第31話 絶対に諦めない


 目が覚めると、アスカは豪華に飾られた赤い玉座の前で倒れていた。

 そこには、ヒカゲが座っていた。足を組んでこちらを見下ろしている。以前見た幼稚な王様の格好のまま、ヒカゲは横柄な態度でリーナに手を向けた。


「……いいよ、もう下がって」

「…………はい」


 リーナは俯きながら返事をして、玉座に横並ぶ騎士たちの列に並んだ。


「……やあ、目が覚めた? アスカ」

「……ヒカ、ゲ……」


 言葉にならない。たくさんの感情が洪水みたく溢れ出てきて止まらない。何か言いたかった。とにかくヒカゲの心に響くような何かを。でも、実際は彼の名を呼ぶだけで精一杯だった。


「盗賊……やってるんだって?」

「…………あ、ああ」

「ふーん。だからそんな汚い格好してるの?」


 目の色を変えずにヒカゲはそう言ってから、パチンと指を鳴らした。

 玉座の裏へ向かった二人の騎士が、全身を縛られた人物をアスカの前に引きづり出す。


「プリスッ!!」


 ラロードは居なかった。逃げることが出来たのかもしれない。


「盗賊団の仲間なんでしょ、その人。自分のことを強い強いってバカみたいに吠えてたけど」


 ヒカゲは玉座から腰を下ろして、先のとんがった靴でぴかぴかのフロアに足音を響かせる。

 背筋がぞくりとするほどの圧力を感じた。ヒカゲの左手に禍々しいオーラが纏っている。


「ね、この人殺してみても良い?」

「何っ……言ってんだよ、お前!」

「ダメ? あ、そうだ。アスカもリーナと一緒に無幻騎士団に入ってみない? そうだよ、それがいい! どう? きっと楽しいよ」


 無邪気に笑って、ヒカゲがアスカに手を差し伸べる。


「僕と一緒にこのグリモワールの頂点に君臨しようよ! ドラゴンに乗って自由気ままに大空を飛び回ってこの世界で勝手をする悪者と戦ったりしてさ。もう幾つもの場所を創造してきたけれど、また君と一緒に世界を創るのも楽しそうだし。ほら、アスカゲーム好きだったじゃん、ラスボスしか出てこないダンジョンでも創ってみる? 心配しなくても大丈夫だって。チート能力でも付けとけば皆ワンパンだから。……あー、でもずっと一緒にはいれないかも。僕も一応王様だからね。そしたら騎士じゃなくてアスカには従者をしてもらうってのもアリだな。政治とか良くわからなくても全然平気だよ。そういうのは良い感じにしてくれる人がいるから」


 ここで自分が折れればすべて上手くいくのだろうか。ヒカゲと、また元のような関係に戻れるのだろうか。何もかもが思い通りの世界で、毎日笑いながらヒカゲと一緒に世界創世を楽しむ。そんな風にグリモワールで好き勝手生きるのは、確かに魅力的だ。

 だが、きっともう二度と家族と会うことができなくなってしまう。

 崩壊してしまった自分の家族を放って夢の世界に浸かることは簡単だ。現実は時に苦しくて残酷だから、嫌なものからは目を背けて、つい逃げたくなってしまう。

 逃げた先の理想郷で、何不自由なく暮らすことをアスカは一瞬だけ頭に浮かべた。


 ――――そんなの……なんにも面白くないよ、ヒカゲ。

 ヒカゲが辛いだけの現実世界に帰りたくないのは重々承知だ。それは痛いほどわかる。だけど……ヒカゲの母親も、カズラもヒカゲの帰りを待っている。アスカは約束したのだ。仲直りをして、一緒に大笑いするのだと。本当に彼のことを想うなら――向き合わなくては。

 皆で幸せなエンディングを迎えるためには、今のヒカゲを止めなくちゃいけない。

 もうヒカゲを哀れみの目で見たくなんかない。お互いの主張をぶつけ合って、今まで見ないふりをしてきた現実にしっかりと向き合うのだ。

 ヒカゲを連れ戻すことが、最終的に彼の為になるのかはわからない。だけど――それでも。


 今のお前は間違ってるって――教えてやらないと! 親友の俺が!


