたいな」
「……そうか! リーナ、サンキュ!」
アスカは、黒い刃を敵の懐に投げ込む。だが、鎧に簡単に弾かれてしまった。その光景を見ていたヒカゲが馬鹿笑いを上げる。
「バカじゃん! そんなのただの投げナイフだ! 効くわけがないだろっ!」
「それはどーだろうな……リーナ、そこ離れろっ!」
アスカは弾かれた『大毒鷲の短剣』を急速に回転させる。やがて黒い刃はプロペラのように円を作り、そこから黒い液体を雨のように撒き散らす。
「ったく――毒の魔法なんてロクなもんじゃねーよ! 生きた人間には手加減しなくちゃならないし、使いにくいったらありゃしねえ! でも……お前らが創作物だってんなら、本領発揮できるぜっ!」
ヨーヨーのトリック技をキメるみたいにアスカはナイフを縦横無尽に操り、黒い雨を我が物とした。雨に打たれ続ける英雄二人は、やがて光の粒子へと還元されていく。
「なんだこれ……!? 君にこんな強力な創造魔法が扱えるはず無いのにっ!」
「ああ、俺の力なんてたかが知れてる。でも、この創造魔法は俺が死にもの狂いで想像して創造した俺の決意表明なんだ! 大切なものを守るために! この世界で足掻くために!」
「まだそんなこと言ってるのか! 君は主人公にでもなったつもりかっ! この物語の主人公は僕なんだよッ!! だからアスカ――、君は引っ込んでろッ!!」
ヒカゲが叫び声を上げたそのとき――、上空から咆哮。付近に黒い影が出現し、それが大きくなっていく。やがて、どすん――と地を揺らし、大舞台に巨大な竜が舞い降りた。
それはかつてヒカゲが退治したはずの伝説の七竜――真紅の竜(レッドドラゴン)だった。
まともな耐震計算ができていない大舞台に亀裂が走り、徐々に地面が割れ始める。
「なんだよ……何僕を睨んでるんだよッ! ドラゴンごときが!」
真紅の竜はヒカゲを見据えると、大きな顎を開いて――業火の焔を浴びせる。
「ヒカゲ――!」
「ヒカゲくんっ!」
二人の叫び声と共に、ヒカゲは焔の渦に飲み込まれた。
城内の騒ぎを聞きつけた騎士たちが大舞台に集合し、金色の亡霊と異種族、王宮騎士団とが武器を交え、辺り一面は一気に戦場と化していた。
「王様っ――!」
大毒鷲に乗ったロズウェルが、上空から滑空してくる。彼は躊躇無く焔の海の中に入り込み、そこから黒焦げのヒカゲを救出する。
「ご無事ですか!? 王様?」
大毒鷲のくちばしに優しく掴まれたままのヒカゲがぼやく。
「……離せ」
「王様……?」
「いいから離せ! 僕は今もの凄く機嫌が悪いんだっ!」
「いいえ王様! この高さから落ちれば、如何に王様といえど無傷ではすみません!」
「グリモアを手にした僕はこの世界の王様なんだぞっ!? 世界最強なんだ! ケガなんてするはずがないだろっ!? ロズウェル、君まで僕のことをバカにするっていうのか!?」
ロズウェルは短い時間で幾度となく思考を巡らせた。
「では、せめて……安全なところに降ろさせて下さい」
「じゃあほら、さっきの地割れでできたあの裂け目に僕を降ろしてくれ」
「……わかりましたっ」
大毒鷲は地面の裂け目でヒカゲを放り出して、そのまま空へ戻って行く。
その様子を地上から見ていたアスカとリーナが、安堵する。
「とりあえず、アイツは無事みたいだな」
「……安心してる場合じゃない。来るわよ」厳しい瞳のままにリーナが言った。
大毒鷲が大舞台に舞い降りてくる。跨がっているロズウェルからは、禍々しい圧を感じる。
「……許しませんよ。あなたたちだけは、絶対に」
そのとき、みすぼらしい格好をした面々が、アスカたちの前に現れる。
「――お前も、そろそろ親離れしたほうがいいんじゃないか?」
「……本当にいつもいつも邪魔ばかりを……!」
大毒鷲に跨がったままのロズウェルが苛立ったように舌打ちをする。
「遅れて悪かった。アスカ、リーナ」
闇色の髪を靡かせながらアスカたちの前に現れたのは、死んだはずの盗賊団の頭領。そして彼の背後には捕らえていたはずの亡国の姫君、それからタテガミの団員たちが続いていた。
「ラ、ラロードっ!! アンタっ、どうして……! やっぱ何か企んでやがったんだなっ!」
「欺くにはまず味方からだ。お前のタテガミとしての自覚と信念も大分向上したようだしな」
「この、バカ団長がッ! 死んだと……思ったじゃねーかよ!」
感極まったアスカが眦を拭う。それを見たラロードは、微笑みながらアスカの肩を叩いた。
「感動の再会を祝うのは、すべてが終わってからだろう?」
「そうです! 私たちが来たからには、タテガミの勝利は目前です!」
ラロードの横で、プリスがえっへんと胸を突き出して笑った。
「プリスも脱出できたんだなっ! それにタテガミの皆も……!」
「あの後ラロードが助けてくれたんです!」
「この場は俺たちに任せろ。アスカとリーナは……ヒカゲ王を」
「ああ、わかってる!」「ええ!」
「良い返事だ」
唇を歪めたラロードが、『盗賊の証』を膨張させる。黒く大きな手のひらでアスカとリーナを一纏めに掴み上げる。
「手加減はしておく。着地は知らん」
「おい、ラロード……お前っ、まさか――」
「え、ちょっと? 何をしようと言うの……?」
「アスカ、リーナ……その手で救ってみせろ。この世界の王様を」
ラロードが、大きく振りかぶる。
「うわぁぁぁぁぁぁ!」「きゃあぁぁぁぁぁ!」
アスカとリーナは、ヒカゲが待つ地面の裂け目へと落ちていった。
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