第9話 村の異変


 ペンペンを近場の樹木に停留させて、アスカたちは小さな村を訪れていた。


「おお、これはこれは……旅人たちよ」


 木彫りの杖で身体を支える一人の老人が、小さな旅人たちを出迎える。

 何度か訪れたことのある集落だった。ヒカゲがにかっと微笑みながら手を上げる。


「やあ、おじいさん。ちょっと休憩がてら立ち寄ってね。水をもらえるかな」


 今でこそこうして異世界人と普通に会話をしているが、初めは言語の概念を持たない生物とのコミュニケーションはほぼ不可能だった。それを解決したのは、ヒカゲの『この世界の共通言語は日本語である』というデタラメな一文。言語を手にしてからのグリモア世界の住人たちの進化は著しかった。地に足を踏み、畑を耕し、衣服を作ったのだ。仲間を囲んで食事をしたり、それぞれが住居を持ち始め、やがてそこは一つの村となったというわけである。


「……ああ、旅人よ。もてなしたいのは山々なのだが……実は…………」


 老人が重苦しい表情を浮かべながら、杖頭を撫でる。


「――水不足? この辺りは純水葉(ミネラ)の採取が豊富じゃなかったっけ」

「最近、採取前に枯れてしまうことが多くてな。原因は螺旋草にあると思われるのだが……」

「あーなるほど。螺旋草は他の動植物と干渉するからね。栄養を奪っちゃったのかも」

「若いのを何人か螺旋草抜きに行かせたりもしておるのだが……」

「わかった。僕に任せといて」


 ヒカゲがグリモアを開き、羊皮紙に羽根ペンを走らせる。


「……おいヒカゲ、何一人で全部解決してんだよ」

「この付近の螺旋草をちょっと減らすのさ。螺旋草はこの世界を支える大事な植物でもあるけど、特定の箇所に生え過ぎちゃうと他の動植物にとって害になっちゃうんだよ」


 グリモワールには雨が降らないため、水分を調達するのには少し骨が折れる。

 葉の中で微量な水素と、空気中の酸素を混合させることの出来る純粋葉は、成長過程の蕾から少量の水を採取することができる。花が咲けば、同時に数百の種を飛ばし、それがまた蕾となる。この世界ではとても貴重な植物にあたるのだ。