 アスカは立ち上がって『大毒鷲の短剣』を引き出す。血走った黒の刃を空中で回転させながら、自由を奪っていた縄を器用に切断すると、ぽけっとした表情のヒカゲに握ったナイフを差し向ける。この世界の王である男に。


「ヒカゲ、俺はお前を止めに来たんだ。現実に戻りたくないお前の気持ちはわかってる。だけど、それはお前の為にならないんだよ。これ以上好き勝手をすれば、お前は本当に独りぼっちになっちまう。だから……無理矢理にでも、大層なその椅子から引きずり降ろしてやるッ!!」

「……恥ずかしいセリフ。作家志望だった僕が言うのもどうかと思うけど、アスカってそういうの嫌いじゃなかったっけ」


 ヒカゲが言い終えた瞬間――二つの影が急接近する。一つは天井から。もう一つは玉座の横から。やがてそれらは衝突し、突風を巻き起こした。


「また会ったな」

「大概にしつこいですね。あなたも」


 ラロードとロズウェルが、距離を取りながらいがみ合う。


「ラロード……!」


「まったく。世話を焼かせる」ラロードが鼻息を吹いて、横目でプリスを一瞥。

「アスカ、そいつを抱えて逃げられるか」

「ああ、わかってる。でもラロード……この人数は、流石に」


 困惑するアスカを横目に、ラロードはじりりと足を引きながら周囲の状況を確認した。この部屋にはヒカゲ配下の人間が多すぎる。流石の彼でも手には負えないだろう。しかし、こうなってしまった以上はやらなければいけない。……死ぬわけにはいかないのだ。

 ラロードは部屋の隅の兵士に『盗賊の証』を差し向ける。そして、“何か”を盗まれたらしい兵士は、突然がちゃりと音を立てて卒倒した。


「ラロード!? 何して――」

「……気にするな。少しの間、“借りている”だけだ」


『盗賊の証』を繰り出している右手とは別に、ラロードは左手で短剣を創造する。


「器用ですね。『物質出現系』と『幻影系』の創造魔法を同時に発現させるだなんて――」

 ロズウェルの言葉も待たず、ラロードは短剣を敵の首筋目がけて投げ込む――、


「ですが……それだけのこと」


 ラロードは突然吐血した。びしゃりと地面に飛び散る真っ赤な鮮血。


「……本当に喰えない子供だな」


 いつの間にか、ロズウェルはラロードの背後に立っていた。そしてさらにその背後には真っ黒な獣の影――その獰猛な腕が、ラロードの身体の中心を貫いていた。


「あなたの創造魔法はユニークですが、所詮は“人体のどこかから盗む”だけ。『迎撃系』を得意とするボクとは相性が悪いのです! それを恐れての遠距離攻撃だったのでしょうが、盗みの創造魔法のほうに容量を割きすぎている! そんな単調な魔法なんて、怖くない!」


「ラロード!!」アスカの叫び声が室内に轟く。


 こんなときまで、タテガミの団長は能面顔だった。彼の白い肌に、赤い血が伝う。


「……俺がどうなろうと、絶対にタテガミは死なない。アスカ……後は、頼んだぞ」


 いつものように、素っ気ない口調で部下へと告げる。ラロードの腹部からはおぞましい程の出血。それは、間違いなく生命に支障をきたすレベルのものだった。


「ロズウェル、トドメは僕にやらせてよ」


 悪戯な笑みを浮かべたこの世界の王様が、ゆっくりとラロードの元へ近づいていく。ヒカゲの腕に、この世のものとは思えないほどの圧倒的な力。


「ヒカゲ……辞めろ!! ふざけんなっ、この野郎ォォ!!」


 ヒカゲから放たれた禍々しいエネルギーが、身動きの取れないラロードに直撃する。

 周囲の騎士たちの拘束から身を乗り出し、アスカはラロードの元へ走る。

 ぐったりしたままのラロードの胸に耳を当てる。心臓の鼓動は……止まっていた。


「そんな……、嘘だろ、ラロードっ!」

「なんだ呆気ない。盗賊団の偉い人なんでしょ? なのにこんなすぐ死んじゃってさ」


 ヒカゲがアスカに笑いかけてから、「誰かこの人掃除しといて」と室内の騎士に呼びかけた。


「…………ははっ、なんだよ……これ」


 アスカが空笑いを浮かべる。ラロードの死。それは、間違いなく盗賊団の敗北を意味した。圧倒的な力の前で、彼らは赤子も同然だった。

 頭領が居なくなってしまった今、誰がタテガミを導いてくれるのだろうか。


 ――俺が、……俺がやるんだ。

 あの日アスカは誓った。この世界で足掻き続けて、この世界の王様を止めてみせると。

 自分の命を救ってくれたプリスのために。死んでしまったタテガミの皆のために。

 少年の心には、そう簡単に消えない灯火が上がった。静かに燃える、青臭くて不器用な焔。


 ――――俺がどうなろうと、絶対にタテガミは死なない。アスカ……後は、頼んだぞ。


 ラロードの意思をしっかりと心臓に縛り付けて、絶対に離さない。



 何度失敗したって――俺は絶対に諦めない。



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