第21話 決意


 逃亡するアスカを追いかけて、リーナが足を踏み出す。だが――、


「赤髪の女騎士……確か、リーナとか言ったか」


 リーナの前に立ちはだかるラロードが、空中に黒い手のひらを出現させる。


「……中途半端な覚悟というのは、思っている以上に害になるぞ?」

「何が言いたいの……? 黙りなさい!」


 リーナが前傾姿勢のまま疾風の如く槍を繰り出す。

 ラロードの黒い手のひらは、突き出された刃を瞬時に捕らえて握りしめた。――しかし、掴んでいた槍は幻影の様に消えていた。気が付けば、走り去っていくリーナの後ろ姿。

 ニヒルな笑みを浮かべながらラロードが言った。


「俺好みの策だ。良い腕をしている」


 そんなラロードの目の前には、リーナの部下である騎士団たちが並んでいた。


「あなたのお相手は、わたしたちです」

「どうやら……追いかけさせてはくれないらしいな」


 ラロードの黒い手のひらが、ゆらりと揺れた。



 * * *



 鋼の槍や剣が人肉を貫き、耳を塞ぎたくなる程の異音がアスカの元へと届く。真紅色の血と、大の男たちの悲鳴が空を覆った。その光景を目にしないよう、アスカは俯きながら夜の森を抜ける。だが、辺り一面に蔓延る血の匂いに酔って、突然吐き気がやって来る。


「うぇ……おぇええ」

「アスカおにーちゃん……だいじょうぶ?」


 背負われるミルフが、心配そうに声をかける。


「あ、ああ……平気。ミルフは大人しくしててくれ」


 ミルフはこくりと頷いて、それ以上は口を開かなかった。そんなとき――、


「まあ、アスカくん! ミルフちゃん!」


 雑木林の向こう側からプリスがひょっこりと姿を現した。


「私、たった今お仕事から戻ったところなのですが、一体何があったのでしょうか?」

「……ミルフを連れて逃げろってラロードに言われた。アイツは今……騎士団と戦ってる」

「まあ! では今すぐラロードを救出に行かなくては!」

「そんなの無理に決まってるだろ!」


 正直に言えば、逃げたかった。誰も彼もを捨て、ずっとずっと遠くまで。だが、今この悲惨な状況を持ち運んだのがアスカだとすると、彼はそれ以上は後ろへ下がれなかった。タテガミにとって自分は不利益な存在でしかないのだ。急に頭に血が上ったせいか、目眩がする。

 アスカは体勢を崩し、足下に転がっていた“何か”を蹴飛ばした。

 若い青年の遺体だった。無残なその姿は、白目でアスカを睨んでいるように思えた。


「うわぁ! クソッ! もう嫌だ! なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけねーんだよ!」


 遺体となった若者にも家族は居ただろう。それなのに、クソの役にも立ちやしない無価値な自分を求めて死んでしまった。

 胸が痛む。もどかしくて、泣きそうになる。身も心も弱い自分。この世界で価値が皆無な自分。そのすべてが憎くて、恨めしかった。苛ついた。なりふり構わず叫びたかった。

 そんなとき、茂みに隠れていた一人の弓兵が、弩(クロスボウ)を構えたのをアスカは見た。その表情から、確実に自分の命を摘み取ろうとしているのがわかる。だというのに、たった今殺されようというのに、身体が石のように動かない。

 ――尖った鏃(やじり)が鈍く光る。


「アスカくん! 危ないっ!!」


 アスカはプリスに身体を押し飛ばされ――地面に転倒した。脳が揺さぶられ、頭が回らない。アスカはなんとか顔を上げ、次第に鮮明になっていく視界の中で――目撃する。


「プリ、ス……ッ……!!」


 それは、矢に射貫かれたプリスの姿だった。腹部から赤黒い血液を吹き出して、プリスが崩れ落ちる。石のようだったアスカの足が、ようやく動き出す。

 天真爛漫で、明るく元気なタテガミのムードメーカー。そして亡国の元王女。そんな彼女がアスカを庇った。アスカは死にもの狂いでプリスとミルフを抱え、弓兵の死角へと隠れる。

