第20話 惨めで頼りないその足は


 決断も出来ないまま、数日が経過した。仕事に出かけるラロードやプリスたちを見送り、アスカは留守番をするミルフや炊事担当の団員たちと多くの時間を過ごした。だが、そろそろ限界が近づいていることくらいわかる。

 盗賊団の一員として王国転覆を狙うか――ここを出て行くか。

 アスカに対する団員たちの態度は露骨だった。すれ違うとき、ふとした瞬間にアスカは居心地の悪さを感じた。それでも、独りぼっちで居るよりはずっと良かった。

 アジトでは特にすることが無かった。初め家事担当の団員の手伝いをしていたが、服一つ綺麗にたためなかったし、炊事洗濯も上手に出来なかった。本当に図々しくて……惨めだった。

 誰も、何も言ってこなかった。するとアスカは余計に罪悪感にさいなまれた。しかし――それでも、少年はそれに縋るほか無かったのだ。

 消え失せろと後ろ指を指されている――現在でさえ。



 * * *



 盗賊団の倉庫というものがあるらしい。街の貴族からくすねたという宝が、そこには管理されているという。あまりにも暇だったアスカは、ラロードたちが仕事へ出かけたときに足を運ぶと、監視役の団員が何やら立ち話をしていた。耳を顰めて、彼らの声に耳を傾ける。


「タダ飯食らいのアスカ、さっさと出て行ってくれねえかな」

「しょうがねえだろ。我らがプリス嬢のお気に入りなんだから」

「あの人もどうかしてるよな。食料も水も一日の配給量の半分以上をクソの役にも立ちゃしないガキにやってるんだから。おかげでお嬢は毎晩腹を鳴かせてる」

「タダとでも思ってるのかねえ。おめでたい奴だぜ」


 タテガミでは、毎朝水袋と食料袋一つずつ配給される。当然アスカはプリスから渡されるものを受け取っていた。自分は招かれた客なのだと、何故だかそのように思ってしまっていた。

 だが、そんなわけが無い。アスカは、プリスに生かされていただけだった。


 ――――その夜、アスカは小部屋で身支度を整えていた。

 着心地の良い服の上から、青の外套でばさりと身を包み、壁に立て掛けてあった背嚢を一瞥する。これがタテガミでの最期のタダ飯になる。ぐっと持ち上げて、肩にかける。中には、数日間一人で生きていけるほどの水袋と食料が詰められていた。

 部屋を出ようとして踏み止まる。踵を返し、今夜眠るはずだったベッドの前に立つ。

 そこには薄布を大事そうに抱きかかえながら、可愛らしい寝息を立てるミルフの姿。アスカはふっくらした頬に、そっと触れた。


「短い間だったけど、楽しかったよ。…………あと、ゴメンな。助けられなくて」


 あのとき胸を張って巨漢からミルフを守っていたら……、何か変わっただろうか?


「幸せに…………なれたらいいな。お互いに」


 ミルフの小さな顔の横に置かれた携帯電話には、変顔のアスカと笑顔のミルフが写っていた。

 いつかは選択しなくてはいけないことだった。少し早く後ろ盾が無くなっただけだ。

 アスカは、タテガミのアジトから抜け出した。今まで食料と水を恵んでくれていたプリスにさえ何も残さなかった。感謝の思いも、謝罪の言葉も。何一つ。

 後ろめたい気持ちは拭えない。だが、これで無関係だ。このままどこかの村で自分にもできそうな仕事を探しつつ、ヒカゲの情報を集める。そしてタテガミとは違う方法で、世界を変革させる――そんなことを、ふと想い描いてみる。

