第15話 二つの勢力
「なるほど――ではあなた方は既に知人同士であったと」
人目に付かない路地裏で、アスカは金髪美少女のプリスに今までの経緯を説明した。
「それだけにわかりません。どうしてミルフちゃんを助けようとしなかったのですか?」
プリスの鋭い視線が、アスカに突き刺さる。懐疑的な表情が彼女の表面に浮かんでいた。
「……助けようとしたさ。タイミングを窺ってたんだ。そしたらアンタが飛んできたんだろ」
「あぁっ、そうだったのですね! そ、それは申し訳ないことをしました」
当然のように嘘をつく。過酷な現世(リアル)を生きていくために身についたアスカの得意技だった。プリスがやって来なければ、ミルフはあのまま人身売買の商品となっていた。当然アスカはそれを見捨てるつもりだった。だが、終わった後でならなんとでも言える。
心の内に潜んだ自分の嫌な部分が、少しだけ顔を出す。こんな自分がアスカは嫌いだった。
「そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでした!」
「ああ、俺は……アスカって言うんだけど」
「ではアスカくん! それにミルフちゃん! あなた方を私の友人として、鬣猫盗賊団(たてがみねことうぞくだん)にご招待致しますわ!」
「は……? 盗賊……? え?」
「そうです! この世界を正す、素敵な盗賊団ですわ!」
プリスはにこにこと愛らしい笑顔を浮かべて、アスカと握手をした。
* * *
「…………ま、迷ってしまいましたわ」
「え、何、方向音痴? だから仲間ともはぐれてたのか」
女神の石像の掲げられたこの質素な広場に、アスカたちは既に三回ほど辿り着いていた。
「平気ですわ! 私に付いてくれば間違いなくアジトに到着します!」
「うん。絶対に着かない気がしてきたぞ」
「まあ! 失礼しちゃいますわ! 私のことを信じていなくって?」
「さっき出会ったばっかだ! 流石に信じてねーよ!」
「うむむぅ……そうですかあ」
長い睫毛を瞬かせて顎に手をやるプリス。そんな彼女の青い瞳が次に捕らえたのは――、
「だ、大丈夫ですか?」
プリスが目の前で突然倒れた子供に駆けよる。
数日間このスラム街で過ごしただけのアスカにもわかる。これは罠だ。倒れた子供はおそらく囮だろう。気を取られている隙に盗まれる。スリの常套手段だ。
「プリス、後ろっ!」
プリスが子供に手を差し伸べたと同時に、彼女の腰袋がどこからともなく伸びた手によって引き千切られる。盗みを働いた仲間がにたにた笑みを浮かべながら走り去って行く。
しかし、彼女は振り返ることどころか倒れた子供を案じ続けた。
「栄養失調でしょうか……でも、今は何も食べ物を持っていないんです……ごめんなさい」
プリスは苦しそうに唇を噛みしめて、小さな声でそう言った。そして彼女は少年の頭を優しく撫でてから、急に耳元でパン! と手を叩いた。
「はいっ、起きてください! いつまでも甘えていてはダメですよ。ここにお住まいの方々は強く生きられる人たちだと聞いています。お友達もきっと待っていますよ」
突然の音に困惑した子供は、狸寝入りを見透かされていたことに気が付き、笑顔のプリスを一瞥すると、そそくさと逃げ去って行く。
「気付いてたのか。だったら、なんでわざわざこんなことを」
「あの子たちに罪はありません。ここで生きる為に必死でしょうから。本当に……悪いのは」
「アスカおにーちゃん、プリスおねーちゃん。なんか……あっちでさわいでるよ」
ミルフの声に耳を澄ませてみると、近場で喧噪の声が上がっていた。
「もしかしたら私のお仲間かもしれません! 行ってみましょう」
「あ、おいっ……プリス、待てって! ……ああ、クソっ。台風みたいな奴だな……」
アスカは舌打ちをしながら、プリスの後を追った。
* * *
アスカの視界に映るのは、目にも留まらぬ速さで宙を駆ける焔の弾丸や氷柱。盗賊らしい装いの人たちが、それを空中で物理的に打ち落としたり、相殺し合っている。
「な、なんだ……こりゃ、魔法対戦かよ……少年漫画じゃねーんだから」
「アスカおにーちゃんは“まほう”使えないの?」
「使えねーよ!」
アスカが叫んだとき、視界の中で金髪が煌びやかに靡く。プリスが大きく跳躍し――飛んできた氷柱の塊を大地に叩きつけた瞬間だった。
「ラロード、加勢しますわっ!」と自信満々の笑みでプリスが戦場のただ中で叫ぶ。
ラロードと呼ばれた男は、片手でプリスを制止させる。
「下がってろ、プリス」
「なっ……! どうしてです、ラロード!」
「お前が暴れるとこの辺に被害が出るからだ」
「出ません! 手加減しますわ!」
「…………ダメだ。誰か、抑えとけ」
「何故ですラロード! ああっ、嫌です離してくださいっ! いやぁぁぁ!」
