第27話 さまよう正義


 用意された簡易な処刑台にて、リーナは石突きを一度叩いた。

 対面にはやせ細った男が身体中を縛り付けられたまま泣きわめいている。そんな彼を見下ろす形で、高台からはヒカゲが笑みを浮かべていた。


「……一つ、質問をするわ。嘘をつかないほうがあなたの身の為よ」

『裁きの槍』に、微少な紫電が走る。

「孤児院を襲ったのは――あなた?」

「ち、違う、違うんだ……! リーナっ、聞いてくれ。俺は――」

「……もう聞き飽きたわ、そういう嘘は」


 リーナがヒカゲをチラリと一瞥する。王様の唇が、ぐにゃりと曲がった。

 ――――黒。

 この世界の王は、罪深き男にそう判決を下した。『裁きの槍』から迸る紫電はやがて形を変え――それは稲妻の刃となった。


「……これが、この世界の正義なのよ」


 吐き捨てるようにリーナが言った。

 いつしかリーナが求めていた正義。


 それは、いつまでも彼女の胸の中で固く閉ざされたままだ――。



 * * *



「――――俺が、お前を助けてやる」


 薄汚い顔。ぼさぼさの髪も、血の匂いが染みついた衣服も、汚らわしかった。そんな男が、面倒くさがりでやる気の無い流され男が、はっきりした口調で断言した。

 なんだかおかしくて、リーナの口角が少しだけ上がった。その瞬間、リーナの視界が灰色から色鮮やかなものへと変わっていく。

 彼の声が。言葉が。表情が。

 冷たく閉ざされたリーナの独房を、優しく包み込んでくれる。


「ヒカゲをぶん殴って正気に戻して、めんどくせーごたごたを全部解決させてさ――」


 明るい声を作りながら、アスカは拳を固めてポーズを決めた。

 ――そんなことをするキャラじゃないくせに。……ダメ、もう信じないって決めたの。


「みんなで帰ろう。現実世界に」


 ――やめて。そんな優しい声で言わないで。…………泣きそうに、なっちゃうから。


「あ、今ぜってーコイツには出来ないとか失礼なこと思っただろ! 俺は盗賊なんだぜ? グリモアくらいすぐに手に入れて見せるさ」

「……あなたって、本当にバカね」


 それを待っていたかのようにアスカがにやっと笑う。


「……ふん、お前はそういうのでいいんだよ」

「あのぅ……よろしいですか? お話に割り込んでしまっても」


 茂みの向こう側から、プリスがミルフに支えられながら二人の会話に入ってきた。


「プリス! お前大丈夫なのか!?」

「ええ。ミルフちゃんのおかげで。この通り、元気モリモリですわ!」


 無理に表情を緩めるプリス。しかし、その姿はとても痛々しい。


「リーナさんと仰るのですね。アスカくんのご友人なのでしたら……お願いですわ。アスカくんのことを信じてもらえないでしょうか」


 プリスの言葉は、まるで祈りのようだった。


「お二人の間に何があったのか、私にはわかりませんわ。ですが、こうしている間にも、ヒカゲ王の独裁政治に苦しんでいる難民たちがいるんです。小さな子供からご老人まで……生きられたかもしれない命が、失われているかもしれないんです」


 プリスの声に、リーナは思わず背筋が冷たくなった。拳を握りしめて金髪の少女に向き直る。


「……国の行いが悪だって言いたいの? でもそれで救われている人々だっていっぱいいるわ! 貧しい暮らしをしている貧民や奴隷にだって仕事は回っているし、少ないかも知れないけど食事や金銭だって渡っているはず……世界は上手に回ってるじゃない」


「……確かに、ヒカゲ王の行いで救われた人々もたくさんいると思います。でも、それでは私たちは納得できないんです。まだ書き物もできない小さな子供が商品として市場に流されたり、人間としての自由を奪われている現状に」


