第28話 全部終わったら


「つーかプリスはマジで大丈夫なのか? ミルフもありがとな」


 アスカがミルフの頭を撫でると、ネ族の少女は気持ちよさそうな顔で微笑む。


「ううん! プリスおねーちゃんのためだから!」

「まあっ! なんとお可愛らしい! まるでアスカくんの妹のようですわ!」

「ミルフが俺の妹かぁ……いいなあそれ。ミルフめっちゃ可愛いもんなあ」

「では、私は差し詰め二人のお姉ちゃんというところですわね」

「うわー……それなんか不安だな、キレたら殺されそうだわ……」


 三人が慣れ親しんだ会話を繰り広げる。リーナはその短い会話の中でも、中心にいる人物が漠然とアスカに思えた。なんだかんだと言いつつ、アスカは気さくな性格だ。コミュニティへの適応能力は存外に高いのかも知れない。

 彼がここにやって来るまでの物語が、リーナは少しだけ気になった。


「…………」

「リーナ? どうした?」

「…………耳が」


 いつの間にか、リーナは自分が手を伸ばしていることに気が付いた。それに気が付いたアスカは、裂傷となってしまった自らの左耳を指先で軽く触れた。


「ああ、これ? 痛かったわー。マジ誰のせいなんだろうこれ」

「……ご、ごめんなさい」

「冗談だよ。あんまり気にすんなって。野良猫みたいで可愛いだろ? 今はそれよりこの事態の収束が先だ……。全部終わったらゆっくり話そう、リーナ」


 胸に手を当ててリーナは俯く。


「全部……終わったら」

「そうだよ、話したいことが山ほどあるんだ。……お前だってあるんだろ?」


 ――なんだろう。

 アスカの言葉にいちいちくらっとする。一体、自分はどうしてしまったんだろう。

 彼の声が。顔が。瞳が。自分に向いているというだけで、なんだか顔が熱くなる。

 安心しているのだろうか。元の世界の心強い味方が付いたことに。

 それとも――もしかして……。


「……う、うん」


 リーナは、高鳴る心臓の鼓動を必死に押し隠して、儚い声と共に頷いた。


「……お、おねーちゃんお顔が真っ赤だよ。…………だいじょうぶ?」


 ネ族の少女が、怯えながらもリーナのそばへやってくる。


「……平気よ。ミルフちゃんって言うのね。また会えて……、嬉しい」


 リーナは、近寄ってくるミルフのことをそっと抱きしめた。


「お腹……、また空いたりしていない?」

「ご飯は盗賊団の人たちがくれる。わたしね、おねーちゃんとの約束守ってるよ。えらい?」

「うん……偉い、とっても偉いわ」


 柔らかな温かさを全身で受け止め、リーナはもう二度と道を踏み外さないと誓った。


「――――で、アジトが燃えた原因はなんだったんだ? お前がやったのか?」

「アジトに放火をしたのは、わたしの命令を無視して勝手に動いた新参の部下たちよ。その件に関しては……、本当にごめんなさい。わたしの監督不行き届きだわ」

「なんかさ、お前の部隊ヤバくね? 全然統率取れてねーじゃん」

「ち、違うわ! わたしの部下は良心と正義の心を併せ持った常識人ばかりよ。ただ、出撃前にヒカゲくんに増員だと言われて……わたしが甘かったの。でも、彼らに関してはもう大丈夫。信頼できるうちの副隊長がちゃんと見張ってくれてる」

「……そういえば、ラロードは今どこに?」プリスが不安そうに訊ねる。

「ごめんなさい……わたしはわからないわ」

「だったら、とりあえずアジトへ戻ろう。プリスにちゃんとした治療を受けさせねーと」

「あらまあ! 私はまだまだ大丈夫ですのに」

「ミルフ、俺の背中に乗れ。アジトまでの人力タクシーだ! アドレナリン出まくるわ」


 喜ぶミルフを背中に背負いながら、アスカは瞳に凛と燃えるような焔を灯して言った。

 バカだと思った。だけど、なんだか信じてしまえるような。いや、信じてしまいたくなるような魅力が、アスカにはあった。

 ――あなたは、凄い人なのかもしれないわ。


「ふふ、ミルフちゃんいいですね。私もアスカくんにおぶってもらいたいですわ」

「あ、プリスも乗るか? てゆーか歩ける? 二人をおんぶするくらい余裕だぞ」

「まあ! どうしましょう……冗談でしたのに。なんだか恥ずかしいですわ!」


 アスカとプリスが楽しそうに声を弾ませる。二人のその様子が何故だか気になって、そわそわしながら訊ねる。


「…………その、あれね。二人は随分と仲が良いのね」


 リーナは落ち着かない様子で、瞳をアスカとプリスの間で行ったり来たりさせる。


「そうか……? まあ、でも……仲間だからな」

「ええ、私とアスカくんは数々の苦難を乗り越えてきました! ゲソゲソが蔓延るお風呂場での死闘! アスカくんとミルフちゃんと三人で繰り広げた夜中の布被せ合戦。……私たちは、背中を預け合う戦友なのですわ」

