第33話 きっと面白いことになる
赤と金で豪華に彩られた迎賓室の卓上に食器が並べられていく様を、ヒカゲは御座からじっと眺めていた。そんなとき、薄汚れた服のまま連れてこられたのは――罪人アスカだった。
「……クソッ!」
「まあアスカ、座りなよ」
立ち上がったアスカが、野良猫のように敵意全開でこちらの様子を窺っていた。
「そんな怖い顔してないでさ、ほら。ロクな物食べてないんじゃない? これから美味しい料理がくるから。そこ座りなよ」
アスカは乱暴に正面の席の椅子を引き、そこに腰掛けた。
やがて扉が開き、かぐわしい香りが迎賓室に充満する。料理人たちが今宵のディナーを真っ白な皿へ盛りつけていく。その光景を眺めながら、笑みを浮かべたヒカゲがアスカを一瞥する。
「いやあ、でも本当に驚いたよ。アスカが盗賊だなんて」
「…………」
「さっきも凄い怒ってたね。アスカってそんなに怒ったりする奴じゃなかったのに。何に対しても無気力って感じだったじゃん。めんどくせー、めんどくせーって。一体どういう心境の変化? ……教えてよ。ねえ、聞いてる? アスカ」
アスカは革の手袋がはち切れるほどに拳を握りしめて、目の前で湯気が立ち上る皿を充血した瞳で見下ろした。
「…………何考えてんだ、お前」
「……何って?」
「こんな豪勢な城建てて王様だって? お前が? ……バカなんじゃねーの」
「それ、どういうこと?」不機嫌そうに眉を顰めるヒカゲ。
憤りを感じたアスカが勢いよく席から立ち上がった。椅子がばたんと床に倒れる。
「金持ちにでもなりたかったのか!? 民衆従わせていい気になりたかったのかよ! ふざけんのも大概にしろよヒカゲ!!」
アスカは鼻息を荒立たせながら続ける。
「気にくわない国や町は潰して! 一体何人の人間が難民になったと思ってる! 死んだ奴だってたくさんいるんだぞ! 正気じゃねえよ! 例えここがお前の創った世界なんだとしても! ヒカゲ、どれだけのことをしてきたのか、お前自覚してんのか!?」
「…………」
「ここはもう俺たちが好き勝手して良い世界じゃねーんだよ。たくさんの人たちが生きて生活してるんだ。ゲームじゃないんだぞ。それを俺たちが好き勝手していいだなんて、おかしな話だろ? な、だから今すぐ現実世界に帰ろう! そうすれば――」
「……アスカってさ、いつの間にそんなに熱い奴になったの?」
「あ?」
「だーかーら……いつの間に少年マンガの主人公みたいになっちゃったのって聞いてるの。友情、努力、勝利みたいなさ。お約束だよね……僕はもう飽き飽きしちゃってるけど」
パンにシチューのようなものを付けて、それをヒカゲは口の中へと放り込む。
「ヒカゲ、俺は……もう、逃げるのを辞めたんだ」
「何言ってるのか全然わかんない」
「ああ、それでいい。俺は、俺がしたいことをするだけだ」
「何? アスカ本当にヘン。おかしくなっちゃったの?」
「これからお前をぶん殴って、それから謝って。そして俺とお前は本当の友達になるんだよ」
「……頭大丈夫?」
「……なんで殴られるのか、全然わかってねーみたいだな」
「うん。なんで喧嘩みたいな感じになってるのか、全然わかんない」
「――テメェ!!」
激昂したアスカが卓上に乗り上げ、そのままヒカゲの元へ跳躍する。
ヒカゲは大きな溜息をついて、手のひらを払った。すると、風も音も無く突然アスカは部屋の端まで吹き飛ばされる。
席から立ち上がったヒカゲは、テーブル上で散らかった料理を残念そうに見下ろす。
「あーあ……せっかく楽しい夜会になる筈だったのにな。……こんな風になるんだったら、もう会わなきゃ良かったよ」
這いつくばっている元親友に、愛想が尽きた視線を注ぎながら、告げた。
「やっぱり僕……君のこと、凄くムカつくみたいだ」
異世界に入り浸る自分のことを引き戻すために、アスカがやってきた日のこと思い出す。
――――ヒカゲ、帰ろうぜ。
あのときアスカから返ってきたのは――そんなつまらない言葉だった。
君だけは、違うこと言ってくれるんじゃないかと期待していたのに……。
* * *
ヒカゲは左耳に障害を抱えている。後天的に発症するタイプの症状で、小学校に入学するときには左耳がほとんど聞こえなくなっていた。
手術をすれば症状を軽くすることはできた。だが、稼ぎ頭の居ない貧困な三人家族には手が届かない額だった。しかし――ヒカゲは突き付けられた現実をまったく悲観しなかった。
「ママが付けてくれた耳だから、僕はこのままでいい。好きだもん」
母親に笑顔を向けながら、そう言ったのを覚えている。
小学校ではからかわれることが多かった。耳に異物を取りつけていた子供は、教室どころか学校に自分しか居なかったのだ。問われ、触られ、キャッチボールの球にされた。
