第25話 善悪の判定


「――年端もいかない少年少女や若い女性が中心で、主に城下町に住む平民や貴族を誘拐し、商売道具としており、近隣の住民からも早急に対応してくれといった声が集まっています」


 ヒカゲはカラフルな空模様を眺めつつ、片肘を付きながら口を開く。


「身体なんか売り買いして何が面白いのか僕には良くわからないけど、僕の国民がそれで困ってるっていうなら王様としては叶えてあげるほかないよね……うん、わかったよ。とりあえず独房に放り込んでおいて。結果については追って伝えるから」


 たった今、リーナの目の前では正真正銘の正義が執り行われていた。王による制裁。それはこの世界における最上級の正義であり、悪を滅ぼすための唯一の手段だった。


「不服そうな顔だね、リーナ」

 微妙な表情のリーナをヒカゲは見逃さなかった。

「なんで?」


 心に直接語りかけてくるような、ねっとりとした声色が覆い被さる。思わず寒気が走った。


「王様、この者が七番隊の新たな騎士長ですか?」

 去ろうとしていた騎士がリーナを一瞥する。


「前騎士長は脱退してそのままになってたし、選挙も面倒くさいから彼女でいいかな、って」

「ちょ……ちょっとヒカゲくん! わたし、まだやるだなんて言ってない――!」

「とりあえず初仕事ってことで、その人運んじゃってよ、リーナ」


 リーナの瞳に、人身売買という罪を犯した男の柔らかな表情が映った。彼は一切弁解する素振りを見せなかった。普通ならもっと抵抗しそうなものだが。

 その疲れた笑みは、冤罪を晴らせずにいる被害者のようですらあった。そして、どうしても“彼”の顔が思い浮かんでしまって離れない。リーナに嘘をつき続け、やがて彼女が拒絶することになった最愛の兄。


 リーナは揺れていた。時間が経つ度に己の選んだ道がおぼろげになっていく。

 クラスメイトに自分の『正義』を否定されたとき。賛同を得られなかったとき。そんな些細な出来事でさえ、彼女の信念は大きく揺らいでしまう。

 人間の生きる現実社会に杓子定規の正義がまかり通らないことなど、リーナはとうに気が付いていた。だからこそ彼女は意固地になった正義を全うしていたのだ。それは悪行を犯した兄への抗いだったのかもしれないが、結果的にリーナを苦しめていた。

 目の前の男がもし冤罪であるなら、無実の罪で殺されてしまうのかもしれない。それは彼女の知るところの正義ではない。もし彼が無罪なら、今ならまだ助けられるかもしれない。だが……人の命運を左右するほどの誠実さが、自分にはあるのだろうか。


 罪を犯した兄にかけた言葉でさえ、未だに正しかったかわからずにいるのに。たった一人の妹から向けられた心無い言葉は、兄にどう響いたのだろう。

 もっと話を聞いてあげれば良かった。慣れない施設に収容されて極度の緊張と焦燥感からああいった兄らしくない行動に出てしまったのかもしれない。そんなときこそ妹である自分が支えになって、共に苦難を乗り越えるのが血の通った兄妹のすることではないのか……?

 そうしたら、あんな別れ方をせずに済んだかも知れない。


 ――あのとき……わたしがお兄ちゃんを信じてあげられなかったのが悪いの?

 自問するリーナに、心の中の靄が語りかける。

 あのときの決断が誤りだったというのなら、それを己で証明してみせよ――と。


「――――待って!」


 気が付けばリーナは叫んでいた。


「わたし、彼が犯罪者だと思えない」


 リーナの提案に、ヒカゲは面白そうに笑う。


「へえ、それはなんで……?」

「わたしの正義が……そう言っているのよ」

「じゃあ――」ヒカゲの言葉を遮って、リーナはその先を言った。

「わたし騎士団に入るわ」

「それはウチとしては全然構わないし嬉しいけど、でもどうして?」

「彼の独房での監視をわたしにやらせて。それと……わたしに一つ権限をちょうだい」

「……気になるな。どんな権限?」

「その男の人の善悪を……わたしが判定する」

「つまり……この人の運命をリーナが決めるってわけだね? ……それは面白いね」


 ヒカゲは男の人生などこれっぽっちも考えていない顔で、頬を緩めた。


「その要件で呑もう。よし、じゃあ新しい騎士長様に装備一式あつらえてあげようかな」

「ヒ、ヒカゲ様……!? そんな勝手な……!」


 焦りを始めた騎士が慌てながら発言した。


「ここでは僕がルール。そうでしょ?」


 その一言には、誰も何も返せなかった。



 * * *



 襞付きのスカートを揺らしながら、リーナは独房へと向かっていた。シックな黒のリボンで襟をきちんと整えて、防具には皮の胸当て。淡い桃色の頭髪も相俟って、装いだけならファンタジー世界の住人に自然と溶け込んでいた。

