第30話 歪み
「――ねえ、キツくね……? リーナさん、結構痛いんですけどっ……」
腕を荒縄で無理矢理縛られ、アスカは上半身の身動きが取れない状態だった。
「……我慢して」
「な、なんだかこういうの……ちょっとだけ気持ちいいかもしれません」
「えっ、プリス!?」
「うるさいぞお前たち。黙って無気力な罪人を演じろ。この俺のようにな」
「いえ、ラロード……あなたもそこまで上手いわけではないわ」
リーナに告げられ目を点にするラロード。表情が一切変わらないので、怒っているのか悲しんでいるのか、アスカには良くわからなかった。
騎士リーナを筆頭に、罪人の姿を模したアスカたちはストーリエ城内へと入っていく。純金の階段に敷かれた赤い絨毯を辿り、独房へ続く地下通路の入り口で職務真っ当中の見張りに用件を伝える。独房へと連れられる最中で、不意を突いたプリスの手刀が見張りに直撃。
「ごめんなさいっ」
「にしても全体的にチョロいよな、王都ってのも」
見張りの甲冑を脱がせながら、アスカが言った。
「現世のオフィスビルのほうがよっぽどしっかりしてるわ。ヒカゲくん、盗人が侵入しようがお構いなしって感じだから。……って、そんなことより早く着替えなさいよ」
「いやーん見ないでっ」
「……最強にキモい」
リーナの額に青筋が浮かび上がった気がした。アスカは速攻で態度を改める。
「つーかまさかお前からそんなセリフを聞くことになるとはな……」
「あなたが気持ち悪いからじゃない」
「違う違う。真面目に働いてる兵士襲って服剥ぎ取ってるってことに関してだよ」
「純白なものだけじゃ前には進めないもの。っていうか、早くして!」
「お二人ともお静かに!」
プリスの押し殺した声が響き、二人はしゅんと肩を落とした。
「リーナ、準備はできているか? 今回の作戦は、お前が鍵だ」
「……ええ。上手くやってみせる。任せて」
「ラロードこそ、ヒカゲのこと忘れて無いよな」
「善処はする。だが約束は出来ない」
――ヒカゲを殺すことは、辞めてくれ。それは、アスカが鬣猫盗賊団に入団したときにラロードに頼んだことだった。この世界で彼がどんな行いをしようと、アスカにとってヒカゲは仲違いしたばかりの友達に過ぎない。
――アイツの好き勝手を止める。俺はお前の友達として目の前に立ちはだかってやるんだ。
「グリモアを奪いとって、ヒカゲをこの世界の玉座から降ろす」
* * *
城内の人間が寝静まった夜、蝋燭を手にリーナは暗闇に包まれた廊下を歩いていた。
やがて――暖色の光源が人影を映した。
「やあ、リーナ。お久しぶりですね」
小さな背丈に、まだ幼く高い声。
「……ロズウェル様」
「それがタテガミの頭領と、アスカの死体ですか?」
「はい。ご確認していただければ、あとはわたしのほうで処分しておきます」
リーナは連れていた部下に、担いでいた布袋を降ろさせる。
「わかりました。諜報活動お疲れ様でした。後ほど王様にはボクから報告しておきます」
ロズウェルは小さな手で布袋に手をかける。
「リーナ、あなた……なんだか雰囲気が変わりましたね」
「そうですか?」
「ええ。……ところで、どうして部外者がこの城の甲冑を纏っているんでしょうね」
ロズウェルがそう発言した瞬間、布袋が破けて深淵がロズウェルの顔面に襲いかかる。
瞬間的にロズウェルは軽快なステップを踏み後退。しかし――、
粘ついた血液が、ロズウェルの左顔面からぼたぼたと床に垂れた。
布袋から飛び出したラロードが無表情に告げる。
「悪いが、“盗ませてもらった”」
ラロードの『盗賊の証(ローグ・ハンド)』が摘まんでいたのは、血みどろの眼球だった。
次の瞬間、もう一つの布袋から飛び出したプリスの鉄拳がロズウェルの脇腹にめり込み、彼はそのまま壁に身体を叩きつけられた。
その間、リーナの部下に分していたアスカはノータイムで『大毒鷲の短剣』を投げつける。ロズウェルの死角手前で留まらせた黒の刀刃を急速に回転させると、血管のように張り巡らされたヒビから赤黒い液体が無数に飛び散る。
「麻痺系の毒……ですか、連携もお見事です」
顔面に付着した液体に触れながら、ロズウェルが引きつったように笑う。
「お前のお陰で発現した魔法でもあるからな、一応感謝しとくよ。ロズウェル」
一瞬の戦闘を終え、アスカが『大毒鷲の短剣』を引き戻したときだった。
ラロードの『盗賊の証』が突如として消失した。
「……迎撃系の創造魔法か」
手の甲の傷口を見たラロードがぼやく。
横たわるロズウェルの背後には、全身を包み込むほどの獣の影が広がっていた。少しでも近づけば、身を切り裂かれてしまいそうなほどの威圧感。
「なるほど。宙に浮かぶ黒い手で握るのをやめれば、盗品は宿主へと返ってくるのですね」
左目が元通りになったロズウェルが続ける。
「そして、あなたの手とも連動している」
「聡い子供だな」
ラロードが再び『盗賊の証』を出現させたときだった。
「――みんなで何をしてるの?」
突然、禍々しい重圧感が蔓延る。その場にいた全員の心身が引き締まった。
カツン、カツン――と廊下を叩く足音。一同の視線が暗がりの中へと向く。月明かりに照らされながら現れた唇が――ぐにゃりと歪み、そして……本当に楽しそうに言った。
「僕も混ぜてよ」
それ以降、アスカの視界は真っ暗になってしまった。
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