プリスが周囲の仲間たちに押さえ込まれ、悲鳴と抗議の声を上げる。
「なんなんだアイツは……盗賊団でもあんな感じなのか」
アスカが呆れ顔でプリスを眺めていると、ラロードと呼ばれた男が視界に入った。
まだ若い。しかし、その表情には数々の死線を潜ってきたであろう威厳と風格があった。
威圧的な雰囲気に反して全体的に整った顔立ちで、特徴的な泣きぼくろが右目の下にある。黒一色の髪は軽く跳ねていて、くたびれた革のコートを羽織っていた。
そんなみすぼらしい身なりの一団と対峙するのは、小綺麗な鎧を纏った軍団だった。その中で、一際着飾った子供が前に出た。
「あなたたちの魂胆はわかってるんです。ですから、大人しく引き返してください」
「大人しくしてろ、か。スラム街の人間に自由は無いと言いたいのか」
「ボクたちはあなた方に労働を提供し、対価も払っています。一体何が不満なのですか」
「全部不満だ。何故お前らに仕事を与えられなければならない。何故俺たちは虐げられる立場にある。この世界にそんな決まりは無い」
ラロードの言葉には圧倒的な自信があった。自分の力を信じて疑わない。口にすれば本当に実現しそうな、そんな不思議な魔力を感じた。
ラロードはゆっくりと歩を進めると、ぶかぶかのフードで表情を隠した子供に告げる。
「ストーリエの宮廷騎士様なんだろう? だったら、手合わせ願いたいものだな」
「残念ですが、王様の側近であるボクが戦闘に参加することはありません。なので、今日はあなたと“彼女”の立会人としてやってきました」
小さな背丈の子供が偉そうな口調で言ってから、身体を避ける。ラロードが戦闘の意思を露わにしたその瞬間、アスカの瞳に信じられない光景が映った。
「止まりなさい」
聞き覚えのある、凛とした声が響く。
赤を基調とした襞付きのスカートに、胸当て程度の軽鎧。長いストレートヘアは薄いコーラルピンク。その身に見合わぬ紫色の厳つい槍を手に、彼女は群衆の中から姿を現した。
「……一つ、質問をするわ。痛い目に遭いたくないなら、嘘はつかないことね」
冷たく言い放って、赤髪の女騎士は槍の石突きを地に叩きつけた。
「あなたは……罪を犯したのかしら。正直に答えて」
アスカの胸中に温かな何かが入り込んできた。現世では相容れないことも多かったが、今となってはそんなことはどうでも良い。アスカはすぐに戦場へ飛び出した。
「……リーナ!」
顔の表情が一気に崩れる。アスカは腹の底から叫んだ。嬉しかった。目頭が熱くなって、瞳の奥が揺れる。今にも泣き出してしまいそうだった。
品行方正で容姿端麗。目の前の少女は紛れもなく彼の知るクラス委員長のリーナだった。
リーナも絶対に喜んでくれるだろう。もしかしたら泣きながら抱きついてくるかも知れない。そうなったら、受け止めてやらないといけない。一緒に抱き合って、喜びを分かち合うのだ。
だがしかし――リーナの反応は違った。
彼女は戸惑った顔でアスカから視線を背け、言った。
「……この人間を王の下へ連れて行きなさい!」背後の兵士たちに怒鳴りつける。
「おい、リーナ……お前何言って――」
王の側近だという子供が顔を傾ける。
「リーナさん……お知り合いなのですか?」
「……知りません。ロズウェル様」
「おい、ふざけてる場合じゃねーぞリーナ! 早くヒカゲを探して現実に戻らねーと!」
アスカの言葉に、側近の子供が反応する。
「…………ヒカゲ、ですって?」
「もしかしてお前、ヒカゲのこと知ってるのか? だったら俺をアイツのところに連れてってくれ。大事な……友達なんだ。ほら、リーナも一緒に――」
「…………会わせろ? ハハッ……ハハッ」
突然ロズウェルが肩を揺らし始める。そして――、
「敬称も付けずに王様の名を呼ぶとは何事ですか。下等な奴隷風情が王に面会を希望するだなんて、何事ですか。……というか、王様の名前を知っているだなんて、何事ですか。“本当に、あなたは何を言っているんですか”」
ロズウェルは誰に聞かせるでもなくぶつぶつとぼやき続けた。そして、自らの小さな親指に噛みついた。大量の血が吹き出る。
「お前っ……! 何してんだ!」
「許せない……許せない……許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない」
定まらない視点のまま、ロズウェルは血だらけの指で口笛を吹く。
「あなたが何者かなんて知りませんが、“ただ、死んでください”」
「ロズウェル様っ!」
リーナの叫びと共に、上空の空間が歪んだ。それが少しずつ巨大化していく。そして次の瞬間――その中から出てきた黒い塊がもの凄い速さで急落下してきた。
「な、なんだよあれっ……!!」
影は、アスカたちが居た狭い路上に強引に突っ込んできた。建物の破片が飛び散り、砂煙が舞い上がる。ほんの一瞬の出来事で、状況の把握もできなかった。