 いくつかある服装の中から赤を選んだのは、一番好きな色だったからだ。昔観た特撮番組で、兄が興奮気味にリーダーのレッドについて語っていたせいだろう。気が付けば自分もテレビの英雄に夢中で、燃えるような正義を掲げる赤いヒーローに憧れていたのだ。


 あの頃はそんな稚拙な理由がすべてだった。世界が狭かった。今は、赤という色を希望というより戒めにしていた。退路を断てば、人は嫌でも前進するものだ。

 彼女の手には槍が握られていた。文武両道を格言とする父方の祖父に、幼子の頃よりなぎなたを習っていたからだ。競技用なぎなたと違い、すべてが金属で構成されていた。柄を握りしめると、己にのしかかった重さを痛感する。言うなれば人の命を預かっているのだ。生かすも殺すも、自分次第。

 すべては――自分の正義のために。リーナの信念はそこ一点のみだった。

 独房の中で座り込んでいた男が足音に気が付き、顔を上げた。


「ダメ……だったんだね」


 言葉を紡げずにいるリーナに、落胆した男は疲れた笑みを浮かべた。


「俺は幸せものさ。こうして君に弁護してもらえるんだからね」

「もう少しだけ……待って」


 ヒカゲから『善悪の判定権限』をもらってから、リーナは独房の男と二人きりで話をした。

 男はリーナだけに無実を主張した。貧しい家庭で、妻子のために破格の報酬が支払われる闇ギルドに出入りしていたのは事実だったが、彼は主犯格でも無ければギルドの一員ですら無かった。何故王座の前で告白しなかったのか――そう問いただすと、男は死ぬつもりだったと語り出した。独裁者の王様であるヒカゲに無罪を主張したところで、証拠が何一つ無い現状が変わるとは思えなかったのだ。それどころか自分の家族にも危険が及ぶかも知れない。そう考え、男は自らの死を覚悟したという。

 それを聞いてからというもの、彼女は城下町を巡って独自に調査を始めた。独房の男からの情報を頼りに、闇ギルドの主犯格を捕らえて吐かせれば、無罪を立証することが出来る。

 それは即ち、リーナ自身が男のことを心から無罪だと認めることができ、彼女の正義も正しかったと証明されることになる。

 だが……、証拠は見つからなかった。


「もう無理だよ。俺は明日死ぬ。無実だろうとなんだろうと、この世界の独裁者様に独房にブチ込められれば、終わったも同然だろう」

「……そんな!」

「信じてくれたことは感謝してる。おかげで俺はこんな狭い独房の中で狂うこと無く今日まで正気で居られた。でも“奴”を捕まえるのも、証拠を入手するのも無理だ。もう時間が無い」


 彼がどれほど虚しい気持ちで毎日を過ごしているのか、想像すらできなかった。情けの言葉すら与えてあげられない。この状況で、自分がしてあげられることといったら……、


「……なあ、俺を本当に信じてくれているならさ――」


 男が真っ直ぐな瞳でリーナを見つめる。


「君、俺をここから出してくれないか――?」


 言われてドキリとした。波打つ胸の鼓動が鮮明になっていく。


「ダ、ダメよ……確かにわたしはあなたに判定を下すことになってる。そこに証拠があろうと無かろうと、関係無い。でも、それじゃあわたしが納得できないわ」

「無実の人間が死ぬかもしれないっていうのに、君は見捨てるっていうのか? この世界に法も何もあったもんじゃないだろう。意固地ほど害悪なものは無いと俺は思うよ」


 男の言い分は最もだった。彼にリーナの私情は関係無い。謂わば彼女の正義に彼は命を賭けて付き合わされているのである。


「……頼むよ。俺も最初は死ぬつもりだった。でも、ここで君に真実を打ち明けてから、妻や子の姿が思い浮かんで消えないんだ。それを思い出させてくれたのは……君だろう?」

「…………」

「頼むよ、信じてくれ」


 男は懇願するように言い続けた。頭を地面に擦りつけて、自分が無実であることを訴え続けた。もし束縛から解放されたなら、裏の仕事には一切手を染めず貧しくとも家族皆で明るく暮らすという夢を、彼はリーナに語って聞かせた。

 果たしてそれは、悪魔の囁きだったのか善人の悲痛の叫びだったのか……。


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