 ――バカか俺は。何が世界だ。何がヒカゲ王だ。


「クッソ!! どーしろってんだよッ!!」


 怒りのままに樹木を殴りつける。拳の表面の皮が破けて、血が滲む。

 真っ暗な空一面に瞬く星屑を見上げる。幾つもの流星が、アスカへ降り注いだ。

 行き詰まりを感じていた。この世界での自分自身に。瞳にじんわりと涙が溜まる。こんなときに泣いている場合では無いというのに。

 しばらくすると、見晴らしの良い丘に出た。辺りは深緑の森林に囲まれており、周囲を見渡すことが出来る。休憩も兼ね、アスカは背嚢を背中から降ろした。

 暗闇の中、遠くから聞こえる遠吠えに身体を強張らせ耳を澄ますと、硬質な音が聞こえた。

 ……鎧が擦れる音? 目を懲らすと、星明かりに照らされた白銀色の光がきらりと反射した。

 ――騎士団! 恐らく数日前の奴らである。アスカに致死性の毒を与え、タテガミたちと対立していた連中だ。アスカは、考える暇もなく踵を返した。しかし――、


「…………逃げるのか?」


 アスカの目の前で仁王立ちしていたのは、ラロードだった。


「探索系の創造魔法を使える奴がいるんだろうな。ネタは大毒鷲の毒の匂いってところか」

「悪いけど、アンタたちの力にはなれないよ……俺」

「これからお前は何をする気だ。考えていないだろう?」


 ラロードはそのままアスカの瞳を真っ直ぐ見据える。


「お前はこの世界の人間ではないな」

「……なんで、そうなるんだよ」

「お前という存在に……俺は“違和感”を覚える」


 アスカはまだグリモワールが羊皮紙色の空間だったときのことを思い出した。あの『無』の空間での自分たちは、世界にとって『異物』である気がしてならなかった。ラロードも、アスカにそれと似たものを感じているのかも知れない。


「この世界で生きている連中はお前のように生ぬるくない。さぞ平穏な場所だったのだろうな、ニホンとやらは。お前はこのグリモワールで生まれ育っていない。それどころか、俺たちの出生の秘密さえ知っているんだろう? ……お前はヒカゲ王と特別な関わりがある。違うか?」


 ラロードは鼻先を人差し指で軽く擦る。その向こうの闇色の瞳に、星々の光が反射した。


「俺たちには過去が無い」


 そして、ラロードが突然語り出す。


「この世に生を受けた感触は確かにある。だが、それ以前の記憶が不確かだ。幼少の頃に何をしていたのか。生みの親は誰なのか、そのすべてが曖昧で……何者かの意思によって都合良く辻褄を合わせられたような……まるで他人の作ったシナリオを聞かされているようだ」


 虚空を見つめながら、ラロードがぼやく。その瞳が、どこと無く物悲しげに見えた。


「反論は無し、か。これで明らかだな。お前はヒカゲ王と直接的な関わりがある。そしてこの世界の真実を知っている。……ますます手放したく無くなった」

「…………何を、言ってるんだか」


 吐き捨てるように言う。我ながら往生際が悪い。諦めの良さは天下一品だというのに。

 そんなとき、闇夜に突然悲鳴が響き渡る。声の方を振り向いたアスカとラロードの前に現れたのは、月夜に白く輝く鎧を身に纏った一人の騎士だった。


「おっと、動くなよ。このガキがどうなっても知らないぜ」

「アスカ、おにーちゃん……」

「ミルフ……! なんでお前!」


 ミルフの首筋に銀色の刃が光る。王都に売られそうになったときと同じ瞳で、ミルフがこちらを見つめてくる。アジトを出立したときにアスカの跡を付けて来ていたようだ。


「……何が目的だ」


 ラロードが静かに訊ねる。その声に、静かな怒りを感じる。


「取引だ。アスカという子供を寄越せ」


 アスカが困惑する。


「な、なんで……」

「ヒカゲ王が、欲しいとおっしゃるものでね」


 ――ヒカゲが……? 俺を欲しいだって?


「約束しよう。アスカを差し出せば、ネ族の子供は無傷で返してやる」

「団員は一人とて失うわけにはいかない。タテガミにとって最も気高き財産だ」

「それはわたしたち騎士団との対立を意味するわけだけど、そういう理解でいいのかしら」


 暗がりから凛とした声が聞こえた。


「……リーナ、お前!」


 現れたリーナは、ミルフを人質に取る部下を睨み付ける。


「その子を離しなさい」

「お言葉ですが隊長さん、王様の命に従うのならば――」

「いいから離しなさいっ!」


 禍々しい槍を地面に突き立てて叫ぶリーナ。舌打ちをした部下がミルフを手放すと、彼女はそそくさとアスカの背中に隠れる。


「リーナ……お前、本当に王都の騎士になったのか」


 アスカの言葉に、リーナは少しも表情を変えない。視線さえ合わせようとしない。


「……あれ、おねーちゃん?」


 怯えた表情のミルフが、リーナのことを見つめながら言った。


「ミルフ、リーナのこと知ってるのか?」


 そのとき、同時に激しい爆発音が響いた。立ち上がる硝煙は、アジトのほうだった。


「……アスカ、創造魔法はできるな」


 ラロードがこきこきと手首を鳴らしながら言った。


「今ミルフを守れるのはお前だけだ……行け」


 次の瞬間、アスカはミルフを抱えて駆け出した。突然戦地に放り出されたような気分だった。

 しかし、惨めで頼りないその足は、一度は見捨てた少女のために戦おうとしていた。


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