第7話 僕たちのグリモワール


「――おーい、みんな来てみなよ! 本当に小さな集落ができてるよ!」


 ヒカゲの呼びかけに応じたアスカとリーナが、不格好に形作られた丘から景色を眺める。

 彼らの視線の先には、集落と呼ぶには些か早すぎる大地があった。地面から生えた螺旋状の植物が絡み合って出来た土台の上に、巨大な葉や木を上手に編み込ませた屋根が乗っている。


「あの辺の集落に花咲熊(フラワーベアル)っていう生き物が暮らしてるはずなんだ。近隣の森林から集めてきた大葉(オーバーリーフ)や、テンテル枝なんかを編み込んで家を作るっていう文化がある設定なんだよ」

「まるで旧石器時代ね」

「二人とも、早く行ってみようよ!」と嬉しそうなヒカゲが一人で駆けていく。

「ま、待てよ……まさか歩いて行く気か?」

「だって他に方法無いもん。体力も筋力も上がってるんだし、これくらい余裕だって」

「いやいや……目が良くなったんだからここから見られればそれで十分だろ」

「もう、アスカはすぐ面倒くさがるんだから……地道にレベル上げたりするの好きなくせに」

「ゲームはゲーム、リアルはリアルだ」

「そもそも、ここってリアルなのかしら」


 リーナが物思いに呟いた。先頭を進むヒカゲが、それに反応して振り返る。


「どうだろうね。もう僕はこっちが現実世界でもいいかな、って思ってるけど」


 ヒカゲが嬉々とした表情のまま声色も変えず言った。


「……マジかよ、冗談やめろって」


 アスカが冗談めかして笑った。平然を装おうとはしているが、顔が微妙に引きつっていた。途端に無くなる会話。それを知ってか知らずか、前を進むヒカゲが指を立てた。


「あ、そうそう。アスカご希望のドラゴンだけどね、今はまだ卵の状態だよ。山から噴火した火山灰が溶岩と混ざってドロドロの卵が誕生するっていう設定なんだ。異世界とはいえ生き物が何も無いところから突然産まれるのは変だしね。何かしら理由がないと」

「お前の脳内設定に付き合わされんのかよ、この世界は。不憫な話だな」

「そりゃそうでしょ、全部僕が考えてるんだから」

「じゃあさっさと便利な魔法でも開発してくれよ」

「そこはデリケートな部分だからなあ。もちろん考えてるけど、今は設定練ってる最中だよ」

「なんでそんなめんどくせーことを! テキトーにMP設定してぶっ放すだけだろ」

「そんなありきたりなのやだよ。しかも、それじゃゲームじゃん……」


 ヒカゲが呆れた顔のまま溜息をつき、その背後で緊張した面持ちのリーナが言った。


「ねえねえヒカゲくん。じゃあこういうのはどう? この世界には神様がいて、生きる者すべてに正しい正義とは何か教えてくれるの。それで……悪い奴らと戦うのよ」


 やがて頬をぽうっと染めたリーナ。それをアスカはにやにやしながら見つめていた。


「な、何よ……悪いの?」

「いや、別に? 良いんじゃねーの」

「あなた、絶対にわたしのことバカにしてる! そうなんでしょ!? はっきりしなさいよ!」

「ああ~、暴力反対っす。正しい正義とは何か教えてくれ、神様~」


 ゆさゆさとリーナに身体を揺すられながら、アスカが小馬鹿にしたようにへらへら笑う。


「……~っ! もうっ! ムカつく! 本当に!」

「若いうちからプリプリしてると幸せが逃げてくぞ。もっと気楽になれよ、委員長さん」

「あ、あなたよりはずーっと幸せな将来ですから! もうこれ確定事項だもんっ!」


 リーナがふくれっ面で言い張る。彼女はそのまま一人でずかずかと先を急いだ。


「仲がいいんだか悪いんだか良くわかんないね、君たち。子供みたいなリーナも可愛いけど」


 リーナの背中を見つめながら、やれやれとヒカゲがぼやいた。


「どこが可愛いんだよ、あんな堅物っ……」



 * * *



 グリモアに記述した『生き物』は、ヒカゲの予想した範疇を超えることが多々あった。

 例えば、ヒカゲが『広大な大地』を創ったとき、付随して生まれた螺旋草は、ところ構わず自然に繁殖するが、草地で生える場合は天に向かって細く伸び、岩石地帯を下地にすればどっしりと根を張った。つまり、どんな環境下でも適応するように姿を変えたのだ。

 面白いのは、頑丈な螺旋草の根っこに微細な昆虫や地中生物たちが、夜に降り注いでくる星屑の雨から身を隠すために新たな住処を作っていったことだ。

 そういった生き物同士の生態が互いに連鎖し、螺旋草は動植物の生の起点となり自らの姿をさらに七変化させた。そして、それは螺旋草を食する生命体にとっても同義であった。こうして、この世界の生き物は独自の進化を遂げていったのだ。


 そして、グリモアによって生を受けた人間が絡むことで事柄はより複雑になっていく。ヒカゲが創造した動物、花咲熊は頭部に生えた花をそのまま主食とする。消化能力が欠如した腸を血管のように体内に巡らせていて、食べたものを殆どそのまま糞として排出する。糞は良い香りがするが、現地人によってこの糞は改良がなされ、薬品のようなものを作っている様子も確認できた。何が出来るのかは、ヒカゲたちにもわからない。

 これらはヒカゲが創造したことではない。イメージしたことも無ければ、グリモアに記述した内容では一切無かった。つまり、この世界の生き物は皆、ヒカゲの記述したグリモアのプログラムで動いているわけでは無く、自立的に一つの自我を持った生命体に他ならない。


“グリモアは生きている”。ヒカゲたちの出した結論は、まさにそれだった。


 三人は休日になると、決まってヒカゲ宅を訪れた。ヒカゲの書く創作小説を読んだり、たわいない話をしたりもしたが、やはりメインの活動はグリモアによる異世界創世だった。ヒカゲの記述がグリモアに与える影響を実験しながら、彼らは奇妙な異世界生活を堪能していた。


「よし。じゃあそろそろ行こうか。僕たちの『グリモワール』に」


 目の色を煌めかせるヒカゲ。グリモアによって創世した自らの異世界を、彼はそう命名した。


「あっ、そういえば……ヒカゲくん。……その、例の子は……?」


 もじもじしたリーナが、言いにくそうにヒカゲに訊ねる。


「ふふふ……実は昨日夜に一人でグリモワールに行ったとき、確認してきました」


 にやっと笑みを浮かべるヒカゲ。リーナがぱあっと表情を明るくさせる。


「なんの話?」


 顔を傾けるアスカを余所に――ヒカゲがグリモアのページをめくった。


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