第26話 裁きの槍
――後日、リーナは男を無罪だと主張した。主犯格の男を突き出すことも証拠を提示することもせず、男の主張だけを頼りにヒカゲにそう告げたのだ。
もう一度、信じてみたかった。兄を重ねていたのは言うまでも無い。
ヒカゲはリーナに二、三の質問を投げかけたが、それ以降深く訊ねることもせず、男を独房から解放した。ヒカゲの対応に拍子抜けしたリーナだったが、心なしか気持ちは軽かった。正義が真っ当に執り行われたことに安堵していたのだ。
それからしばらく経って、リーナも王都の仕事に慣れた頃だった。城下町の治安維持を任されているリーナの元に、一報が届く。
――ストーリエ城下町で女子供の集団失踪。
報告を受けたリーナは部下を引き連れ、とある施設を訪ねた。そこは、グリモワールに訪れたばかりの頃に出会ったネ族の少女が引き取られた孤児院だった。
鍵はかかっておらず、扉を開けても室内に灯は点って居ない。もぬけの殻となった孤児院に上がり込むと、施設内は途轍もない異臭に包み込まれていた。足を踏み入れると同時に、嗅いだことの無い強烈な悪臭がリーナの嗅覚を襲った。途端に怖じ気づきそうになったリーナだったが、この先に進まなくてはならないという使命感が、無理矢理にでも彼女の歩を進ませる。
もうそこは人の住む場所ではく、野ネズミの住処だった。里親の女性も、盗みはしないと約束したネ族の少女も、黄色い声を上げながら駆け回る子供も誰一人見当たらなかった。
暗闇の中で火を灯し、リーナは一際不快な匂いを撒き散らしている広場に辿り着いた。古めかしい木製の床には、血や嘔吐物、糞尿などが際限なくこびりついていた。
他にも女の長い髪。千切れた衣服の欠片。割れた食器類。食事中だったのだろう。床に散らばった腐敗した物に得体の知れない生物たちが大量に群がっていた。
次第に涙で視界が歪む。悪臭の中で歩行を続けるのも、限界が近かった。そんなとき――崩れた家具の隙間に人の気配を感じた。どうやら押し潰されているらしかった。
リーナは涙を拭って表情を引き締め、被さっている木材を瞬時に退かし――叫んだ。
「平気っ!? 返事をして!!」
しかし、声が返ってくることは無かった。それどころか、彼女の視界の中に入ったのは――、
子供の手だった。
乱暴に切断された小さな手。突然現れた異物を前に、リーナの表情筋はおかしな動作を始めた。すぐに胃液が込み上げてきて、彼女はその場で嘔吐した。もうこれ以上は無理だった。
「なんでっ……どうしてこんなことに……」
――もしかして……これ、あの猫耳の女の子の……!?
一度そう考えてしまうと、そのイメージを払拭することは難しかった。
嘔吐し続けるリーナの隣で、仕事以外では自分から口を利かない七番隊の副隊長が言った。
「……リーナ隊長、あなたは私たちの正義です。それをどうか忘れないで下さい」
「それは……同情しているの?」
口元を拭いながら、リーナが顔色の悪い表情で副隊長を睨み付ける。
「いえ、七番隊の副隊長として自らの責務を果たしているだけです」
そこで突然、リーナの頭を覆い隠すように大きなマントがかかった。
「お顔が汚れています。それでは部下に示しが付きませんよ」
几帳面な顔で、前髪をぴっちり分けた副隊長が抑揚無く言う。
「………………今日は、もう引き上げるわ。後のことお願いできる?」
「当然です。早くお休みになって下さい。リーナ隊長」
それ以降しばらくは何も手に付かなかったが、自分の中の臆病を無理矢理に追いやって、彼女は仕事に没頭した。そしてようやく地域の住人への聞き込みや現場への張り込み、被害に遭った者たちと失踪事件の犯人を捜索することにした。
積もった塵もやがては大きな結論へと至り――リーナはようやく辿り着いた。
一連の事件の元凶は、リーナが逃がしたあの男によるものだったのだ。
再度捕らえることに成功したリーナは、自らの過ち共々罪人に正義の天罰を下すよう、謁見の間にてヒカゲに訴えかけた。リーナの瞳からは既に生気が抜けていて、魂の無い人形だったころの自分に戻ったようだった。それを知ってか知らずか、ヒカゲが唇を歪めて言った。
「……ダメだよリーナ。君が裁きを与えないと」
「裁き……?」
「そうさ。リーナにピッタリじゃないか。僕はこのときを待っていたと言っても良い。君の過ちは、自らを完成形にするための礎に過ぎなかったんだ。だから、今こそ目覚めるべきなんだよ。聞いたことくらいあるだろう? やってみてごらんよ、“創造魔法”を」
創造魔法。脳裏で描いたものを可視化した状態で出現させる不思議な力のことを言うらしい。誰にでも扱える技術では無いというが、ヒカゲはリーナならできると太鼓判を捺した。
己の想像力と創造力を掛け合わせ、それを願掛けのようにすることで創造魔法は創られる。体調や気分を始めとし、本人の確固たる意思や揺るがぬ覚悟、さらにはフィーリングまでもが重要視されるという、全くもって非科学的な魔法だった。
それらを聞いた上でリーナは強く念じてみた。脳裏に浮かんだイメージは、途方も無く広がる白と黒の大地。それらを見下ろすのは禍々しい雷雲である。
やがて、雷鳴を轟かせながらの一閃。地面に突き刺さったのは、一本の槍だった。
雷雲から放り出された槍は、白と黒の大地をばっさりと断絶していた。
そして天から降り注ぐのは――裁きの雷。槍は避雷針のようにそれを受け止め、大地へと放電していく。その光景は、まるで天からの怒りそのものだった。
リーナが創造魔法で創りだした一本の槍は、今にも紫電を迸りそうな棘のようなデザインでありながら、この世のすべての悪を葬り去る気概に満ちあふれていた。
「それはどんな槍なの?」ヒカゲが問いかける。
「これは、この世の善と悪を明確に分け隔てるための槍。この世界で真っ当な正義を執行し、偽りを暴くための……わたしの正義」
「じゃあ『裁きの槍』ってところかな、名前は」
「名前なんて、どうだっていい」
リーナは『裁きの槍』を握ったままヒカゲへと跪いた。
――わたしが、間違っていた。
異世界というこの非現実で、自らの物差しで測った善悪の判断基準など、無いに等しい。
幾ら悩んだところで、それは正義になり得ない。ならば、選ぶべき道はたった一つだ。
“この世界の王であるヒカゲの正義を支えていれば良い”。
世界を統べる王が下す判断が何よりも正しいに決まっている。王が否定したものは絶対悪だ。
ヒカゲに付き従えば自分は永遠の正義を貫き通すことが出来る。
「わたしは……この『裁きの槍』を持って、善悪の判断基準を……王様、あなたに委ねます。わたしは――この国の正義の槍となります」
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