第29話 そういうの似合わない
プロットル――スラム街の辺境に、新たなアジトはひっそりと立ち上がった。
テンテル枝や木材、薄汚れた布で作り上げた天幕のようなもので、薄い布は夜に降り注いでくる星々に透けてしまうような、とても脆い住居である。
「どうやら、また一つの国が滅んだらしい」
他の天幕より一際大きく設置された作戦会議用の部屋で、ラロードが口火を切る。
「ということは、また多くの難民が……」
プリスが苦しそうな表情でぼやいた。彼女の願いは、自分が受けてきた絶望をこれ以上この世界に広めないことだ。しかし、ヒカゲによってそれはいとも簡単に崩れ去ってしまう。
「それだけじゃない。王都が、俺たちを捕らえると宣言した。これは時間の問題だったがな」
「何かするなら、王都の警備が手薄になっている今は逆にチャンスかもしれないわ」
重い空気を打ち消すように、リーナが提案する。彼女はあくまでも王都側の人間であるが、今は盗賊団と志を同じくした仲間だ。王都の情勢を把握しているリーナはとても心強かった。
「そうだな。何か策を練らなければならない。再びあの夜を繰り返さないためにもな」
ラロードが無表情で卓上に広がった地図に目を落とす。リーナもすまし顔で黙考する。
リーナは対立している王国の隊長だ。故にタテガミの団員との関係は好ましくない。彼女もそのことは重々承知している。騎士団との夜戦から、既に二十日以上が経っていた。
「やっぱり……わたしを諜報員として作戦に組み込むのが、一番現実的なんじゃないかしら」
「……それも考えてはいる。だが、リスクも大きい」
リーナの意見に顔を顰めるラロード。すると座っていたプリスが立ち上がった。
「こうしている間にも、より多くの難民が出てしまっているかもしれません……王都から追われてもいるようですし、どちらにしてもあまり時間がありませんわ」
プリスが胸の前で両手を握りしめながら辛そうな表情を浮かべる。そんなとき、アスカが地図の中心を指で突いた。
「ここが王都? ストーリエだっけ?」
「ああ、そうだが」
「直接行っちゃダメなの? 王都に突入。いや……どっちかっていうと潜入か?」
ぽかんとした表情の一同。アスカは、授業中に妙な回答をしたときの静けさを思い出す。
「確かに、現状のタテガミは絶望的な状況下にある。物資が尽きるまで逃げ続けるわけにもいかないしな……アスカ、何か当てがあるのか」
「あー……一応、考えはあるんだけど」
ぽりぽりと頭をかいたアスカは、腰袋から“とある紙”を取り出し、それを皆に見せつける。
小さく千切れた羊皮紙――ヒカゲの所持していた、グリモアの“欠片”である。
* * *
城下町の街中を行き交う行商人の間をくぐり抜け、ある程度開けた広場に出ると、ラロードは兎車(うしゃ)を停車させた。
「ここで解散だ。明日、定刻通りに作戦を開始する」
アスカ、リーナ、プリスの三人は雑踏したストーリエ城下町を練り歩くことにした。
視界の隅々まで――人、人、人。まだ昼間だというのに、どこもかしこもお祭り騒ぎだった。
人でごった返す広場は、奇妙な技を披露し硬貨を求める道化師や、過去の逸話を語る旅人、見目麗しい婦人に声をかけ始める憲兵など、様々な人間たちが各々の時間を過ごしている。
市場の方まで来てみると、食料や調度品を取扱う行商人たちが道行く貴族たちにごまをすっていたりする。一方では目利きする同業者を引き連れ、更なる金儲けを企む貴族たち。
きな臭さが蔓延りつつも、この町の住人たちはスラム街の人々よりずっと活き活きした表情をしていた。平民の子供が外を縦横無尽に駆け、見回りする憲兵や老人が微笑みながら注意をする。そんな平和な光景だ。