「あ! わたしもまた布被せの戦いやりたい!」

「ああ、アレな……うん。プリスが寝床壊すからもう二度とやらねーよ」


 アスカの表情は青ざめていたが、リーナは何故だかとても苛立たしい気持ちだった。


「……ふうん」

「な、なんだよ……」

「別に……なんでもないけど」

「おい……絶対なんかあんだろ、言えよ」

「……いや。死んでも言わない」

「はあ!? お前は何を言って――」


 困惑状態のアスカを置き去りにして、リーナは駆け出す。

 何をバカなことをやっているんだろうと我ながら思いつつ、ふん、いい気味。とすかっとした爽快感を味わうリーナだった。


「後日、またここで落ち合いましょう」


 揺るんだ頬をそのままに、リーナは早足でかけていく。不思議と気持ちは軽やかだった。



 * * *



 部隊を引き上げたリーナと別れてから、アスカは跡形も無くなったタテガミのアジトを訪れた。アスカにとってここで暮らした日々は長くない。しかしタテガミの団員からすれば、生活の拠点を失ったということだ。見覚えのあった顔が、何人か見当たらなかった。


「…………これで全部だ」


 大きく肥大化した黒い手に、たくさんの人間を掴んだラロードが姿を現した。

 それは――すべて人間の死体だった。肉の塊。

 ラロードは、不思議な黒い手で掴んでいた遺体の塊を地面に向け、そっと握り拳を解く。


「こいつらの死は揺るがない。もう二度と目を覚ますことはない。……皆、こっちへ寄れ」


 ラロードが手招きをした。彼はそのままそっと片膝を地に着けて、遺体に目を落とす。


「お前たちはタテガミの誇りだ。今まで……ありがとう」


 生き残った団員に囲まれながら、死んだ者たちへの弔いを上げる。


「皆、頼む」


 ラロードの一言で、周囲の団員たちが掻き集めた草葉に火を灯す。焼け爛れる肉の匂い。鼻を劈くような異臭が、その場に蔓延った。


「……死んだ者は蘇らない。過程はどうあれ、生命は生きてるか、死んでるか、その二種類でしか無い。俺たちはたまたま今日まで生きてただけだ。明日には死んでるかもしれない。こいつらは、それが今日だったというだけだ」


 アスカの隣へやってきたラロードが、異臭の元へ視線をやりながら続ける。


「俺の言っていることが残酷だと思うか? お前の意思で、言いたいことを言ってみろ」

「…………ちょっと、ひでーかなって思うけど」

「そうだな。プリスからは良くどやされている」

「でも――」


 アスカは、正面から盗賊団の頭領を見据える。


「ラロード、アンタが俺を使えると思ってくれているなら……それが、死んでしまった皆の為になるんだったら……プリスや、ミルフたちの力になれるなら……俺は、精一杯……この団で頑張りたいって思うよ」

「…………そうか。なら共に行こう。……お前には、お前の目的が、あるんだろう?」


 アスカは、自らの血と汗と泥に汚れた手のひらを見つめて、ぎゅっと握った。

 ――生きていかないといけない。死んでしまった皆の分も。

 命からがら生き延びたこのグリモワールで。この世界を創りだしたヒカゲを止められるのは、きっと俺にしかできないことだ。――なら、俺がやらないと。

 ヒカゲを正気に戻し、リーナと一緒に連れて帰るのだ。現実世界へ。


「アスカおにーちゃん」


 ミルフがアスカの服の袖をくいと引っ張る。


「ミルフ……怖い思いさせてゴメンな。俺、必死に頑張るから……もう、嘘は付かないから」

「…………うそ?」


 アスカは自らを偽ることを辞めた。世間体を気にして周囲に流れる為の嘘も、嫌悪感を抱きながらも身体に染みついてしまった呼吸のような嘘も。


「うん。俺、嫌な奴なんだよ。でも……少しずつそれが変われば良いなと思ってさ」


 ますます表情を複雑にさせていくミルフの頭を撫でながら、医療係の処置を受けるプリスにちらりと目を向けて、アスカは思う。


 ――プリス、俺……努力するから。だから見ててくれ。みっとも無く藻掻く俺を。どうしようも無く弱くて、惨めかもしれないけれど。この世界の王様に――友達のヒカゲに……絶対しがみついて見せるから。それで残してやる――あいつの心に響くくらいの大きな傷跡を。


 ――それで全部終わったら、三人で帰るんだ。俺たちの現実へ。

 アスカの中で静かに燃ゆる瞳は、確かな輝きを宿していた。


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