第36話 盗ませてもらった
酒肉の匂いが充満するただ中へ、一人の少女が突入していく。その勇ましい歩みには迷いが無かった。ばん――と少女が手のひらを木製のテーブルに叩きつける。
「あなたが『死玉の烙印』の設立者さん?」
頭巾を被った男は、リーナを一瞥してから舌打ちする。
「こんな寂れた場所に何か用か?」
「世話話は置いておいて、結論から言うわ。ストーリエ城の独房の“鍵”を渡しなさい」
静まり返る空気。目の前の男に表情の変化は見られない。こうなることを多少なりとも予想していた可能性がある。だとしたら、交渉の達人相手に早速不利な立場だ。しかし、ここで引き下がっていては闇ギルドなど相手には出来ない。
「そいつはまた物騒な。例の賊の残党でも逃がそうっていうのか? 赤髪の女騎士様」
おそらく鬣猫盗賊団のことを言っているのだろう。広い情報網を持っていることが窺える。油断は出来ない。最悪の場合を想定しておいたほうが良いかもしれない。
「……城の機密情報を漏らすことはできないわ。そもそもこれは取引じゃないの。ヒカゲ様からの命令で、あなたたちは従うしか選択肢がないのよ」
「バカ言ってんじゃねえよ。そんなんで、俺たちが従うとでも思ってんのかい?」
頭巾の隙間から細長い瞳が鈍く光る。しかしリーナは怯えなかった。ブルーの瞳で睨み返す。
リーナは懐から羊皮紙を取りだして、卓上に広げた。
「独房を創造をしてもらったときの発注書よ。これ、一応ウチの城から発行してるものだけど、誰も管理してないし、いくらでも捏造できるの」
こほんと咳き込んでから、リーナは言った。
「これを元に王様が怒り狂うような文書にして提示するわ。この独房があと数日で契約終了になること。先に述べた契約内容はすべて虚偽のものです、とかそんな大嘘を並べるつもり。そうしたらどうなるかしら。今まであなたたちに大した関心を持っていなかった王様でも、流石に何かしらの行動を起こすことになるかもね」
「ははっ、アンタこそそりゃ立派な反逆罪だぜ。これから死地にでも赴く気かい?」
「いいえ、全部終わらせて自分の世界に帰るの。王様と、もう一人の仲間と一緒にね」
まさか自分がこんな脅迫のようなことをするだなんて。たった今自分がしている行為に、リーナは笑ってしまいそうだった。だけど、これはアスカとの約束を果たすために必要な行為だ。純白なだけでは前に進めない。それをこの数日間で思い知った。
これは迷うこと無きわたしの正義。白も黒も無い――己の刃。
頭巾の男は何も答えなかった。だが、リーナにはわかった。男は相当困惑している。
恐らく、この城下町の中で自分のことを一番憎んでいる男だ。城下町を見回りしていた頃、幾度となく衝突を繰り返してきたのだ。正義の使者であるリーナがこの街に居るだけで、彼ら闇ギルドは幾ばくかの仕事を失う。
『赤髪の女騎士』などという異名を勝手に付け、城下町に流したのだってこの男だろう。自分がどういう人間かは知られているはずだ。だからこそこの脅しには効力がある。
――もっと悩んで。考えて。想像して。――――もう一押しだ。
リーナは暴れる心臓を必死に押し隠しながら思った。
「それからもう一つ。あなたたちにとってとても魅力的な話を用意してるの」
「……なんだ」
「今後、わたしはあなたたちの行うすべての出来事に干渉しない。約束するわ」
言い切って、きりっとした瞳を頭巾の男に注ぐ。男は肩を震わせて、枯れた声を上げた。
「はっはっは、そいつは良い。……だがお嬢ちゃん、一つだけ教えてやる。商売ってのは双方にメリットがあってこそ成立するもんだ。そしてそれは決して後ろめたいものであってはならねえ。ましてや脅すなんて、正義の鉄槌を下す騎士様の所行だとは思えねえ。これが何を意味するかわかるか? アンタは信用ならねえって言ってるのさ」
途端に談笑する人々のざわめきが消え――酒場内すべての人間が立ち上がった。
ざっと確認しても二十はいる。とても一人で戦える数ではない。
「それに、王様は今外出中だって聞いてるぜ。従者共々城には居ないはずだ。アンタはどうやって虚偽の文書を王様へ提出するんだ? ……となると、今まで必死に考えたであろうお話も大分胡散臭く聞こえてくる。どんな文書を書くつもりか知らないが、奴が俺たちに刃を向けるときは、もう何をしたって終わりだ。なんたって抵抗のしようが無いからな。そんなものにビクビク怯えてるくらいなら、今まで通り生きていたいと俺は思うね」
敷き詰められた木の板を踏みしめながら、頭巾の男は身体を固めたままのリーナに近寄る。
「わかっていることがもう一つ。今ここで俺たちがアンタを葬り去っても、誰もあんたを気になんてしないってことだ。途中で任務を放り投げ、私情の為にこんなところまでやってきたろくでなし騎士として、墓標に刻み込まれることになるだろうぜ」
「……どうかしら。やってみないとわからないわ」
「強気だねえ。嫌いじゃ無いけどな、そういう女」
やるしか――ない。頭の片隅で、闇の沼に突き刺さったままの『裁きの槍』に手を伸ばす。
しかし、その手首を何者かに握られる。
「鍵とはこれのことか」
反射的に声のほうを振り向く。
宙に浮かんでいた不思議な手のひらから、鈍色の小さな鍵を手渡される。
「あなたっ…………一体どうして」
頭巾の男が訝しむような表情で、目の前の男を睨み付ける。
「誰だ、アンタは」
「ただの盗賊だ。これから、お前たちのすべてを盗んでやろうと思ってな」
麻の外套をバサリと翻して、リーナに背を向けたラロードが言い放つ。
「話は後だ。行け」
ラロードの一言でリーナはきりりとした瞳を取り戻し、仲間を助けるために走り出す。
「さて――」
黒髪を撫でつけてから、ラロードは頭巾の男に目をやった。
「悪いな。鍵を借りてしまって」
「構わないぜ、兄ちゃん。あんたが死ぬだけだ」
荒くれ者たちが、ぞろぞろとラロードの元へ集まってくる。
「その空飛ぶ手袋ごときでこの数とやろうってのかい……ふざけるのも、大概にしろ!」
頭巾の男が、突然出現させた魔法の斧で斬りかかる。
一閃。赤黒い血液が辺り一面に飛び散って、やがてケラケラと笑い声が上がった。周囲の仲間もにやついた笑みを浮かべながら、大量の血を流して横たわったラロードを見下ろす。
「なんだよ、クソ弱いじゃねえか!」
「大仰なこと言ってた割には大したことねえな」
瞬間――近場の男がばたりと倒れた。
「おいっ、どうした!?」頭巾の男が声を荒げる。
やがて、血にまみれたラロードが何事も無かったかのように身体を起こす。
「悪いな。そいつの“命”を盗ませてもらった。お前は、自分の仲間を殺したってことだよ」
ラロードの『盗賊の証』は、相手の所持するものを盗むことができる。それは物質だけに留まらない。
例えそれが……人の命なのだとしても。
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