橋の石畳を歩きながら、アスカは側面に見える豪華な噴水を見下ろした。
「まさに大都会って感じだな」
「……綺麗ってだけじゃないわ。市民権を得られない奴隷の人だっている」
橋の下で薄汚れた身なりの男が荷台を運搬していた。小綺麗な衣服の男に鞭を打たれながら怒鳴りつけられている。リーナは悲しそうに表情を歪める。
「……わかってるよ。だから俺たちが世界を変えるんだろ。ヒカゲを正気に戻してさ」
「そうね。わたしたちのヒカゲくんを取り戻しましょう」
リーナは至極真面目な表情でそう言った。すると、アスカがおどけた表情で笑う。
「なんだよ、その“わたしたちのヒカゲくん”ってのは。お前はファンクラブの会員か」
「なっ……ち、違うわよっ……! 現実世界で一緒に遊んでいたヒカゲくんって意味で……」
アスカは堪えきれずに吹き出した。反対にリーナは頬を染めてむくれる。
「あー腹痛ぇ、ホント真面目な奴ってテキトーな返しができねーよな。絶対人生損してるわ」
アスカは眦に浮かぶ水滴を拭いながら笑った。「な、そう思うだろ? プリス」
「えっ、ああ……そうですね……」
空返事のまま、プリスは顎に手を当てて続けた。
「そういえば、リーナさんってアスカくんの名前呼びませんよね」
「……えっ」
リーナが少しうろたえたように、瞳を瞬かせる。
「……あー、確かに。こっち来てからは呼ばれてねーな。なんで?」
「そ、それはっ……」
心臓がドキリと飛び跳ねる。リーナ自身、この妙な気持ちをおかしいとは感じていた。
――何故だろう。
アスカに救われてから、寝る前に考えるのはいつも彼のことばかりだった。アスカの顔や声が脳裏に浮かぶと、リーナはシーツを強く握りしめて頭を空っぽにするように努めた。でも、結局は彼のことが浮かんでしまい、現世に戻ったら自分たちは一体どうなるのだろうとか、柄にも無く二人で一緒に外出したらアスカはどういう顔をするだろうかとか、そういうことを妄想し始めると興奮して寝付けなくなってしまうのだった。
「お、おい……リーナ?」
みるみるうちにリーナの顔が火照っていく。それに気が付いた彼女はパチンと自らの頬を叩いて、正気を取り戻した。
「へ、平気よ平気、……わたしは何もおかしくなんてないわ……大丈夫よ」
「熱でもあんじゃねーの?」
アスカがふざけながらリーナの額に手を当てる仕草をする。
「なっ、ないわよ! 触らないで!」
「触ってねーよ、ばーか。なんだよ、一応心配してやってんのに」
「何が一応よ……心配してくれてるんなら、素直にそう言ってくれれば良いじゃない。そのほうが……こっちだって気持ちいいのに」
「うっせ。気持ちいいとか悪いとかそーいうんじゃない」
アスカはふて腐れたように顔を背けながら言った。その姿がリーナにはなんだか面白く映った。「ふふっ」と思わず吹き出してしまう。
「なんだよ」
「別に? 相変わらずバカな人って思っただけ」
「……ついこの間までめそめそ泣いてたくせに」
「何か言った?」
「なんでもございません」
アスカはしゅびっと表情を真面目なもの戻して、黄昏色になりつつある空模様の城下町を見下ろしながら言った。
「絶対ひっくり返してやろうぜ、この状況。この世界でそれができるのは、俺たちだけだ」
リーナのブルーの瞳に、アスカの汚れた拳が映った。
「……学校でも、それくらい情熱的だったら素敵なのに」
アスカに聞こえないように、リーナはぼやく。
彼女はアスカの隣に立つと、同じように握り拳を作った。そして、二人はそれらを向け合う。
「なんだよ」
「何よ」
ふふんと満足げに笑い合うと、「そういうの似合わない」とお互いに貶し合った。
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