第10話 星降る夜に
グリモワールを訪れて、既に二週間が経過していた。異世界生活にも慣れ始めた三人の少年少女は、夜景が綺麗に見える丘へとやって来ていた。
暗闇の空に浮かぶのは幾重にもたなびく虹色の極光。それを取り巻くように流星たちが瞬いている。そんな絶景を仰ぎ見ながら、ヒカゲがうっとりした表情を浮かべる。
「…………空、綺麗だね」
その純真な黒い瞳に、幻想的な光景が色濃く反射する。ヒカゲの目にはこの世界がどう映っているのだろうか。アスカはそんなことを考えながら訊ねる。
「なあヒカゲ。この異世界は宇宙にすら存在しねーんだろ? だったらあの細かい結晶みたいのは一体どうなってるんだ。あれ、星じゃねーの?」
アスカは、空に無数に浮かぶ色とりどりの宝石を指しながら言う。
「あれはね、太陽の欠片が空に散りばめられてると思えば良いよ。昼間は高温のエネルギー体なんだけど、この世界は夜になると空の温度が一気に下がる。それで勢いを無くしたアイツらが、この大地に降り注いでくるんだ。丁度今みたいにね」
草地に寝そべりながらヒカゲは右手をそっと夜空にかざす。ちろちろと可愛らしい効果音の光子が降り注いでくる。それは現世で言うところの雨のように細かく、少し温かくて、まるで線香花火の火花に触れたような感触だった。
「この光がこの世界の生命線になる。夜でも適温を保つために大地を温めてくれるし、植物と接触して光合成をすれば空気中に酸素が生まれるからね。そのときに発生する甘い香りが、この世界の匂いになってるんだ。昼間の空がカラフル色なのは、朝に地表面の温度が上昇することで大地に降り注いだ金平糖の欠片たちが再び空へ浮かび上がって、ぶつかり合った塵なんかがぼんやり光ってああいう色に見えるんだ。それでこの世界は――――」
ヒカゲの創作話は止まらない。ぶっ飛んだ空想科学論を繰り広げながら、ヒカゲは楽しそうに笑った。科学的根拠があるのかどうかは知らない。全部彼の頭の中に真相があるのだろう。
「……でも、ほんと……不思議ね。少しは慣れたけど」
膝を抱えたままリーナが、闇夜の中で星色の瞳を瞬かせる。
「夢見る少女だもんな、お前」
「…………ぶつわよ」
厳しい視線をアスカに向けて、リーナは片腕を振り上げる動作をする。
「でも、…………三人でここに来られて……良かったとも思ってるわ」
「……ま、そうかもな」
無性に恥ずかしい気持ちになったアスカは、ヒカゲの隣に寝そべった。
「……そういえば、アスカくん…………テスト勉強はしているの?」
「は? 突然なんだよ」
「再来週からテスト期間に入るでしょ。大丈夫なのかなって思っただけよ」
「これでも一応テスト勉強は必死になってやってるんだよ。そんなに点数良くもないけど」
「…………そ、そう。なら……いいけど」
少しだけ睫毛を下げて、瞳を泳がすリーナ。
「つーかこの景色見ながらあっちの世界の話は無いだろー、マジで空気読めないのな、お前」
「なっ、別にそういうつもりじゃっ……!」
「アスカ、リーナは多分……勉強を教えてあげるって言ってるんじゃない? 遠回しに」
夜空を見上げながら、ヒカゲが何の気なしに言った。
「なっ……! ヒカゲくん! 何を言ってるのよ! そんなことあるわけないじゃない!」
耳まで真っ赤になったリーナが、がばっと立ち上がり手をぶんぶんと振る。
「え? 違うの? 僕にはそう聞こえたんだけど」
「アスカくん、今のはヒカゲくんが勝手に言っていただけだから! 勘違いしないでねっ」
ふんとそっぽを向いて、リーナは腕を組んだ。そんな風に意固地になっているリーナが面白くて、アスカは薄い笑みを浮かべながら言った。
「……なんだよ、嘘か」
「あーあ。意地になっちゃってさ……まったく、リーナってば」
「なってないから! ……ていうか、わたしもうそろそろ帰らないと」
「でたでた優等生。別にいいだろ。こっちでいくら過ごそうが、あっちの世界じゃ時間なんて殆どたってねーんだし」
「それもそうだけど……でも、なんか気持ち悪いのよ。この世界ではもう夜なのに」
「その話なんだけどさ、こっちの世界での一日って現世での一時間くらいっぽいんだ。今日グリモワールに入ったのが大体四時くらいだったよね。……あっちの世界は今何時なんだろ」
「わたしの携帯の時計だと……四時十分になってるわ」
「……ってことは、こっちの世界では既に八時間が経ってるってことか!」
「四時間だよ」「四時間よ」
ヒカゲとリーナが声を合わせて指摘してくる。
そんなヒカゲとリーナの掛け合いが思いの外面白くて、飽きないなとアスカは思った。
こうして三人一緒に遊ぶようになってみれば、下らないことで笑い合える仲間になれていた。
だが、アスカには一つだけ心残りがあった。
――あの日以降、ヒカゲの様子が少しだけおかしかったのだ。
異世界でも起きたイジメ問題。あろうことか、ヒカゲの創った世界の中で起きてしまった。このグリモワールに生きる生命体は、直接的にも間接的にもグリモアにより生を受け、この世界に順応するように生きていく。すべてがヒカゲの思い通りになるわけでは無い。彼が意図しない出来事も十分起こりうるのだ。
「……なあ、ヒカゲ」
「ん、どうしたのアスカ」
「…………いや、やっぱなんでもねーわ」
「……何さ、変なアスカ」
――気にしすぎか? 別にいつものヒカゲじゃないか。
少し過敏になりすぎているのかもしれない。そう思い、暗闇に浮かぶ虹のオーロラと、降り注いでくる金平糖たちを再び見据える。
「それにしても……空から金平糖が降ってくるってのは、どうなんだよ」
アスカの鼻先に、小さな星屑がこつんと当たった。
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