自分と違うタイプの人間がいれば、誰だって面白がる。群がる。それが幼い子供だというなら尚更だ。もし自分が相手の立場だったら、どうしていただろう……ヒカゲはそんなことを考えながら、小学四年生になるまで愛想笑いを続けた。
だがあるとき、ヒカゲの補聴器が隠されてしまった。放課後には返してくれると思っていた。でも、彼の補聴器が戻ってくることは無かった。
誰にも相談することができなかったヒカゲは、教室に一人残って補聴器を探した。啜り泣きながら。顔をしわくちゃにして。
そんなときヒカゲの前に現れたのが、アスカだった。
「これ、お前の?」
そう言ってアスカは、握っていた補聴器をヒカゲに手渡した。
子供の頃はわりかし活発で、人気グループの輪の中にいることの多かったアスカだったが、彼はヒカゲへのちょっかいに対して否定的だった。浅く広いタイプの交友関係だったことも手助けしてか、彼はグループ連中からヒカゲの補聴器をくすねてきたのだ。
「やられてばっかなんて嫌だろ。たまにはやりかえそーぜ。こう、バーンとさ」
「やだよ。暴力は嫌いなんだ」
「ふーん……良く我慢できるよな。俺だったら絶対ムカつくけどな」
「というか……いいの? 裏切ったってことにならない?」
「別に? そこまでアイツらと仲良いわけじゃねーし」
「変わってるね、君」
「お前もな。弱そうに見えるのに、きっと中身が強いんだな! お前は」
アスカはケラケラ笑って、ヒカゲに手を差し伸べた。
「じゃあ今度からは俺と一緒に居ようぜ! そしたらもうこんなことされねーって……多分」
「………………多分、かあ」
「あ、ゴメン、絶対! …………まあ、平気だろ…………多分」
それがアスカと友達になったきっかけだった。二人で居ると、自然とヒカゲを取り巻く環境は変わっていった。彼も輪の中に入ることができたのだ。
しかし中学生になると、問題はエスカレートしていった。順枠な興味から始まるイジメという行為が、混濁した悪意そのものへと姿を変えてしまったのだ。
小学校の頃一緒に遊んでいた連中も見て見ぬふりをした。かつて自分のことを守ってくれたあのアスカでさえ、ヒカゲイジメに参加していた。それでもヒカゲはめげなかったし、別段悲劇だとも思わなかった。それが自らに巡る運命だと信じ、抗ってきたのだ。
誰にも助けを求めず、ただ一人の力だけで。逃げること無く、現実に立ち向かった。
壊された補聴器を買うために、毎朝三時に起床して新聞配達をした。
仕事が終わるとそのまま学校に向かい、襲ってくる理不尽に耐えながら真面目に授業を受けて、家に帰ってからは身体の弱い母に変わって掃除、洗濯、料理などの家事に励んだ。
そうしてやっと訪れる自由時間……夜は大好きな物語に触れられる時間だった。大量に詰まれてあるマンガや小説に手を伸ばして、幻想世界に溺れるのだ。何十冊も、何百冊も読んで……好きなシーンを模写して頭の中で延々と繰り返したり、物語の展開を勝手に書き換えて自分の理想のストーリーにした。いつしかヒカゲの夢は創作家になっていた。
毎日充実していたはずなのに。自分を痛めつける害悪なんて気にならないくらいに。
なのに……、なのに…………どうして、あの日――君は………………。
執務室で羽根ペンを走らせながら、ヒカゲは上の空になっていた。
あのときの自分は、馬鹿正直で素直過ぎたように思う。なんだか不憫だと、ヒカゲは思った。
「…………処刑でも……してみようかな」
「処刑……ですか? 王様」
「うん。この間の盗賊団の生き残り。お姫様だっけ? そいつをアスカの前で殺しちゃうの」
「良いお考えだと思います。ヒカゲ様に楯突くような反逆者どもです。極刑は免れませんよ」
“ヒカゲイジメ”では、かつて“処刑”という名の下で悲惨な惨劇を虐げられてきた。……そういえば、当時執行人だった“彼ら”は一体どこで何をしているのだろう。
「ちょっと……出かけて来ようかな」
ヒカゲは席から立ち上がり、執務室のバルコニーに歩を進める。
「お、王様……!? まだ本日の執務が終わっていませんが!」
「いいよ、もう飽きたし。それに疲れちゃった。……ほら、ロズウェルも一緒に行こう」
「ボクも一緒に行っていいのですか!?」
「うん。嫌?」
「いいえっ! そんなことはありません! 行きます!」
表情を緩めたロズウェルが、耳まで赤くさせてヒカゲの元へ一瞬で移動する。
ヒカゲは手袋を外して口に指を付けると、ピィ――と甲高い笛音を鳴り響かせた。
天空より舞い降りた飛竜に跨がって、マーブル模様の空に向かって翼を翻す。
「これから……きっと面白いことになるよ」
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