第4章 僕がすべてのこの世界で

第32話 無邪気な声


 この世界に、王様は二人もいらない。ヒカゲは決まってそう言った。

 人間とは本当に不思議なもので、辺鄙な更地に人が集まりさえすれば、それはやがて集落となり凄まじい速さで街に発展し、国へと変化する。初めは単純に許せないと思った。この異世界の生みの親であり、王である自分を差し置いて勝手に国を作るだなんて。

 だから崩壊させてやった。グリモアに記述してしまえば、相手は面白いくらい簡単に崩れ去っていく。苦しむ民衆。そうして多くの者たちが難民へと転落していったのだ。


 ヒカゲの良心はちっとも痛くなかった。勝手をする奴らが悪いのだ。この世界にストーリエ以外の王国は不要だし、王様も必要ない。

 やがてそれは、快感へと変わっていった。楽しいのだ。圧倒的な力で弱者をねじ伏せるのが。他者が一生懸命築き上げてきたものを壊すことが。

 それからのヒカゲは、自然と国が出来上がるように仕向けることにした。王都から直々に援助もしてやった。物資や金品を受けとった住民たちが、大層喜んでいたのが馬鹿らしくて、その晩は腹を抱えて笑ったのを覚えている。

 彼らは汗水を流しながら必死に他者と関わって、友情や愛情を育んだことだろう。たくさんの時間と労力を使って、王国を築いていったのだ。

 美しいエピソードだ。きっと多くの人がそう思う。だが、ヒカゲからしてみれば嘘で塗り固められたテレビ番組のようだった。

 ヒカゲは――にっこり嗤ってそれを崩壊に導いた。

 完成の間際で全部壊してやった。連中の絶望した顔は今でも忘れられない。

 本当に愉快で、楽しくて。今まで感じたことの無い高揚感に包まれた。かつて生きていた現実世界ではこうはいかない。


 ああ……、本当にこのグリモワールに来てよかった。この世界を創って良かった。

 それが――ヒカゲの心中のすべてだった。



 * * *



「――王様、王様……聞いていますか、ヒカゲ様」

「ん……? 何?」


 王座でうとうとしていたヒカゲに声をかけた従者は、幼い子供だった。長めに切り揃えられた綺麗な前髪から覗く大きな瞳は愛らしく、少女と見間違うほど華奢な容姿をしている。


「これからどうなさいますか? ご気分が優れないように見えます」

「ううん、そんなことは無いよ。ただ、退屈してるんだよ」

「ではどうでしょう。先日のようにドラゴンに跨がって世界を一周してみては」

「昨日やったばっかだしなあ……あ、因みに今日ってなんか厄介事はきてる?」

「いいえ。本日は特に」


 少し前に、勢いづいてきた一国を滅ぼしたばかりだった。唯一無二国制度を制定したせいか、最近では国を作ろうと意気込む者も減ってきていた。


「夕食を取って早々にお休みになってはどうでしょう。日頃の疲れもあるでしょうし」


 ヒカゲはうーんと唸ってから、パッと表情を変化させる。


「あ、ロズウェル、この前捕まえた盗賊団、どうなってる?」

「独房で監禁しています。数日前まで暴れていましたが、今は意気消沈といったところです」

「そう……あ、そうだ。アスカ連れてこられる? 今夜、一緒に食事をすることにした」

「ですが……王様」

「あ、僕アレがいいな。ねじ巻き鳥ローストのシチュー。準備をお願いね」


 ロズウェルのくぐもった声を躱しながら、ヒカゲが大仰な扉へと向かって歩く。


「お待ち下さい王様! 七番隊隊長のリーナの今後の扱いなのですが……」

「あー別にいいよ、おとがめ無しで。おかげでちょっと面白かったし」

「そんな……! 極刑でもおかしくありません。せめて拘束だけでも……!」

「いいって言ってるでしょ。ロズウェル、もうこれ以上は言わないよ」

「で、ですが……王様。ボクは、王様のご安全を……」

「僕のことが心配なの? そんなの余計な心配だよ。なんたって僕にはグリモアがあるんだ。これさえあれば、どうにでもなるし」


 吐き捨てるように言うヒカゲに、ロズウェルは置いて行かれたような気分になった。

 ヒカゲがこの世界で一番大切にしている存在は、グリモアだ。それはロズウェルにもわかっていた。しかし……では、自分はヒカゲにとって何番目の存在なのだろうか。訊ねたことは無かったが、そのことを考えると、途端に不安になる。怖くなる。

 幼い唇をきゅっと引き結んで、ロズウェルは胸にわだかまっていたもう一つの答えを求めた。


「……王様、前々から窺おうと思ってたのですが、アスカという盗賊は……王様とはどういったご関係なのですか」


 ロズウェルの言葉に、ヒカゲはぴたりと足を止めた。彼が纏う威圧感にぞくりとする。触れてはいけない部分だったのかも知れない。

 命の恩人であるヒカゲのことは誰よりも尊敬しているし、この世界に必要不可欠な王であることは間違いない。彼が居なければ、この世界は存在しなかったのだから。

 だが――ときおりロズウェルは、ヒカゲのことが怖くなってしまう。

 己の過去を何も語らない、この世界の小さな王様に。


「うーん…………トモダチ、かな?」


 萎縮するロズウェルに向かって、無邪気な声でヒカゲが笑った。


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