次に瞼を開けたとき、アスカは空を浮遊していた。
「アスカくんっ!」
地上からプリスの叫び声が聞こえる。同時に、両肩と脇腹に激痛が走った。
「い、痛えッ!!」
「あまり暴れない方がいいですよ。大毒鷲(ポイズングル)のかぎ爪には強力な毒素が含まれています。数センチの引っ掻き傷で簡単に獲物を亡き者にすることができますから」
「なっ……えっ? …………ど、毒!?」
ロズウェルは異形の猛禽類に跨がりながら、かぎ爪に捕らえられたアスカに告げる。アスカの素肌には、湾曲した赤黒い爪が突き刺さっていた。
現世で実物の大鷲など見たことも無かったアスカだが、一目見ればわかる。この世界に存在する怪物に他ならないのだということを。黒紫色をした大きな翼は、アスカとロズウェルを簡単に包み込める程の翼幅がある。
「…………冗談じゃ、……ねーって、ば……」
身体が熱い。目眩がする。意識が朦朧としてくる。生命力が、少しずつ削れていく。
アスカとロズウェルを運ぶ大毒鷲は、盗賊団と自警団の喧噪のただ中へ舞い降りた。片足で捕らえたアスカを見せつけるような形のまま、ロズウェルがラロードに言い放った。
「タテガミのラロード。ボクは急用が出来ました。あなたの拘束は、またの機会に」
「お前らがこのまま大人しく消えてくれるというなら、嬉しい限りだ」
ラロードは捕らわれたアスカを一瞥してから、表情を変えずに吐き捨てる。
「……アスカくん!!」
彼らを後方から眺めていたプリスが、悲鳴を上げる。
「なんだ、知り合いなのか?」
「ええ! ラロード、あの方を助けましょう。私の恩人なのです!」
「なんだと? また余計なことに首を突っ込んでいるんじゃないのか、プリスお前は――」
「あぁーもう、詳しいことはアジトでお話ししますわ! それより彼の救出が最優先です!」
「ダメだ。どのみちアイツは助からない。大毒鷲の毒を受けて生きていられる人間はいない」
「そんなっ!!」
叫び声を上げるプリスの元に――小さな足音。
「プリスおねーちゃん! アスカおにーちゃんが、アスカおにーちゃんが!」
「ミルフちゃんっ! ここは危険ですから、私の後ろに」
能面顔のラロードも、流石に困惑の色を浮かべる。
「……なんだ、一体何がどうなってる」
「ラロード、アスカくんを助けますわ。すべてはそれからです!」
「…………俺が考えている以上に面倒なことになってるらしいな」
ラロードはプリスにしがみつくミルフと、瀕死状態にあるアスカとの間で、溜息をつきながら頭を抱えた。
「……わかった。あいつを回収してアジトに帰還する」
「ラロード! ありがとうございますっ!」
「いいか、先手は俺が打つ。大毒鷲の爪には十分注意しろ。最低限の間合いは絶対だ。危険を感じたら即退避すること、いいか、無理はするな」
ラロードはすぐさま跳躍した。宙で手のひらを鳴らし、目標に鋭い眼差しを注ぐ――。
一方のロズウェルは、にやりと口角が上がるのを抑えられずにいた。――しかし、
「悪いな。お前とやる気は無い」
ロズウェルが眉を顰めると同時に、ラロードが右手を振りかざす。すると、突然宙に現れた暗黒の手のひらがこちらに急接近。気を取られているうちに――側面から衝撃。
「くっ……!」
「申し訳ありません! ですが、アスカくんを返してくださいっ!」
ロズウェルが吹き飛ぶ。とても少女の拳とは思えぬ強力な鉄拳だった。
「ロズウェル様っ!」と叫んだリーナが、飛んできたロズウェルの小さな身体を受け止める。
「大丈夫ですか……?」
「ええ、ありがとうございます。……少しだけ目眩がしますが」
リーナに身体を支えてもらいながら、霞む視界の中でラロードの声を聞いた。
「どうやらこちらも立て込んでいるらしくてな。悪いが……こいつはもらっていく」
闇色の髪の男と、人一人掴めるほどに肥大化した漆黒の手がロズウェルの目に映る。宙に浮き上がるその手には根元が無い。それ単体でアスカの身体を丸ごと握りしめていた。
「容赦がないですね。この容姿だと、大抵の方は舐めてかかってくるんですが」
「どんな相手だろうと、手を抜かないだけだ。勝率の高い戦法で挑むのは当然だろう?」
「ならば、殺せばいいでしょう」
「状況が良ければ無論そうする。だが、こちらにも負傷者が多い。赤髪の女騎士もやっかいそうだしな。圧倒的有利な状況下でかつ最善の策と信頼できる仲間を使い、無傷で勝てるくらいの勝算で無いと、殺しはやらない」
「……喰えない人ですね」
「それはお互い様だろう」
そう告げて立ち去る盗賊団。残されたロズウェルは怪しげな笑みを浮かべた。
「リーナ、あとでお話があります」
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