 プリスは長い睫毛を下に向けて、続けた。


「良い意味でも、悪い意味でも、人はみんな独りよがりです。……私にとっては、今は無きヒロイックの民が宝物で、何よりも一番なんです。ひいき目で見ているかも知れません……いえ、間違いなく見ていますわ。赤い首輪を付けた子供たちは、私たちの国では皆(みな)の子と呼ばれていますから。国民全員で家族なんです」


 プリスの横に引っ付いているミルフの頭に手を置きながら、プリスは続ける。


「国が崩壊していく壮絶な場面をあなたは見たことがありますか? 何もできずヒカゲ王の嗤い声を聞きながら泣いているだけの悔しさを、私は知ってます。最も愛している人々が瓦礫のように簡単に死んでいく悲しみを、私は知っています。だからこそ、あのときの絶望を――やりきれないこの気持ちを……! 私はもうこれ以上この世界の人たちに味わって欲しくない! もうこれ以上悲しい思いをする人々の顔を見たくないんです! 誰もがみんな毎日を幸せに生きてほしい! その為だというなら……なんだってします」


 プリスは胸に手を当てながら、紺碧色の瞳でリーナを見つめた。綺麗な顔からは想像も出来ないほどの迫力に満ちていた。リーナは瞼が痙攣していることに気が付き、表情を髪で隠した。


「エゴっていうのよ、そういうの」

「そうですね。でも、私たちは“悪党”ですから」

「…………」

「……私も最初は迷っていたんです。あなたの言うとおり、エゴだと思った。でも、アスカくんが言ってくれたんです……身勝手でもいいんじゃないかって」


 プリスは慈愛に満ちた笑みを浮かべて、


「一生懸命作り上げたものを壊されたりしたら、誰だってムカつきますわ。その鬱憤を晴らす為に……そして私たちの行く末を少しでも望んでる人々の為に……私は戦っている!」


 瞳を凛とさせて意気込むプリスが、眩しすぎて直視できない。まるで自分とは正反対だった。どれだけ絶望しても彼女は折れることが無かったのだ。

 大切なものを失おうと、持ち続けた信念を今でも研ぎ澄ませている。

 並大抵のことではなかったはずだ。そして、おそらくその手伝いをしたのがアスカだ。見ていればわかる。二人の間には目には見えない絆のようなものがある。きっと自分との薄い繋がりとは違った、お互いの背中を預け合うような関係なのだ。

 自分は……プリスのようなひたむきさを持てていただろうか。

 否――とんでもないことをしでかしてしまったという後悔の念だけが、リーナの胸中にはわだかまっていた。変えることのできない過去。己の信念を誤った解釈で強引にねじ伏せ、強制的に自分を正当化していたのだ。


 ――なんて、浅はかだったんだろう。

 突然、なんとも言えない空しさが込み上げてきた。あれだけ守ってきた自分の正義を、わたしは捨てたんだ。考えることを、悩むことを辞めてしまったんだ。


「リーナ、お前はどうしたいんだ」


 アスカのいつにもなく真摯な言葉に、リーナははっと息を呑んだ。


 ――そうよ、わたしは一体どうしたいの?

 信念があるんでしょう? 目の前の男に正論を突き付けて黙らせ、もう二度と現れないで、と告げるだけでいい。……でも、正論って何? 何を持って正しいと言えるの?