「つーかさ……完全無料で無限に出てくる自販機を設置すればそれで解決なんじゃね?」

「あなたのその安易さはどうかと思うけどね」


 リーナが腕を組みながら、ふんと鼻を鳴らす。


「どうせ楽できるんならその方がいいじゃねーか」

「そんなにだらけてると身体に出るわよ。わたしはヒカゲくんのリアリティに共感できるわ」

「今日は学校サボっちゃおうかな……とか、そういう思考は脳裏の片隅にも無さそうだ」

「あなた……普段そんなこと考えてるわけ?」


 リーナが呆れた顔でアスカを睨み付ける。


「ともかく……これでもう大丈夫だから。それでおじいさん、問題の現場ってどの辺なの?」

「……はて? 何が大丈夫なのだ?」



 * * *



 翌日、現状の螺旋草による被害状況と純水葉の枯れ具合を確認するために、アスカたちは集落を少し離れた丘を登っていた。しばらく進んだところで、リーナがぼやいた。


「何か、聞こえる。……人の、声……かしら、あっちの方から聞こえるわ」

「螺旋草を抜きに来たっていう若者じゃねーのかな。さっさと教えてやろ――」

「ワハハハハハ!」


 アスカの声を掻き消して、子供たちの笑い声が鳴り渡った。

 茂みをかき分け進みながら、三人が目にしたのは――、

 蹲った一人の少年を、数人の子供が取り囲んだ光景だった。


「……あ、あなたたち!」

「おい待て、リーナっ」


 アスカが激高するリーナの肩を掴む。彼女は鬱陶しそうにそれを突っぱねて、鋭い視線を子供たちに向けた。


「なんだよ、お前たち。見ない顔だなあ」


 その中で一番背の高い少年が、刃物のついた棒をリーナの喉元に突き付けた。

 突然のことに表情を失うリーナ。アスカも首筋に汗の玉を作る。こちらは丸腰だった。


「……リーナ、今は抑えろ。ここで争ってもなんにもならねーって」

「……でもっ」


 アスカは、啜り泣く少年を一瞥する。身体の至るところに痛々しい生傷が見える。地面には飛び散った鮮血と一緒に、小さな歯が転がっていた。


「うっ……うぅ」


 少年が泣きながらお腹を押さえる。異世界でも、現世でも、人が取り巻く理由は同じらしい。見ているだけで、胸がむかむかしてくる。


「……いやぁ、悪かった! こいつ今機嫌悪くてさ、カッとなっちまっただけなんだよ」


 愛想笑いを浮かべながら、アスカは場を取り持つことだけを考えていた。


「別に構わねえぜ、このまま黙って消えるんならな」

「悪かったな、じゃあそうさせてもらうよ」


 アスカは現実世界で幾度となく浮かべてきた苦笑いのまま、耳まで真っ赤にさせたリーナを連れてそそくさと退散する。背中からは逃げ腰のアスカたちを嘲笑う声と、少年の啜り泣く声が聞こえた。そして、その嫌な音はずっと耳に残留し続ける。

 三人の間にしばらく会話は無かったが、やがてリーナが歩みを止めた。


「なんで……! なんで止めたのよ……!!」

「…………わかってるだろ、お前にも」

「あんなのイジメよ! いえ、ただの集団での暴力だわ! あの酷い状況を見たでしょう!?」

「リーナ、止めとけって。俺たちは暴力が行われた現場を見たわけじゃ……ないだろ?」

「あなた、またそれなの? お得意の見て見ぬ振り!? それだから学校でも――」


 そこまで言って、リーナは口を閉じた。

 目の前には無表情のヒカゲが居て、アスカとリーナの言い争いをじっと眺めていた。


「ごめんなさい。わたし……」

「お前がそこまで考え込む必要なんて……どこにもねーだろ」

「……だって、間違ってるんだもの」

「リーナ、お前は生真面目すぎるよ。他人のことでそこまで思い詰めてたら、いつかお前がどうにかなっちまう」


 ――そうだ。ヒカゲのことだって。本当なら、それは……俺の役目なんだから。


「わたしは別に……あっ、そうよ。法律を作りましょう。グリモアにこの世界独自の法律を記述するの。悪事を裁く……いえ、絶対に悪事ができない世の中にするのよ!」


 一人盛り上がるリーナを余所に、ヒカゲがぼやいた。


「…………そろそろ、帰ろうか」


 グリモワールに来てから初めて聞いた、ヒカゲの冷たい声だった。



 * * *



「――――平気?」


 差し伸べられたものを、少年は泥だらけの手で掴んだ。


「怪我は?」

「…………いえ、大したことはありません。助けてくれて、ありがとうございました」

「君、名前は?」

「ロズウェルと言います。ここらで草刈りをしています。あの、みんなは……一体どこに」


 ロズウェルは、自分のことを殴って罵倒することが生きがいの少年たちを探した。


「ああ、そこにいるよ」


 後ろの地面を指差される。そこには四本の螺旋草が生えていた。


「……? あの、意味がよく……どういう意味でしょうか?」

「もし彼らのことが憎いのなら、その草を根こそぎ引き千切ってしまえばいいよ」

「……何故です?」

「それが、君のしたいことだからだよ」

「あの……失礼ですが……あなたは……?」

「僕? 僕の名前はね――」


 ロズウェルには、少年の姿がとても眩しく見えた。清く。強く。気高い。

 そしてロズウェルは知ることになる。彼が――この世界の王に相応しい存在だということを。



「ヒカゲって言うんだ」



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