 腕の中には、自分と年の変わらない少女。何故彼女はこんなにも強く居られるのだろうか。


「……アスカくん…………平気……ですか……?」

「プリス! 今、助けを――」


 きょろきょろと辺りを見渡す。こんなときでさえ、求める姿は他人だった。そのとき、過去の記憶がフラッシュバックした。

 アスカは幼い頃に一度死にかけたことがあった。ボール遊びで道路に飛び出したとき、車に轢かれかけたところを母親に庇われたのだ。

 たった今、プリスが取った行動が母親と重ならなければ、思い出すことだって無かっただろう。……子供のころと、何も変わっていない。


 ――俺は、いつまで甘えて生きているんだ?


「へ、平気ですわ……私っ……強いですから。それに……私には……やらなければいけないことがあるんです。例え私が死んだとしても……絶対に成し遂げなければいけないことが!」


 プリスの真っ白で傷だらけの手を――アスカは握った。


「…………ヒカゲ王を止めるのか?」

「ええ……いえ、私は、迷っているのかもしれません」

「どーいうことだ?」

「この世界には、ヒカゲ王を崇拝する方々がいます。それは……人が生まれながらに持っている“自由という権利”を諦めてしまった人々です。心のどこかでは変革を望んでいるかもしれません。ですが、ヒカゲ王を恐れ、理性でそれを抑制してしまっている。現状を変えようと奮闘する私たちのような存在を、疎ましく思っているかもしれないのです」


 握っている手のひらに、ぎゅっと力が入る。


「ヒカゲ王によって、この世界で生きていられる人々がいるのもまた事実です。貴族や平民が奴隷に仕事を回さなければ、彼らは生きてはいけない。王がいないと、この世界はダメになってしまうんです。……ですから、私たちがしようとしていることが、ヒカゲ王のように独りよがりなことだと思ってしまうことがあって…………そう思うと……私は……私はっ!!」


 致命傷を負っていることなど気にも止めない様子で、プリスは感情を爆発させる。

 自分と殆ど同い年の女の子が、世界のために戦っている。そんな使命を帯びた人が、自らを犠牲にしてアスカの命を守ってくれたのだ。


 ――俺は……プリスのために一体何ができる?


 きっと彼女のようにはできない。俺は世界の役には立たない。ゲームの主人公にはなれない。だけど、この世界を創ったヒカゲに対してなら――できることがある筈だ。


「……良いじゃねーか、身勝手でも」


 考えるよりも先に、言葉が出る。


「いくら王様だからって、独断で国を潰すなんておかしなことだろ、何が唯一無二国制度だよ……要はあれだ、ヒカゲを改心させて皆幸せにしちまえばいいだけの話だろ? きっと俺たちが成し遂げることを望んで居る奴らだっているはずだ。お前の亡国の人たちだってそうだろ? とりあえずはそいつらのために頑張ろうよ、プリス」


 ――俺はもう守られるだけの赤ん坊じゃない。今度は俺が誰かを守らなくちゃいけないんだ。


「……決めたよ、プリス。俺も一緒に戦う」


 アスカは瞳を閉じて――真っ暗な視界の中で“とある物”を探した。それはアスカにだけしか扱えない、魔法の武器。性根のねじ曲がった、彼らしい――暗黒色の短剣。

 仕舞いこんだ棚の奥から“引き出す”ような感覚だった。中にはまだ武器が一つしか入っていない。だからこそ、迷うこと無くアスカはそれとめぐり逢うことができた。

 脳裏の中でそれを掴み取って、一度想い描いたものを、反復(リピート)する――!

 瞳を開いたときには、既にアスカの右手に小さな黒の刃が握られていた。


「……プリス、助けてくれてありがとう。今度は、俺が君を守るよ」


 少年は――ようやく盗賊団の一員として戦うことを決意したのだった。



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