 ――自分で言ったんじゃない。

 王様が正義だって。この世界を創った人間が、何よりも正しいのは当たり前の話よ。


 ――ううん、違う。もう疲れたの。

 正しいとか、間違いとか、本当は良くわからないの。善行を貫いていたつもりだったけど、わたしの物差しで測った正義は、きっと正義なんかじゃなかった。

 ただ押し付けていただけなんだって、わかっちゃったから。だから、勝手に偶像の正義を顔面に貼り付けた。そうすれば迷わないで済むから。傷つかないで済むから。

 それでいいのよね? 生き別れた友達を助けることよりも、君主の命令に従うほうが正しいと、そう思っているんだもの。わたしは正義の槍になったのだから。

 でも、ならどうしてこんなにも胸が落ち着かないのだろう。……わからない、わからないよ。


「…………っ」


 彩り始めていた視界が再び灰色へ戻っていく。しかし、モノトーンな世界の中で何かが見えた。“それ”は、唯一虹色に輝こうと必死にリーナに呼びかけている。

 見てはダメ。きっとそれは辛い道のりだ。また傷つくことになるかも知れない。たくさん悩んで、毎晩泣いてしまう毎日に戻ってしまう。


 弱音なんて吐きたくない。わたしは今のままでいいの。気に入っているの、今の生活が。


 ――――本当?


 素直な光がリーナにそう問いかけたとき――、彼女はようやくそれを見つめることができた。


「……わたしの……正義を振りかざしたところで、きっとなんにもならないわっ」


 瞳から、大粒の涙がぼろぼろと溢れていた。

 顔をくしゃくしゃにして、みっともなく惨めに泣き顔を晒していた。


 でも、不思議と悪い気はしなかった。……見られたくない。でも、見て欲しかった。ありのままの自分を。こうなってしまった自分を。知って欲しかった。一緒に悩んで欲しい。どうしたらいいのか、一緒に考えて欲しい。

 止めどなく涙を流すリーナを見たアスカが、静かに近寄ってくる。


「ほんとに不器用なヤツだよ、お前は」


 泣きべそのリーナの真っ正面に立って、アスカは真っ直ぐな瞳を向けた。


「……たった今考えた俺の持論を言うよ。忘れても良いからテキトーに聞いとけ」


 こほんと咳払いで照れくささを掻き消してから、アスカは口を開いた。


「善悪なんてな、綺麗に白黒決められなくて当然なんだよ。……人間、迷いながら生きてくもんだろ?」


 その言葉を聞いて、リーナの絶対に壊れなかった鉄の檻が弾けて消え去った。

 リーナは、ようやく穏やかに微笑むアスカの表情を見ることができた。

 煤汚れた頬に、ぼさぼさの髪の毛。疲労困憊しているはずなのに、瞳だけが力強く光っている。久しぶりに見た少年は、周囲に流されるばかりの少年では無くなっていた。


 彼の姿が、どんな物語の中のヒーローよりも輝いて見えた。

 ――リーナの求めていた正義は、見つからないのかもしれない。

 でも、それこそが解答になり得るのだ。元より計れるものではないのだから。

 そう思うと、心が軽くなる。今までどれほど重たいものを担いで生きてきたのだろう。

 随分と遠回りをしてきた。そしてこれからも、自分は迷いながら生きていくのだろう。

 ――でも、それでいい。もう、決めた。


「何よ、ちょっとだけ……カッコイイ……じゃないっ」


 止まらない涙を拭いつつ、微笑む。リーナの素直な気持ちだった。


「…………な、なんだよそれ」


 一方のアスカは、うろたえたような表情で焦りながら、視線を反らした。

「何よ、あなた照れてるの? 顔赤くなってるけど? もしかして、恥ずかしかった?」


 悪戯に微笑みながら、リーナが口元を緩める。


「う、うるせーな! そんなわけねーだろ! お前が……急にヘンなこと……言うからっ」

「……ヘンなこと? 自分のセリフに照れたんじゃないの?」

「……お前って、真面目なくせに案外鈍感なんだな」

「えっ? …………あっ、そういうこと!? ……って――うっ、うるさいわね! もう取り消し! 取り消しだから! さっきのは無し!」


 現実世界でのアスカとの些細なやり取りを思い出しながら、リーナはくすくすと微笑んだ。


「……協力、するわ。あなたたちと一緒に頑張るって決めたから」


 リーナの瞳に、覚悟の焔がゆらりと宿った。


「それがわたしの“さまよう正義”よ」


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